鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。基本的に常連読者さん向けの前提ありきのネタを書いているので、ご新規さん、一見さん向けではありません。技術論は間違いだらけなので信用しませんよう。コロナ禍で撞きに行けていないためネタが枯渇し、球ブログのくせに球ネタがほとんどないです。お許しを。。。

どっちが悪いんでしょかね

ほぼ昨日の続きです。



1本目

 

一か八かのショットってあるじゃないですか。「成功率が低いと分かっている」場合もあれば「成功率が分からない」場合もありますが、どちらにせよギャンブル。

 

そういうショットをする意味がある局面ってのはありますよね。どうせジリ貧なので、起死回生のギャンブルショットをし、上手く転べば逆転につながるような場面というのはある。

 

また、ギャンブルのようなショットしか選択しようがない局面ってのもありますね。

 

そういう場合であれば一か八かのショットを撞く意味はある。



他方で、全くの無意味なギャンブルショットもあるわけじゃないですか。他にもっと妥当な選択肢があるのに、わざわざギャンブルショットを撞いちゃうっていう。選択の理由は往々にして「撞きたいから」でしかない。

 

私の選択肢なんてのは、ハードブレイクを筆頭に大半がギャンブルショットですわい。わはははは!



まぁ個人戦での選択なんてのは責任は全部自分にありますのでどんな選択をしようが放っておいてほしいところですが、チーム戦でそんなギャンブルショットばっかりしていたら怒られて当たり前ですよね。「好きなんだから良いだろう!」という主張はまかり通らないはずです。チーム戦で「好きなようにやらせろ!」という主張を通せるのは、好きなように撞いて結果を出せる猛者だけでありましょう。



言いたいのはここからであり、ビリヤードとは関係のない話なんですけども。。。

 

コロナ禍での行動に関して「重大なリスクを背負う可能性のある、やる必要がないこと」をやる人って多くいるじゃないですか。

 

彼らは自己正当化のために「リスクはない」「リスクがあることは証明されていない」などと言うのだけれども「そもそも、やる必要がないからね?」って話なわけでして。論点が違う。リスクを証明できるか否かじゃなくて「リスクがあるかもしれないやる必要がないことを、なぜやる?」という話。

 

確かにリスクがあるのかないのかは正確には分からない。けど万が一の時には他人に大きな迷惑をかける。やる必要があるのであれば賭けに出る意味もあるが、やる必要がそもそもない。やる必要がない上に、万が一の時には他人に多大な迷惑をかけること。それをなぜわざわざやる??なぜ他人を巻き込んだギャンブルをする??



彼らはあれやこれやともっともらしい理由を並べるけど、本音は「やりたいから」「我慢ができないから」でしかない。

 

ようするに身勝手でしかないんですなぁ。



都道府県対抗戦の決勝戦で無意味な逝ってきますショットをしてミスしたら、どんな扱いを受けるでしょうね?w

 

ま、そんなプレイヤーがあの舞台に立つことはないでしょうけども。

 

(意図的にそんなショットを撞くことはなくても、ピヨって撞いてしまうことはあるのかも?)

 

 

2本目

 

  • とにかく話すことが好きで、喋ることがストレス発散になる。黙っているのは落ち着かずストレスの元になる
  • 必要最小限のことだけ喋っていたい。余計な会話はストレスの元

 

こういう2者は何をどうしても噛み合いませんので距離を取って棲み分けるしかないわけですけども、距離を取れない場合はどちらの趣向が優先されるんでしょうかね。

 

前者がお喋り欲求を我慢して押し黙るべき??後者が我慢をしてお喋りを続けるべき?



ビリヤードでも絶対に相容れない趣向の違いってたくさんあるじゃないですか。距離を取るしか無い。棲み分けるしか無い。そういう共存不可能な相反する趣向は色々とある。なのに現実的には距離を取れないことが多い。

 

距離を取れずとも「お互い様である」と思えれば良いと思うんです。ある時には一方の趣向に従い、ある時にはもう一方の趣向に従う。50:50だとお互いが思えればトラブルにはならないでしょう。

 

ですが往々にして一方の主張が強いんですよね。片や自分の趣向をゴリ押ししてくる。片や自分の主張を強く言い出せない。おかげで5:5なんていうバランスは取れず8:2とか。10:0なんてことも平気で起こる。声の大きい人の主張ばかりがまかり通る。だからトラブルになる。

 

口に出せない人は、少しでも口に出せるように頑張る。口に出しすぎな人は、少しは他人の声に耳を傾けられるように善処する。そして両者互いにバランスを取ろうとする。

 

これしか解決策はないですね(;´∀`)



3本目

 

前にもこの話をしましたけど、以降も度々見かけるのが、「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」と某歌詞を引用しつつ余計なことを言おうとするオッサン(;´∀`) 余計な一言の多いオッサンが「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」なんて言ってたら、単なる自己正当化の開き直りにしかならん。

 

そんなオッサン達に頻繁に引用されるようでは、あの歌も不憫であります。

 

言うべきだけど言いづらいようなことは言うべきですが、言うべきではないけど言いたいことなんてのは言うべきではないのです。



けれども昨日まで散々に書いたように、何をもって「言うべきではないこと」とするかはケース次第、判断する人次第で分かれる。

 

ある時は「言いたいというだけの理由で口にすべきではない」になるし、ある時には「言いたいんだったら言えばいいし、言ってもおかしなことではない」になる。

 

ある時は「言った方がおかしいのだから、我慢をすべきではない」になり、ある時には「これを不快に思うほうがおかしいので、我慢をすべき」になる。

 

あれやこれやと書きましたけど

 

  • とにかく話すことが好きで、喋ることがストレス発散になる。黙っているのは落ち着かずストレスの元になる
  • 必要最小限のことだけ喋っていたい。余計な会話はストレスの元

 

私がこの後者の立場に立つことが多々ありまして、「空気を読まずどうでもいいことを喋り続ける前者が悪いのか、それともそれを大人しく聞いてあげられない自分が悪いのか、どっちなんだろうなぁ」と考えていた、ってだけの話でした(;^ω^)