1本目
昨日ネタにしたように、平撞きブレイクにて「フィニッシュの形で構える」を採用し始めた私ですが、強く撞くこととコントロールの関係性についてを考えていました。
ハードブレイクは特にですが、プレイのハードショットも「強く撞くと、コントロールが不安定になる」ということが多いですよね。
そして「コントロールを失しない範囲で強く撞こうとすると、あまり強く撞けない」にもなりますよね。
両立しない。どっちかを伸ばすには、当面の間は、もう片方を犠牲にするしかない。痛みを伴う改革をし、将来的に上手くバランスを取るしか無い。将来的には「両方が向上した」ということになっても、目先ではどちらかが悪くなる。そういうことが多い。
他方で「コントロールを意識していたら強く撞けるようになった」とか「強く撞く練習をしていたら何故かコントロールが良くなった」ということもあります。1つの意識が、強さとコントロールの両方に良い影響を与えることもある。
「ヘッドアップ抑制」なんかは好例だと思います。ヘッドアップを上手く抑えられれば、コントロールは良くなるし、強く撞きやすくもなりますからね。「両方に効果がある」という場合もある。
そして、今回の「フィニッシュの形で構える」なんかは、コントロールは良くなりましたが、パワー面では現状維持です。強くなってはいないが、弱くなってもいない。コントロールだけが良くなりました。
「一方だけに効果があり、もう片方には影響が無い」もある。
強さとコントロールの関係を見た時
- 両方に良い影響が出る
- 一方を改善しようとすると、もう片方に悪影響が出る
- どちらか一方にしか作用しない
この3パターンがあるようです(両方に悪影響がある場合も当然ありますが、割愛ですw)
どれか1つしかないかのような物言いをする人にしばしば出くわします。
私が出会うことが多いのは「『両方に良い影響が出る』しか存在しない」と思い込んでいる人です。
「コントロールを求めれば強くも撞けるようになる。強く撞けるようになればコントロールも良くなる。コントロールを失しているということは強くも撞けないということだし、強く撞けないということはコントロールも悪いということだ!」みたいな主張をする人にちょくちょく出くわします。
「そういう時もある」というだけで、全てがそうというわけではないですよね。
2本目
今シーズン、推しのプロ野球チームの試合を観戦しに4回球場へ足を運んだのですが、全敗でした。ダントツ最下位のチームとの対戦ですら敗けた。
2020年度21年度とコロナの関係で一度も観戦に行きませんでしたが、19年度は5回見に行って1勝4敗だったことを覚えています。
ここまでの低勝率となると「チームのためにも、自分が見に行かないほうがいいのではなかろうか」と思えてきますね。自分がチームの不運を呼び込んでしまっている気分になる。
さて。年に4〜5回程度の観戦となると回数が少なく1回1回が記憶に残るので、勝敗をしっかり覚えることが出来ます。なので「自分が見に行った時は負ける」というのが被害妄想ではなく事実として認識出来ます。
一方でたとえば「天気予報って、当たってほしい予報は外れ、はずれてほしい予報は当たる!!」みたいなやつって、単なる被害妄想な可能性が高いわけですよw
「来週は晴れ予報だ。やった!」と思ったら、雨予報へと変わり。「来週雨予報だけど、ま、まだ先のことだし、どうせ外れるでしょ」と思ったらそのまんま雨、みたいな。ありますよね。そういうこと。
でもそんなの逐一記録しているわけではない。「当たってほしい予報が、そのまんま当たった」とか「外れてほしい予報が、期待通り外れて好転した」とかいうことだってあるはずです。
フロックなんかもそうで、自分のアンラッキー、相手のラッキーは記憶に残る。けど、自分のラッキー、相手のアンラッキーは記憶に残りづらい。だから「自分は運が無い!」とか「相手が太かった!!」とか思ってしまうことがありますが、それなりの期間(半年なり1年なり)フロックの出した出されたを記録し続けてみれば、たぶん出しつ出されつという結果になるんじゃないでしょうかね。
大体が被害妄想だと思います。
問題は、いざ本当に統計を取った時に「自分は本当に不運であった」と裏付けされてしまったらどうしようか、ということです(笑)
そういう時は神頼みですね。お祓いにいきましょう。