鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

自称器の大きい人

 

1本目

 

「その立場になってみないと分からない」「他人の気持ちを真に理解できることなんて無い」という趣旨の話です。

 

「宝くじに当たった人は、人間性が変わってしまう」なんていう記事を度々見かけるんですが、変わったんじゃなくて隠すのをやめただけの人もいるんじゃないかという気がします。

 

宝くじに当たったことで生活に余裕が出て、人に頼る必要がなくなった。本当に仲良くしたい人とだけ付き合えるようになった。だから、日頃我慢していた不平不満を素直に表に出すようになっただけの人もいるのでは?という気がします。

 

「あの人、宝くじに当たってから人間性が変わってしまった」「私への当たりがキツくなった」なんて思ってる人は、元からその人に嫌われてたんじゃないですかね。

 

ま、こんなのは人によりけりなので一般化できる話ではないですけども。



自分は宝くじに当たったらどうなるんだろうな、と妄想することがあります。

 

縁を切りたい人ってのがいるわけですが、もし宝くじに当たって生活に余裕が出来たら、気持ちにも余裕ができて相手の嫌なところなんて気にならなくなって仲良く出来るようになるかもしれない。

 

逆に、余裕ができたからこそ必要がなくなった縁はどんどん切って行くかもしれない。

 

どっちになるんでしょうかね。その立場になってみないと分からんです。ほんと。



こういう話をした時に「自分は絶対にこうだよ」「自分はそんなことにはならないよ」みたいに断定をする人っているわけですけど、なぜ言い切れるのかが不思議でなりません。しかもその手の人って100%自分を良く見せようとするじゃないですか。

 

その場面に立ってみなきゃ分からないし、立つことなんて一生訪れないであろうシチュエーション。そんな時の気持ちを断言したって、ただの「格好つけ発言」としか思えないのであります。

 

そんなシチュエーションには絶対にならないからこそ「なんとでも言えるぞ。マウントを取るべ!」ってことなんでしょうかね?



2本目

 

球屋で顔を合わせる人の大半は球屋でしか会わないですよね。ビリヤードを離れて食事に行ったり旅行に行ったりするような間柄の人は限られる。

 

とある人が「休みの日にまで人に気を遣っていたくない(ビリヤードをしに行った時くらい自由にやらせてくれ)」と言っていました。

 

そんな物言いをするなんてさぞかしマナーが悪いんだろうと思ってしまいそうですが、その人凄くマナーいいんですよw 「気を緩めてまでこんだけマナーが良いってことは、仕事中はどんだけなんだ??」と私は思っていました。仕事中の姿は見たことがないので分かりませんが、ちょっと心配になってしまいました。

 

球屋で見かけるマナーの悪い人達も、もしかしたら仕事の時は物凄くマナーが良いのかもしれません。「ビリヤードは趣味である。趣味に興じている時くらいは好き勝手にやらせてほしい」と考えていて、球屋にいる時は気を抜いているのかもしれない。

 

(見ていると分かることも多いですけどね。「この人、この場ではマナーが悪いけど、馬鹿ではないからマナー良くすべき場面ではマナーがいいんだろうな」と思うような人も、「この人は天然でマナーが悪い。どこへ行っても嫌われてるだろうな」と感じる人もいる)

 

マナーが悪いのが球屋だけであったとしても、マナー違反をされる方からしたら「しらんがな」って話ですよね。「仕事をしている時はマナーが良いのかもしれないが、仕事中のことなんてこっちは知らないし、こっちだってビリヤードを楽しみに来ているのになんでお前のストレス発散のためにこちらが迷惑を被らなきゃいけないのか」という話になる。

 

仕事の時ほどには気を張らないにしても、やはり最低限のマナーというものはある。それを守れないようであれば「一生1人で撞いていてくれ」「人と関わらない、他の趣味を見つけてくれ」ってなりますわな。人と関わる以上は越えてはいけないボーダーラインがある。



3本目

 

私的に、最もメンタルに余裕があるのは「極親しい人と遊びで球を撞いている時」です。きっけー氏と撞いている時なんかが例です。

 

次点が1人練習をしている時。

 

1人練習をしている時は「気持ちに余裕があるシチュエーション」だと自分は考えます。

 

そんな自分を基準にして考えると、1人練習中なのに全く周りが見えていなかったりカリカリしてたりするような他人を見ていると不思議です。なぜ余裕があるはずなのに、あそこまでカリカリしているのか。

 

彼らは「余裕があるシチュエーションでまで余裕を持てない人」なのか、それとも「私なんかとは比較にならないほどに練習に集中しているため、1人練習であっても余裕がない人」なのか。どっちなんだろう。

 

逆に、ハウストーナメントとか賭け球とかのヒルヒルの場面となったら「緊張する場面」「気持ちに余裕がなくなる場面」ということになると思うんですけど、そういう場でもバッチバチと余裕のある球を撞く人っているわけじゃないですか。そういう人達が「メンタルが強い人」なのか「勝ち負けを全く気にしておらず、真剣味に欠ける人」なのか、どっちなのかも分からん。



この3本目のネタを書こうと思ったキッカケは、とあるプレイヤーが「自分は心が広い人間ですよ」というアピールをしているのを見たことです。

 

  • 日々の激務の間隙を縫ってビリヤードに精を出している
  • 家庭を持っている
  • 勝負に真剣
  • 試合の厳しい局面

 

あくまでもこれは一例ですけど、これらは余裕を失いがちな条件ですよね。これでもなお人に優しくできるのは本当の意味で「心が広い人」だと思います。

 

一方で

 

  • 悠々自適な生活をしている
  • 独り身である
  • 勝負へのこだわりはない
  • エンジョイ球撞き中である

 

こういうのは余裕を持てる条件。こういう条件の中で余裕を持てた所で、それは「心が広い」とは言えなさそうです。こういう時に余裕があるのは「普通」ですもの。逆に、こういう条件があってなおカリカリしている人は本気の短気ですね。



余裕をもってビリヤードをするには生活を整える必要があると思います。

 

  • 物凄い努力をしてきたがゆえに、生活に余裕がある
  • 日々トレーニングをし、生活習慣も整え、身体的にも余裕がある

 

こういう余裕は素晴らしい余裕だと思います。本人の努力の賜物。

 

一方で「親の金で遊べるから余裕がある」とか「真剣にやってないから気持ちに余裕がある」とかの余裕は、全くいい評価は出来ませんよね。

 

でも現実には、そういった高評価できない余裕を拠り所にした「俺は心が広いぞ」アピールをしてくる人がたくさんいるんですよね。。。

 

私だって100兆円手に入れたら、たぶんメチャクチャ心の広いプレイヤーになりますよww

 

その立場になってみないと断言出来ないので、お金ください。