鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

バランスを取りたい

 

  1. 天邪鬼ではない
  2. どちらかというと天邪鬼ではない
  3. どちらかというと天邪鬼である
  4. 天邪鬼である

 

私は、この4択だったら3くらいです。天邪鬼ではないと言えば嘘になるというか明らかに天邪鬼なんですけど、どうしようもないほどでもないと思っております。

 

そんな私ですが、天邪鬼だと思われかねない発信をすることが多々あります。世の多数派意見に逆らうような意見をぶつけることがある。

 

そこにはハッキリとした意図がありまして、バランスを取りたいのです。野党の役割みたいなもんと申しましょうか、ろくな議論も行われないまま一つの方に意見が集約してしまうのは非常に危険であるという思いがあるので、あまりに世の意見が一方に傾倒していると感じた時には逆からの意見をぶつけています。

 

そうやってバランスを取ろうとしておりますと、時には矛盾するかのような物言いをするはめになることがあります。

 

矛盾しているのは私ではなく世の中の方で、ある時にはA案が多数派だったのに、しばらくしたらB案に傾倒していたりする。

 

A案が多かった時には私はバランスを取るためにB案を提案し、B案が多くなりすぎたらA案をチラつかせたりする。

 

そんなことをしておりますと「矛盾している」と言われてしまったりするわけですが、矛盾しているつもりはございません。「バランスを取る」という点で一貫しておりますので。



「『A案とB案』どちらが良いのか」という問いかけがなされた時、私自身としては「正直どっちでもいい」ってことが多いんですよ。

 

5:5でどっちでもいいってこともあるし、「7:3くらいでA案推しではあるけれど、どうしてもというほどではない。B案推しが多数派ならばそっちに寄せる」ということも多い。

 

私が嫌うのは「ほとんど何も議論されないまま物事が進む」ってことです。A案とB案のどちらが良いのかしっかり検討された上で結論が出されたのであれば、私はAでもBでもどっちでも良い。

 

けど何も議論されないまま決まったのであればAでもBでもどっちでも嫌なのです(;´∀`)

 

ですので、何も議論されずAに流れそうになった時には「Bという意見があるぞ」と言い、何も議論されずにBに決まりそうになった時には「Aという意見があるぞ」と私は言う。その行動が「矛盾している」と指摘されてしまうこともあるのですが、矛盾ではないのであります。



ビリヤード業界に限った話ではありませんが、大衆の意見ってとても流動的であると感じます。

 

ある時にはA案推しが多数派だったのに、しばらくして同じ話題が挙がった時にはB案推しが多数派になっていたりする。

 

B案推しが多数かと思いきや、有名プロが「自分はAを推す」と言っただけでコロッとA案推しが圧倒的多数派になったりする。

 

大半の人は深い意見を持っていない。その時その時の雰囲気でコロコロと意見が変わる。

 

また、確固たる持論を持っている人の中にも意地になっているだけの人が多い。深く考えた上で持論を固めたわけではなく、直感的な意見を口にし、そして「一度出した意見は引っ込められない」「これが俺だ!」と意地になっているだけって人が少なくない。

 

ほとんどの人が、熟慮ということをしていない。

 

当たり前だと思うんです。だってビリヤードって趣味なんですもの。

 

仕事のことやら家庭のことやら色々やることがある。ビリヤードの練習に割く時間だってそんなに充分には取れないのに、業界のあれこれのことなんて考えている暇は無い。そんなのは自分の役割ではない。誰か偉い人がやってくれ。ってのが、ほとんどのプレイヤーの心情でありましょう。

 

恐らくは政治に関しても同じなんでしょうね。「興味ないし考えている暇もない。偉い人がなんとかしてくれ」っていう。そうして、世の流れに身を任せたまんま開戦に加担しちゃったりする。「自分は関係ない」「考えている暇はない」「誰かがやってくれ」と考える気持ちは非常によく分かるんですけど、最も危険な思想であるという自覚も必要ですな。



まぁ政治なんていうデカい話と違って、ビリヤード業界の場合は業界が上手く回らなくたって一般アマにとっては大した影響はない。だからなおのこと他人事だと思ってしまう人が多いのでしょう。

 

何かしらのキッカケがあって一時的に意見が飛び交うことがあります。しかし一時的なもので終わってしまう。ほとんどの人が「ブームに乗っただけ」だから。

 

「話題になってるから、自分も乗っかって意見してみる」というだけで終わってしまう。ただの流行り。ただのエンタメ。その場限りで消費されてしまう好奇心。継続的に議論が続けられるということがない。

 

「場がない」というのが一番の問題かなぁという気がします。議論をするための場がない。

 

昨今はSNS上で多少は議論が出来ますけど、しかしまぁ所詮はSNSです。深い話は出来ない。ただの消費されるエンタメ。

 

もっと継続的にしっかり議論が出来る場があれば良いんですけどね。って、だいぶ昔から同じこと言ってますね(;´∀`)

 

結局は、人材不足が問題ですね。

 

そういう場を作るために私が尽力するという選択肢もありますが、私にはそんな力はないし、時間の余裕もないし、そこまでの熱量もない。「言うだけ」しか出来ない。結局は私も今日書いてきたような「他人事としか見ていない」側の人間です。ほんのちょっとだけ一般的な人よりは熱量が高く暇な時間が多いだけで、何かを変えられる側の人間になれるほどではない。

 

この業界、こうも長いこと何も変わらないとなると、小さなことからコツコツとやって「いつか何かが変わることに期待!」では、たぶん変わらん。

 

突然変異的に力と時間を持った人が登場してくれることを願うか、外的要因によって突如としてビリヤードが注目されることを願うか。どっちにしても運頼みですな(;´∀`)