1本目
昔は、キッカケになる出来事があった翌日にはブログに載っていたりして「ブログに反映されるのが早すぎる」などと言われていたこともあったのですが、今は逆にめっちゃ遅いです。
「こういうことを書いてほしい」と頼まれた時なんかは2~3日以内に載ることもありますが、自分で思いついたネタを好き勝手に書いている時は最速でも1週間。基本的には数か月。時には年単位の時間が経過しております。
何かしらの出来事があり、ネタにしようと思い、いざ下書きを始められる状態になった時(パソコンを前にした時)に時間があったのならば一気に書き上げてしまうこともありますが、時間が無いことがほとんどなので、まずは忘れないように要点をいくつか書いたメモ程度で終了です。
そのメモを後日開いて書き足して書き足して、、、というのを何度か繰り返して書きあがるのですが、メモ程度の下書きネタが何百とパソコン上に溜まっております(もしかしたら4桁かも)
メモをしてから時間が経っていないネタは、メモのタイトルを見ただけですぐに当時のことを思い出して続きを書けるのですが、何週間も何か月も何年も経っていると思い出すのが難しい。
「いかに内容を思い出しやすいタイトルをつけるか」というのが、結構大事だったりします。
メモのタイトルとブログ更新時のタイトルが同じであることもありますが、全く違うことの方が多いです。
全く違う場合の典型例というのが、メモのタイトルが「〇〇(←具体的な人物名)うざい」とかいう類のものです。
「〇〇うざい」「××センス無い」「△△上手くならない」「※※の気になるとこ」など、完全にアウトな見出しの下書きがいくつか。。。
完全に特定の人物をイメージして書いているネタ。その人物名を見れば私はすぐに「あの出来事のことだな!!」と思い出せるので、メモのタイトルとしては非常に優秀です。
しかしながら当たり前ですが、そのまんまのタイトルでブログに載せるわけにはいかないので当たり障りのないタイトルに書き換えるわけです。
今私のパソコンには「〇〇うざい」というタイトルのメモが幾つかあるんですが、「〇〇うざい2」などとナンバリングされているのもある(;・∀・) 特定の人物をキッカケにした毒舌ネタがいくつもある。
いや、ほんと、「うざい」と思わされるですとか、「センス無い」と罵ってやろうと思うほどにまで人間性を低評価をしブログネタにしてやろうと思う人物って限られた特定の人物だけなんですよね。5人くらい。
イラッとさせられることが多すぎる人達でありますが、ネタを提供してもらっていると考えると、毒舌ブロガーとしては非常に助かる存在なのかもしれない。
2本目
イラッとした出来事を元に毒を吐くネタが非常に多い当ブログ。喜怒哀楽の哀以外はネタにすることが多いです。
が、哀だけは。本気の哀はネタに出来ません。「ビリヤードが絶不調で悲しい」とかいうくらいならいくらでも書けますけど、心を病みそうなくらいの本当に悲しい出来事なんかはネタに出来ない。
まぁそもそもビリヤードをやっていて本気の哀を感じることがないんですけど、ビリヤード外ではあります。誰にだって本気で悲しい、悔しい、つらいと感じる出来事はあるはず。
そういったことを私はブログやSNSに書くことが出来ません。抵抗感がある。
その一方で、本気の哀をSNSにさらけ出す人ってのも少なくないですよね。
私はそういう投稿を見る度に「この人はメンタルが強いんだろうか。それとも弱いんだろうか」と考えます。
私が本気の哀を投稿出来ないのは「自分をさらけ出すのが恥ずかしいから」という理由が一番だと思います。他にもいくつか理由がありますが、なんにせよ「恥ずかしい」とか「どう思われるか分からないから」とか、そういう理由が大きい。端的に言えば「強がり」ですね。
なので、哀投稿が出来る人は、強がることなく自分をさらけ出すことが出来るメンタルの強い人なのか。それとも感情に歯止めをきかせられない弱い人なのか。どっちなんだろ??って疑問に思うのです。
以前に「ポジティブなことばかりを言っている人の中には、ポジティブなことを言っていないと心を壊れてしまうようなメンタルの弱い人がいる」なんていうネタを書いたことがあります。
シチュエーションを「球を撞いている時」に限定しても、「大丈夫。このショットは絶対成功させられる!!」と自分に言い聞かせていないとネガティブな感情がドバッと出てきてしまうようなメンタルの弱い人っていますよね。
私なんかは「うわぁ。この球イメージ悪いわぁ。入る気しなーい」とか思いながらも、必要な対策をしっかり立てて淡々と撞けることが結構多いですw ネガティブなことを思いながらもポジティブな結果が出せるタイプ(当然のことながら、「イメージ悪い、、、」って思ったまんまチビって撞いてしまってネガティブな結果を出してしまうこともたっくさんあります)
口にしていることがネガティブだからと言ってネガティブな人であるとは限らないし、ポジティブなことを口にしているからポジティブな人だとも限らない。
口にしていることだけではどっちなのか分からない。
はい。毎度お馴染み、特になんのオチもないネタです。
3本目
繰り返しのテーマであります「周りに影響を受けるか否か」についての話です。
私自身もしょっちゅう巻き込まれますし、他人事として見かける事も多いこの論争。Twitter上でも度々見かけます。
私がこのお題について初めて触れたのは、大昔なので記憶が朧ですが、恐らくは私が相手選手や外野の言動が気になってしまったと発言をしたら、誰かしらから「そんなことを気にしているようじゃ駄目」「集中力が足りない」というようなことを言われたんだったと思います。良くある話ですよね。
以降も歴の中で、色んな人から、全く同じ「そんなんじゃ駄目」「集中力が足りない」「そんなことを気にしているようじゃ、まだまだ」という言葉を馬鹿の一つ覚えみたいに言われ続けて耳タコ。
自分のことを否定されるわけですのでイラッとして「うるせぇ!お前らは集中力があるわけじゃない!ただの単細胞だろうが!」と言い返していたものです。
そんなしょうもない言い争いを繰り返していくうちに、私は学びました。
この問題の争点は「どちらが正当なのか」「どちらが優れているのか」ではなくて、「排他的な言動をするのが駄目」「自分に言い聞かせるべき言葉を、他人に投げかけてしまうのが駄目」「世の中に色んなタイプがあることを把握せず、自分の常識こそが世間の常識であるという思い込みをするのが駄目」という所にあるのだと気づきました。
結局、絶対的な正義は「9番を入れること」の1つだけです。その結果が出せれば過程はどうでもよろしい。
隣の台の騒がしさが気にもならず、9番を入れられるのならばそれで良いし。
隣の台の人に「すみませんが、少し静かにしてもらえますか?」と一言言って、落ち着いて9番を入れるのであればそれも良いし。
隣の台の騒がしさに対し「うるせぇなー!」って思いながらも、自分の中で気持ちを整理して9番をしっかり入れられるのであればそれでも良いのであります。
手段は何でもいい。大事なのは結果。
書きながら気づきましたけど「隣の台が騒がしくて、9番を外してしまった」と言う人に対して「集中力が足りない!」と返すのは「相手に合わせたアドバイスが出来ていない」という案件でもありますね。
4スタンス理論に見られるようにフォームやストロークには個人差があるわけですが、メンタル面でも人それぞれのタイプがありますからね。
それに見合ったアドバイスをしようとせず、自分の理想論を押し付けるだけじゃ駄目ですよね。
私も気をつけなくてはいけない。
ちなみに、この3本目なんかが「〇〇うざい」というタイトルの下書きでしたw
完全に特定の人物の特定の出来事を頭に浮かべて書いておる。
実名を出せば「あぁ、、、あの人はね、、、」と共感してくれる人が多いと思いますが、さすがにやめておく。