鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

手打ちブレイクの罠

 

1本目

 

 

「いや、足が浮いてないってだけで、手打ちじゃないやん、、、」と思わされることを言われたわけです。フィニッシュで右足が浮くことはないが、体重移動はバリバリにしているし、上半身全体を使うような撞き方のブレイクなのに「手打ちブレイク」と言っている人がいまして、「いやいやいやいや、、、」と。

 

でも、ボーニングのブレイクも「手打ちブレイクだ」って言う人いますからね。足が蹴り上がるようなブレイクに比べたらアクションが小さいというだけで、手打ちではないよなぁと私は思います。

 

どうでもいい話なので明確な定義に関してはスルーし続けていますけど、「何をもって手打ちブレイクとするか」ってのは初級者の頃から度々モヤらせられてきました。

 

上のツイートの続編として、こんなツイートもしました。



 

これならまぁ、手打ちと言って良いですよね。本当は完全にヘッドアップを抑えて「プレイのフルショット」という感じで撞きたかったんですけど、ちょっと頭が動いてしまったw 一発撮りなんで許していただたきたい。

 

この撞き方だと、頑張っても30kmが怪しいですね。怪しい上に、意味がない。こんなフォームで強く撞こうとする方が難易度が高いし、体への負担が大きいです。

 

 

これは予め頭の位置を上げて懐を広げておいての手打ちです。こちらも本当は一切動かず撞くつもりだったんですが、ちょっと体が動いてしまってますね。こちらも言い訳は前に同じw

 

後ろに時計が映ってますけども、18時に練習終了という時の残り5分くらいで両方一発撮りしたんで、普段全然やらない撞き方で一発でこれだけ撞けた私を褒めてほしいくらいだ。

 

前者はプレイそのまんまなので「手打ちブレイク」で異論は出ないでしょうが、後者は「プレイの時と違って頭の位置を上げている」という条件があるので、こちらは異論が出るかもしれません。

 

最も厳しい定義だと「プレイのフォームそのままで撞くべし」「上腕も動かすな。肘から先だけで撞くのが手打ちである」と考える人もいるっぽい。

 

ただ、私としては後者のブレイクまでは手打ちブレイクの範疇と考えています。下半身の力は全く使っていません。上半身も腰やら広背筋やら胸筋やらは全く使っていません。肩から先の腕しか使っていない。「プラクティスストロークから撞き終わりまで、腕の筋肉だけを使う」ってのが私的な手打ちの定義です。

 

「腕だけを動かす」だとちょっとニュアンスが変わってしまいます。見た目の上で動いているのが腕だけであっても、実際には広背筋や胸筋を使っているようなこともありますのでね。私としてはそれも手打ちではないと考えます。「腕の筋肉だけを使う」というのがミソ。

 

「色んなところの筋肉を使っているのだけれど、見た目にはそれが現れない」ってことはあります。「全身の筋肉を使っているのだけれど、見た目には全く動いていないように見えて手打ちであるかのように見えるブレイク」をすることにこだわっている人もたまに見かけますが、あれも私としては「手打ちブレイク」ではないw 「手打ちのように見えるブレイク」ですね。

 

いや、まぁほんとどうでもいい話ですねw 

 

  • 手打ちブレイクのイメージが、人それぞれに結構違う
  • 時々「手打ちって言ってるけど、それ手打ちじゃないよね」とモヤモヤさせられることがある

 

と言いたいだけのネタでした。

 



2本目

 

1本目のネタとは全くの別日に全く別のきっかけがあって書いた話なのですが、手打ちブレイク繋がりです。

 

とある下級者のブレイクの方針を聞き、私は「あー。。。私にもそう考えていた時期がありました」と苦笑しておりました。

 

彼の話の内容をざっくりまとめれば「手打ちで良いブレイクをする」です。

 

私が言いたいことを簡単にまとめますと、手打ちブレイクを自称する人のほとんどが「『手打ちブレイクをすること』が目的になる」という病気にかかりがちであるということ。

 

どんな撞き方をしようが、結果が出ていれば良い。「誰もが認める結果」でもいいし「自分が求める結果」でも良いですけども、なんにせよ撞き方なんてのは手段でしかなくて目的ではない。

 

けど、手打ちブレイクを自称する人は、手打ちブレイクすることが目的になりがち。

 

「手打ちブレイクをする」が枷になってしまう。その枷を外せばもっと簡単に撞けたり、もっと良い結果が出たりするかもしれないのに、「手打ちブレイクをすること」にこだわってしまう。

 

せっかくいい結果が出ているのに「手打ちじゃなかったから」でやめてしまうなんてことも。本末転倒です。

 

最終的に手打ちになるにしても、「良いブレイクをするために手打ちで撞く」ではなく、「良いブレイクをしようと試行錯誤していたら、手打ちになっていた」が正しい流れでしょう。



ハードブレイクにしても手打ちブレイクにしても、こだわらない人からしたら「それをやって、何の意味があるの?」としか思えないわけですよね。「そんなに強く撞こうとしてどうすんの?」とか「そんなに手打ちにこだわってどうすんの?大事なのは過程じゃなくて結果でしょ?」となる。「手打ちでハードに撞きたい!」となったら、ますます意味が分からないと思うはずw

 

というわけで、元ネタになった下級者に言いたかったのは(というか言った)「結果を求めるならば手打ちであることにこだわらない方が良い(手打ちの方が結果が出るのならば、もちろん手打ちでいい)」「もし『手打ちが好きだ』というのであれば、意味があるかのような言い方はせず、素直に『好きだからやっている』と言うべし。その方が敵を作りにくい」ということでした。

 

  • 手段を目的にするな
  • 本音を自覚するべし。建前を口にするべからず

 

まとめてしまえばこの2つですね。



 

3本目

 

「手打ちで良いブレイクをする!」にしても、私のハードブレイク好きにしても、「こだわり」って大体が悪い方に作用するよなーとよく思います。

 

「こだわり」っていう言葉には、良い意味も悪い意味もありますよね。元々は良い意味合いはなかったそうです。「ささいなことにこだわる」と言うような、悪い意味合いしかなかったそうな。それが今ではどちらかというと「こだわりの一杯」のような、良い意味合いで使われる事が多いですよね。

 

ビリヤードで「こだわり」という言葉が出る時は、少なくとも「結果を出す」「勝負に勝つ」という面においては悪いこだわりであることが多い気がします。

 

たとえば私のハードブレイクへのこだわりがそうだし、2本目でネタにした手打ちブレイクへのこだわりも同じ。

 

「道具へのこだわり」も、トッププロのこだわりはいい意味あいですけど、アマチュアの道具へのこだわりって大体が迷走じゃないですか(笑) 悪い意味合いが強い。

 

フォームに拘る、ストロークに拘るってのも良いイメージが湧かないし。

 

固執する」が多いんですよね。

 

「結果は出ないけど、好きだからいいんだよ」と思ってるならまだ良くて、全く意味がないことに固執して「こうした方が結果が出るんだ!」と思い続けてしまうのが一番勿体ない。

 

好きこそものの上手なれといいますけど、ビリヤードの場合は結果に結びつかない「好き」のせいで成長を止めてしまっているパターンが物凄く多い気がします。