1本目
昔話ですけども、ある日ある時、上級者様から「もうちょっとしっかり考えて練習をしたほうが良い」という指摘を受けた初級者さんがいました。その初級者さんは、私が見ていてもあまりにも質より量に偏りすぎていると感じる。ただただ漫然と球転がしをしているだけに見えるので、上級者様の指摘はもっともだと感じました。
しかし、初級者さんの反応は「ただでさえ撞ける時間が限られているのに、そんな時間はないです」でした。
いや、あなた毎日撞いとるやんけ、、、、
ほぼ毎日3時間。週に20時間前後は撞いている。それでいて「そんな時間はない」はおかしいのではあるまいか、、、
確かにもっと撞いている人はたくさんいます。けど、「そんな時間はない」と言えるほど少ないわけでもありますまい。
自分の価値観に合わないことを否定する時に出てくる言葉として「暇」は典型的だと思います。「そんなことやってるなんて、暇なの?」とか「そんなことをやっている暇はない」などですよね。「そんな時間はない」もほぼ一緒です。
全くの別件へのリプでしたが、私が上手い言い回しだなと思ったのが、「そんな時間はない」「そんな暇はない」という言葉の解釈について
「変化させるのが大変だし結果も怖いので今のやり方で行きます」を、自分の精神安定のために無理やり理由付けしたフレーズ
とするもの。分かる分かる。そんな感じですよね。
今までとは違う事をやるのが面倒くさい。今までとは違うことをやると結果がどうなるか分からないから怖い。それが本音。
けど「面倒くさい」とか「怖い」とかじゃ格好悪いので、「自分は悪くないんだぞ」と精神安定を図るために「そんな時間はない」と言ってみたり、相手のせいにしてみたりしているんでしょう。無自覚でしょうけどね。
自分の本音を理解し、本音を素直に口にするのが一番なんですけどね。
2本目
子供の頃は分からなかったけど、大人になって分かったこと。B級の頃には分からなかったけど、A級になって分かったこと。
そういったことが色々とあります。
皆様もあると思います。「あの時、親はこういう気持ちで言ってたんだな」「あの時の先輩はこういう気持ちだったのか」「あの時あのA級が言ってたのはそういう意味か」などなど、昔は分からなかったけど今なら分かるってこと。
「昔は理解できなかった」というだけでなく「昔は反感を覚えた」ということも多いですよね。昔は反感を覚えたのだけれど、今になれば共感するようなこともある。
かつては反感、今は共感。反感が共感に変わった理由が「自分が成長したから」だったら良いんですよ。かつては幼稚な思考だったから反感を覚えていたが、大人の思考になって理解が出来るようになったというパターンならいい。
駄目だなと思うのは、自分も堕落したからこそ共感できるようになってしまった場合です。
ビリヤード例での最たるものが「自分さえ楽しければ、それでいい」という考え方です。
私がまだ20代だった頃だと思いますが、一回り上のベテランさんから「昔は自分も業界を変えようと躍起になったけど、今はそんな熱さはない。自分さえ楽しければそれでいいんだよw」と諭されたことがありました。
私が色々と躍起になっていた頃に言われましたので、それはもう大層な反感を覚えたものであります。
ところが時は流れ、当時のベテランさんと同じような歳になり、私もかつてのような熱さがなくなり「ケセラセラ〜〜」「自分が楽しむことで精一杯ですー」ってなってる。ベテランさんの気持ちが分かってしまった。
分かってしまったんですけど、それを良しとは出来ないです。いい意味での大人ではない。悪い意味での大人。若者向けの歌で「大人になんかなりたくない!」と歌われてしまいそうなこと。
Twitterを見ていると結構多いわけです。駄目な大人が。
「自分が楽しければ良い」を正当化しようとしている人達がいる。「それが大人だよ」「熱くなるのは幼稚」とか言ってる人達がいる。
もちろん、「熱くならず、冷静に物事に対処すべし」なら分かります。それは確かに大人だ。
けど「熱くなっても無駄。日和見してりゃいいんだよ。それが大人の世界だよw」「他の人もみんな一緒だよw」みたいな人はね。駄目ね。ゴミよ。いじめを見て見ぬふりしている人達と一緒。
そういうクズにはなりたくないんだけど、自分もなってきちゃってるんだよなぁ。