4本立て
1本目
何度か書いておりますが、私が言われてイラッとする言葉の1つに「条件はみんな同じ」があります。
2日連続でクラフトビールをしこたま飲んだ時のこと。
自分の酒耐性のことを色々考えていたら、ふと「条件はみんな同じ」が頭に浮かんできました。
「参加者全員がまず2リットルのビールを飲むところから始まるビリヤードの試合を開催して、『条件はみんな同じですから!』とか言い放ってみたいわ」って思ってたわけですww
全員が2リットルを飲んでるんだから、全員条件は同じ!!
って、あまりにも無理がある主張でありましょう??
酒の強さは人それぞれ。そもそもビールが嫌いで飲みたくもないっていう人はいるだろうし、1口でダウンしちゃう人もいるだろうし、そこそこ飲めるけど2リットルは無理っていう人もいるだろうし、2リットル飲んでフラつきながらもそこそこ球が撞けるっていう人もいるはずです。
全然条件は同じじゃない。なのに「条件はみんな同じ」と言われる理不尽さ。そんな理不尽なシチュエーションで何度も言われるから「条件はみんな同じ」というセリフが私は嫌いなのであります。
条件が同じじゃないのに同じだと言われる理不尽さもそうですし、そもそもの話「条件はみんな同じ」というのは自分に言い聞かせるべき言葉であり、他人に言い聞かせる言葉ではございません。
不利なシチュエーションに立たされ、愚痴や弱音が出そうな時に「条件はみんな同じなんだから」と自分に言い聞かせる。これが正しい使い方。
けっして他人に対して口にして良い言葉ではございません。
その割に、歴の中で私は何度も言われたことがあるし、誰かが言われている場面も多く見かけてきました。
他人に言うべきじゃないし、条件が同じじゃないし。二重の意味で嫌いなセリフであります。
とあるモータースポーツのレギュレーション変更に関する記事を読んでおりましたら、レギュレーションが変わることにより、トップチームと下位チームの差が縮まると書いてありました。
良くある話ですよね。特定の選手(チーム)が勝ちすぎると、レギュレーションを変更されて勝ちづらくされるっていう。
常勝は嫌われる。スポーツとは名ばかりで、所詮はエンターテイメントなのだと思わされる出来事です。
それはともかくとして、そういったレギュレーションの変更は上位チームの勝率を下げる事を意図しているわけですから、当然上位チームは結果を出しづらくなる。
とはいえ、直接的なハンデがあるわけじゃない。上位チームに不利に働くようなルールの変更。それを「とはいえ条件は全員同じなんだから」っていうのはおかしな話でありましょ?
ビリヤードだったらなんでしょうかね。たとえば、試合が全部2先になるとか。
そうなったらトッププロだってアマチュアに負けることが多くなるはず。
でも全員が2先。言っていいですか?「条件はみんな同じでしょ?」って。
間違っちゃいないけど、言われたらイラッとするに違いありません。
色々例を出してみたけど、とにかく言いたいのは「『条件はみんな同じなんだから』とか他人に対して口にするのはやめろ」っていうことだけです。それだけが言いたいw
2本目
数日後に同種のネタが載る予定でして、そちらでも書いてますが、「平場」を舐めちゃいかんよなぁってふと思いました。
平場とは、日常の相撞きのことを指しております。「試合」と対比して使うことが多いです。
しかし、試合と平場を対比させるってのがそもそもマズイんじゃない?って思ったわけです。
試合は大事な場であり、本番であり、プレッシャーがあり、緊張もする場。
平場は練習の場でありプレッシャーは少なく、緊張もあまりしない場。
そういう対比をさせているわけです。読者の多くの皆様も「試合」「平場」と聞いたら、大体は上記したようなことをイメージすると思います。
しかし、言ったらそれって平場を舐めてるとも言えますでしょう。
平場よりも試合の方が真剣。一見当たり前の考え方のようでいて、その考え方に正義は無い。
「そりゃ平場なんだから、試合みたいには真剣に撞かないでしょ」っていう人もいるだろうし、「舐めているつもりはないけど、試合の時ほどに気合は入れていない」って人もいるでしょう。
反面、「試合だ平場だという区別はない。常に真剣だし常に緊張している」っていう人だっているはずです。
平場でガッチガチに緊張している人を見たら「たかが平場なのに」って思っちゃいませんか??でもそれって「常に真剣な証」かもしれません。
「試合ではトーナメント志向での楽しみ方を。平場ではレジャー志向の楽しみ方を」と完全に切り替えてビリヤードを楽しんでいる人も多いのかもしれません。その一方で、どちらでも常にトーナメント志向で楽しみたいという人もいるし、試合に出てまでレジャー志向な楽しみ方をしようとする人もいる。
ここら辺も人それぞれで、中々相いれられない所かもしれませんね。「他人も自分と同じである」と思い込んでしまうのはマズイんじゃないでしょうか。
何度かネタにしておりますI氏の5-9話。
学生の頃、点10という低レートで5-9をやっていたのですが、I氏が7点マイナスになったマスから猛烈に不機嫌になって、全く喋らないし、機嫌が悪いのがありありと分かる球を撞き始めて「7点くらいで不機嫌になるのかよww」ってみんなに笑われてたわけです。私も笑ってた。
しかし、後年その話を友人にした時に「良いことじゃないですか。安上がりで」「それくらいのレートでそれだけ熱くなれるっていうのはセンスですよ」「感覚が麻痺している人たちよりずっといい」って言われたことがありまして「確かにそれもそうだな」と思いました。
ビリヤードプレイヤーにありがちなのが、賭け球の高レート自慢とか、こんだけ勝った、こんだけ負けたっていう自慢。ありがちですよね。ほんと。
大きな額での賭け球はステータス。たくさん勝ったってのはステータスだし、負けたのだって「それだけの場を経験したことがあるんだぞ」っていうステータス!!って考えちゃう人達がいますでしょう。
それに比べたら、点10の5-9で熱くなれるI氏の方が、よっぽど優れていると言えそうです。
「平場でのスポーツのセットマッチでも、公式戦と同レベルの真剣度、プレッシャー、緊張感を持って球を撞ける」ってのが、皆様は当てはまりますか?
私は無理です。出来ません。意識的に気を抜いているつもりはなくても、やはり真剣味には欠けてしまいます。
「平場で、そんな真面目になれるわけないじゃんww」って思う人だっているでしょうし、「自分は平場でも全力」っていう人もいるはず。
たぶん、自分とは異なった感覚を持っている人のことは理解しづらいんじゃないかと思います。そもそも、知らず知らずのうちに「誰もが自分と同じ感覚である」という先入観を持って話をしてしまいませんか??
ここまでは平場だって超真剣に撞いている人はいるはずっていう話でしたけど、同じように、公式戦だって不真面目に撞いている人もいるはずです。
公式戦って言ったって、CSカードの年会費を払ってエントリーフィーを払えば誰だって出られるわけで、誰もが高い志を持って臨んでいるわけじゃないですよね。チャランポランな気持ちで出ている人も一定数はいると思います。
同じシチュエーションにいるからといって、誰もが同じ気持ちでいるわけではないってのは、球談義をする上で常に頭に入れておかなきゃいけないことなんじゃないかなと思います。
3本目
少々前にこんなネタを載せました。
フロックとメンタルの関係性の話でした。
本文中でも触れておりますが、ツイッターで呟いた時に、私が意図した趣旨とは異なったコメントをいくつかいただいたのでスルーしてしまいました。
いただいたコメントの多くは「フロックを気にするかしないか」という趣旨のものでしたが、私が意図したのは全くの別です。
ツイッターの少ない文字数の中で趣旨を勘違いされてしまったのは仕方がないかなと思ったんですが、ブログで長々と書いてもなお趣旨を勘違いしたコメントをいただいたもんで、ちょっとガックリ来てまして。。。
凄く極端なたとえですが、肉親を殺されたAさんが復讐として犯人を殺したという事件があったとします。
そしてそれに対して「いくら憎いとはいえ、殺してはいけない」「それでは犯人と同じになってしまう」「法で裁くべき」だとかなんだとかBさんが言ったとしましょう。
それは、Bさんが肉親を殺された経験がないからそんなことが言えるんじゃ??他人事だからなのでは?もしかしたらBさんも、いざ同じ立場に立ったら憎さのあまり犯人を殺すんじゃ?
「自分は絶対に殺さない」なんて思った人も少なくないでしょうけど、分かりませんでしょう。体験したことが無いシチュエーションに放り込まれた時に、どういう気持ちになるのかなんて。
事実として持論を語れるのは、そのシチュエーションを体験した上で「自分は殺さなかった」っていう人だけ。読者様の中にそういう体験をした方がいらっしゃらないことを願います。
そういう話だったんです。フロックの話も。
もちろん、フロックを気にしてしまう人の大半は単にメンタルが未熟なだけだと思います。
ただ、中にはあまりにも真剣に撞いているからこそ気になってしまうっていう人もいるんじゃないか?と。
平場→ハウストーナメントの1回戦→ハウストーナメントの決勝→公式戦の決勝→全日本選手権決勝→世界選手権決勝
物凄くざっくりステージ分けしてみましたw ステージが上がっていくと、今まで気にならなかったことが気になってき始めてしまうってのは普通ですよね。
「平場ではフロックが全然気にならん」っていう人が、ハウストーナメント1回戦になると気になっちゃうっていうことは考えられますよね。
ハウストーナメント1回戦では気にならないっていう人が、決勝ともなれば気になっちゃうってことも考えうる。
公式戦の決勝ではどうか。全日本選手権の決勝ではどうか。世界選手権の決勝ではどうでしょうか??
分かるわけがありませんよね。そんなステージに立ったことがないから。
そういう話だったんです。この間のネタは。
「自分はフロックなんて気にしないよ」「自分はこれこれこういう考え方をしているから、フロックはそもそも気にする対象じゃない」とかなんとか思っている人も、もしかしたら世界選手権の決勝で相手にフロックをカマされたらイラッとしてしまうかもしれません。
そういうステージに立った時にどういう精神状態になるかなんて分からないじゃないですか。今までに経験したことがないんだから。
「自分は世界選手権決勝でもフロックは気にしない」なんてのは、口では言えますよ。けど、事実として口に出来るのは、実際に世界選手権決勝を経験したことがある人だけ。そしてそんな人は国内に3人しかいません(笑)
もし、ハウストーナメントの1回戦で相手選手がフロックを出しても自分は全く気にならなかったのに、自分がフロックを出したら相手がイラついたそぶりを見せたとしたら。「相手はメンタルが未熟である」と思うことでしょう。
けど、シチュエーションが同じだからといって、条件が同じとは限りません。もしかしたら相手選手は自分にとっての「公式戦の決勝戦」と同レベルの真剣度で撞いているのかもしれません。
そういう趣旨だったのですよ。この間のネタ。
私はしばしば「テーブル外のことが気になってしまう」とかなんとか書いています。けど、1人練習の時は逆に、ほぼ全く何も気にしません。真剣に撞いている時はワーストレベルで環境を気にしてしまうのだけれど、一人練習のように気持ちに余裕がある時は真逆になる。
メンタルが一定ではないどころか、物凄く振れ幅があるっていうのが私。
フロックにしても、近年はほとんど気にならなくなって、この間のハウスの時には相手にフロックを出されようとも全く気にならなかった。
けど、公式戦だったらどうか。公式戦決勝戦だったらどうか。今まで経験したことが無いステージに立ったらどうなのか。経験したことが無い精神状態になった時にどうなのか。それは分かりません。振れ幅がある私のことだから、悪い方に振ってしまう可能性は充分にある。
そしてまた、ステージが上がれば上がるほど気持ちに余裕がなくなって、ネガティブな気持ちが湧きやすくなってしまう私。
ネガティブモードじゃない時は「大したステージではない」と認識しちゃってるってことで、真剣味が足りないのでは?という思いもある。
カーリートーナメントの決勝で赤狩山Pを相手にしても緊張していなかったと以前に書きましたけど、それも「メンタルが強いから」とはとても思えないわけですよ。
格上を相手にする時は負けて元々であり、胸を借りるつもりで撞けるのでメンタルが強めなわけですけど、それって「勝ち気が無い」「負けるのが普通であるという、事前の言い訳をしている」とも言えるわけじゃないですか。
良くも悪くも言える。
フロックを気にしないってのも、良くも悪くも言える。
そういう趣旨だったんです。この間のネタは(何回同じこと言うんだw)
良くも悪くも言える。「良く」と「悪く」の境界線はどこ?っていうネタだったわけです。
まとめれば
・経験したことが無い高いステージに上がった時にどういう精神状態になるかなんてのは、誰にだって想像はつかない
・同じシチュエーションにいるからといって、相手が自分と同じ精神状態であるとは限らない。同じシチュエーション下にいるが、相手は自分が経験したことのない精神状態で撞いているのかもしれない
・何事も良くも悪くも言える。そして自分自身のことさえも、良い状態なのか悪い状態なのか判別がつかないことが多い
という趣旨であり、言いたいこととはといえば
・自分の物差しで他人を測るな
・経験したことが無い状況下に放り込まれた時に自分がどうなるかなんて分からないから、「自分はこうである」と決めつけたり豪語したりするのはやめた方が良い。「今んとこ、自分はこんな感じです」くらいのフンワリ感がちょうどいい
・「人それぞれ」「見方、言い方次第」な事って多くて、議論するだけ無駄なことってのも多いよね
です。
あー。自分の思いを言葉にするのって難しいし、それをさらに文章にして伝えるのって難しい!!
今回も、どんだけ上手く伝えられてんのか分からん。