鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

見栄っ張りはツラい

私にも私なりの自己評価というものがあります。「自分のビリヤードは大体こんな感じ」というイメージがあります。


その自己評価よりも低い評価をされたらやはり嫌ですし、かといって過大評価をされてもハードルが上がってしまうので嫌。


上も下も嫌で、やはり自己評価と同程度の評価をしてもらえるのが一番落ち着くのであります。


「他人からの評価なんて気にしない」と思えるほど大人ではないけれど、自己評価以上に大きく見せたいという気持ちもない私は「自己評価と同じくらいの評価をしてもらいたいな」と常々思っております。


とはいえ、自分を大きく見せる気はないが、下に見られるのは嫌。どうやらその気持ちはかなり強いようであり「自分は見栄っ張りである」と考えております。


具体的な店の名前を出すとハードルが上がってしまうので某店としておきますが、某店で練習していたある日「我ながら見栄っ張りだなぁ」と思う出来事がありました。


その店では、自分は良い評価をしてもらえています。その店と相性が良いのか何なのか、そのお店のハウストーナメントでは高確率で好成績を上げられており、優勝も何度か。


そのおかげでスタッフさんからも常連さんからも良い評価をもらえている。若干、過大評価気味。


そんなお店で練習していたわけですが、非常に気持ちが楽でした。見栄を張る必要がないからです。


見栄を張る必要が無いと、練習したいことを素直に練習出来ます。

 

練習とはミスをしてナンボです。


もちろん、試合前などに行う調整のための練習時にミスを連発してたらいけませんが、平時に行う地力を上げるための練習は、成功させられるショットばっかり撞いていても意味がない。ミスしがちな球を練習するから意味がある。そういう意味での「ミスしてなんぼ」であります。


しかし、しばしば私とI氏の共通点として挙げておりますが、人の目を気にしてしまっている時は、ついつい成功させられるショットばかり撞いてしまうのであります。


「ミスをしたら格好悪い」「ミスをしたら下手だと思われてしまう」


それを気にして、得意なショットばかり撞いてしまう。一体何のために練習しているのか分からなくなります。


その点、某店では見栄を張る必要がありません。一定以上の評価をもらえているから。


たとえ練習で派手なミスをしてしまっても「きっと難しい練習をしているんだろうな」「何かしら新しいことを試しているんだろうな」と分かってもらえる。少なくとも「皆様にはそう思ってもらえているに違いない」と私が思い込むことが出来るわけです(笑)


なので伸び伸びと練習出来ました。ブレイクでは2回もミスキューをしましたが、なんら気にせず練習を続けておりました。

 

しかし、途中で見知らぬ常連さんが入ってきました。その瞬間から私の見栄っ張りスイッチが入ってしまったのです。


私も相手もお互いを知らない。評価0の状態です。そして、チラチラとこちらを見てくるその人。


それが気になって確率の高い選択しか出来なくなってしまいました。ブレイクも、当てに行くだけの撞き方になってしまった。ほんっっと馬鹿。見栄を張り過ぎです。

 

その日は「伸び伸び→縮こまり」という変化があったので、改めて「自分は見栄っ張りだなぁ」と感じることが出来たわけですが、改めて考えると「縮こまり」の方がデフォルトのようです。「伸び伸び」を感じたのが久しぶりだった。


普段は、縮こまり、周りの目を気にしまくり、見栄を張りまくりながら練習してる。非常に効率が悪いです。


私みたいなメンタル弱者は練習環境を選ばなきゃいけないなぁと改めて感じた出来事でありました。