1本目
自己評価というものは、周りの人と比べての相対でしか判断出来ませんよね。
そうである以上は、周りにどういう人がいるのかが大きく関係するわけです。
クラス分けに関して、常連客のレベルが押しなべて高い店の場合はどうしてもクラスの境目が上がりがちだと思います。「あの人がBなんだから」「あの人でさえAで苦労してるんだから」などと考え、BとAの境界線がかなり高い所に設定されてしまうでしょう。
逆に、レベルの低い店ですと「あの人でもAなんだから」「B相手だと負けることがないから」と言った感じになって、BとAの境界線が低めに設定されるんじゃないでしょうか。
「Aクラスを名乗れるのは〇〇名まで」などという人数制限があるわけでもなし、一定のレベルを越えていれば誰だってAになって良いわけですから絶対評価であるべきなのですが、しかしその「一定のレベル」の基準が明確でない以上、どうしても相対評価になってしまう。周りのレベルに大きく影響を受けてしまう。
環境依存を減らすためには「周り」を物凄く広げればいい。たった1つ2つの店のことしか知らないと環境に大きく影響を受けてしまうけれど、多くの店のこと、多くのプレイヤーのことを知っていけば自ずと境界線のイメージが平均化されてくるはずです。
さて。ここからは倫理、、、じゃなくて毒です。
完全に特定の何人かを頭に浮かべておりますが、「熱量が自分よりも高い人と付き合うのは疲れてしまう」「自分以下の人とだけつるんでいたい」と考える人が一定数います。ビリヤードでも、ビリヤード外でも。自覚を持っている人も、自覚のない人もいる。
自覚のない人なんかは、知らず知らずのうちに好んで自分以下の人とだけ付き合う。自覚がないだけに、自ら進んで自分以下の人としか付き合っていることに気づかず、周りを見渡して「自分は普通である」なんて考えてしまう。
ちょっと前に「調子が良い時にしかやらないボウラードの平均」なんて話をしましたけど、それと似たような話ですね。「自分以下の人達の中では、自分は普通」っていう。そりゃ、自分が普通に思えるような人達としかつるんでないんだから当たり前っていう話になってしまう。
自分より上ばかり見ていると疲れてしまうというのは、確かにそうです。しかし、自分以下ばかり見ていたら怠けてしまう。成長出来ません。
上から下まで満遍なく把握した上で、普段目を向けるのは今の自分よりもちょっと上くらいの人。私はそういうスタンスで生きております。
出来る限り多くの経験をし、多くの人と出会い、上から下まで色んな世界を見てこそ、絶対に近い相対評価が出来るようになる。
多くの場に立て
これが一番のアドバイスだよな、って常々思っています。
「場数を踏め」とも言えますけど、ひとえに場数って言っても、「同じ人と100回相撞きする」ってのと「20人の人と5回ずつ相撞きする」「50人の人と2回ずつ相撞きする」「100人の人と1回ずつ相撞きする」ってのじゃ、入ってくる経験が全然違うはずです。
場数にも踏み方がある。場を踏んだ回数よりも、場のバリエーションの方が大事な気がします。
ま、多くのバリエーションを多くの回数踏むってのがベストなのは間違いないので「両方」ってことになりますけど(笑)
2本目
Bクラスの方に不快感を与えてしまう可能性があるネタです。ご容赦を。。。
「上手い」が具体的にどれくらいのレベルを表すかに個人差がありすぎるから、要注意!っていうネタを度々書いておりまして、今回もそれです。
今までに挙げた例としては
例1
甲「そんなんじゃ上手く(タイトルを取れるようなレベルに)なれないよ!」
乙「そんなことはない。ちゃんと上手くなっている!!(先週の自分よりは今日の自分の方が上手い)」
例2
甲「とにかく上手くなりたい(普通のB級くらいにはなりたい)ので教えてください!!」
乙「その意気やよし!上手く(Aクラスに)させちゃる!」
こんな感じでしたでしょうか。
おのおのがイメージしている「上手い」「上手さ」が違うから、噛み合っていない。すれ違い過ぎているのであります。
「上手い」なんていう抽象的すぎる表現を使わず、もっと具体的に言い表すですとか。お互いが噛み合っていない可能性を考慮して、しっかり話し合うですとか。噛み合わないような相手とは、そもそも同じ場に立とうとしないとか。
何かしらの対策は練るべきでありましょう。
で、今回の出来事も結局は同じ話なんですけど、こんなことがありました。
例の「球が上手けりゃ偉いのか?」というセリフをまたしても見かけたのですが、そこで具体的に挙げられていた蛮行が「確かにそれは駄目」「人として駄目」「そんな人もいるんだなぁ」「そういう人を見かけたんだったら、そりゃ腹を立てても仕方がないなぁ」と思える内容でした。
私は先入観により、槍玉に挙げられているのはAクラスプレイヤーだと思い込んでいました。なので「そういうAクラスもいるだろうけど、全員が全員そうだと思わないでほしい」「そういう人もいる、ってくらいに思っておいてほしいな」と思いました。
ところがですね。
「球が上手けりゃ偉いのか?」と言っていた人がCクラスで。槍玉に挙げられていたのがBクラスだったということが判明。
上手くないじゃん!!!!
そうかそうか。「球が上手けりゃ偉いのか?」案件の「上手い」ってのは、相対的なものだったのか。
思えば、私だって「上手い」と思うのはSAやプロの方々など「私よりもずっと上手い人」なのだから、「球が上手けりゃ偉いのか」でも同じで当然だったのかもしれん。
私の経験的に、「球が上手けりゃ偉いのか?」案件で具体的な人物名が挙げられている場合は、その人物が最低でもAクラスでした。SAやプロの名前が挙がることも。
私と同じくらいのレベルの人の名前が挙げられることもあり、「あの人って『上手い』のか?」と思うことがしばしばありましたが、少なくともBクラス以下の名前が挙がることは無く。
そのため、SNSなどで具体的な人物名が挙げられることなく「球が上手けりゃ偉いのか?」という発言がなされている時、私は過去の経験から自然とAクラス以上のプレイヤーを頭に浮かべていました。が、今回はBクラスの話だった。
Cクラスの人からしたら確かにBクラスは「上手い」ってことになるんでしょうけど、私からしたら「球が上手けりゃ偉いのか?」じゃなくて「球が上手くもないし、人間性もクソ」っていう案件なんですけど(;^ω^)
「球が上手けりゃ偉いのか?」「あの人、球は上手いけど、人間性が駄目だよね」なんて話が出た時の「上手い」は、どれくらいのレベルから???
話し手のレベルに依存するんですねぇ。そうかそうか。相対的なものか、、、
やはり「上手い」がどれくらいのレベルを指しているのかで、イメージが全く変わってきますね。。。