数か月前にブログを移行しまして、今までになかった機能を色々使えるようになったのですが(前の方が便利だったこともありますけども)1つに、自動的に文字数を出してくれるってのがあります。
いつもワードで下書きしてから載せてるのでワードの方でも見ようと思えばいくらでも見られるんですが、全然意識しておらず。ブログの方では編集画面の右下に常に表示されているので、意識せずとも目に入ってきます。
で、日々やったらと長い私のブログですが、私が「これくらいがこのブログの平均的な長さかなー」と感じた時は、大体4000字台です。5000字に届かないくらい。
しかし今日はなんと8442字だそうです。
倍や!!
という、長い3本立て。
1本目
キューケースをテーブルの上に置いても良いのかどうなのかという話をしたいのですが、先にキューの方の話を。
まず先に言っておきますと、私はキューの件もキューケースの件も、正直あんまり深い思いがないです。こだわりがない。
一応の持論はあるけれど、それを押し通す気は全く無いし、変えろと言われたらいくらでも変えられるくらいの思いしかないです。ほぼ中立。
おかげさまで、よく言えば客観的、悪く言えば他人事。だいぶ冷静に皆様の意見を見ていました。
キューに関して、キューケースに関してのアンケートの開始日にもちょろっと書きましたけど、「隣の台の上にキューを置く」は良いのでしょうかダメなのでしょうか。
「隣の台も借りているのならOK、借りていないならNG」というご意見をいただきました。
そうそう。私もそれです。
この件を再考していて思いましたのは「やっぱ育った環境、日頃接している環境の差が出るよなぁ」ってことでした。
・借りてるならOK、借りてなくてもOK
・借りてるならOK、借りてなかったらNG
・借りててもNG、借りてなかったらもちろんNG
の3パターンの意見が考えられますよね。「借りてたらNG、借りてなかったらOK」はさすがにいないかなと思いますが、、、
前回はこのパターン分けをまず頭に入れていませんでした。前回は「隣の台は借りていない」という前提で話をしておりました。
というのも、私の球撞き環境的に「借りているけれど使っていないテーブルが隣にある」というシチュエーションが滅多にないから、パッとそのシチュエーションが浮かんで来なかったのです。
繁盛店で球を撞くことが多いので、使いもしないテーブルを借りているってことがそうそうない。借りていても使わなくなったら返すってのが私の中での常識なものですから、「隣の台は借りていない」を前提として話をしてしまっていました。
この時点で環境の差が出でいますよね。使っていない借りているテーブルが隣にあるっていうシチュエーションが当たり前のようにあるっていう人も多いはずです。
私の場合は、基本的に隣の台は自分達では借りていない台。なので私が隣の台にキューを置かない理由として「いつ隣の台に客が来るか分からないから」を挙げたわけです。
サンビリなんかは、平日であれば隣の台に客が入ることはあまりありませんので、「いつ隣の台に客が来るか分からないから」を想定する必要はないかもしれません。でも置かないかなぁ。
「初級者の頃に周りが誰もやっておらず、その影響で自分もやってこなかったから馴染みが無い」というのが最大の理由だと思うんですよ。私にとっては。
3本目でネタにしていますが、初級者の頃から慣れている(初級者の頃に習った)ことって「何故か」を考えたことがなく、改めて理由を聞かれてもハッキリとした理由が思い浮かばないことって多いと思います。私にとってはこの件もそう。
というわけで私が隣の台にキューを置かないのは「初級者の頃からそうだった」が最大の理由なのですが、でも多分どこかに「店員や他の客に対して申し訳ない」という気持ちもあると思います。
自分が借りているわけでもないテーブル。店員さんがせっかく掃除をしたテーブル。その上にキューを置く。よろしくないかな、と。
Z氏がレストランをたとえに挙げてましたけど、確かに自分のテーブル上の物が邪魔だからって使われていない隣のテーブルには置かないですよね。
あ、でも、居酒屋だったら置いちゃうかもしれない。高級レストランだったら絶対にやらない。
球屋をどっち寄りでとらえているかの差が出る。。。?w
自分が入店して、案内されたテーブルに誰かのキューが置かれていた時。私は気にしません。「あ、すみませーん」と置いていた人がドケてくれたら全く構わない。
けど、キューを置かれているのは嫌!って人がいそうってのも容易に想像できるので、私は置かないです。
自分が借りている台でしたら、店員さんはどうせ後で掃除するし、客がやってくることもない。なので、借りている台だったらOKかなと。
そういうわけで私は「借りている台ならOK、借りてなかったらNG」ってのが一応の持論になります。
借りてなかった場合は、そのテーブルに入ってきた客や店に申し訳ないということで隣の台にキューを置かないわけですが、しかし「絶対にダメだ!!」と思うほどの拒絶感もないので、何かしら大きなメリットがあればやっちゃうと思うんです。
たとえば動画を撮った時には「カメラに映りたくない!」という理由で、隣のテーブルにキューを置きました。メリットがあるからやった。
しかし、普段はメリットが無いんです。
この間、サンビリで仲間内トーナメントをやった時は4台借りておりまして、使わないテーブルが出るというシチュエーションになりました。何人かの方は使っていないテーブルの上にキューを置いていました。
私は置いていませんでしたw
繰り返しになりますが「テーブルの上にキューを置くという文化が自分の中に根付いていない」が最大の理由なんですけど、置く理由がいまいちピンと来ないってのもあります。
隣の台にキューを置くことのメリットとは??
推測して途中まで下書きしてみたんですけど、せっかくなのでTwitterで皆様に尋ねてみました。
そうしましたら、いくつかの理由が出てまいりました。
一番多かったのは「倒される(倒す)ことを避けるため」でした。
キュー立てに置いておくと、ともすれば倒れてしまう。テーブルの上に置いておけばその心配がない。
さらに細分化していくと、いくつかの条件があるようです。
・粗相をする人がいる
周りが見えていないのか空間把握が出来ていないのか、やたらとキューを倒す人。そういう人が身近にいると、確かにキュー立てには置いておきたくなくなりそうです。
コメントでは、1試合の中で同じ相手に3回キューを倒された経験があるとの声も。。。そういう経験があると、身近に粗相をする人がいなかったとしても、普段から気になっちゃいそうですね。
また、プレイ中のハードショットやブレイクなどで、ボールを場外に飛ばしまくる人がいても怖いでしょうね(ブレイク場外で、テーブルの上に置いてあったキューを真上から強襲!!なんて事故、経験ありますかね?世界のどっかではありそうだな)
この辺は「粗相をしまくるプレイヤーが店にいるか」もそうですし、一般客が多いか少ないかも関係してきそう。
また、ブツかってキューを倒すという事故は、やはり狭い店の方が起こりがちでしょうから、台間の広さ狭さも関係してきそうですね。
・キュー立てが足りない
これは私もしばしば経験するので、容易に想像が出来ました。
そもそもキュー立てが無い店もありますし、あっても数が足りなくて2人分すら置けない店もある。
また、相撞きする分には充分な数のキュー立てがあっても、多人数撞きする場合には足りなくもなるでしょう。
置くところが無いから隣のテーブルに置く。これは分かりやすい理由かなと。
ちょっとした余談ですが、携帯用のキュー立てってあるじゃないですか。キューケースに入れておいて、いざという時にサイドテーブルの上に展開してキューを立てかけておけるアイテム。
私は持っていないですが、あれは便利だなーと思っています。
けど「あれの用途が分からない」「持つ意味が分からない」「キュー立てが無ければ壁に立てかければ良い」って言っている人がいて「価値観の違いだなぁ」と思いました。
たぶん今これを読んで「壁に立てかけるなんて、倒れるのが怖い!!」って思った人は多いと思います。
私の場合はまた別でして「壁に立てかけると、キュー先が壁に当たって、壁が汚れてしまう」という理由が大きかったりします。
店によっては、壁一面がチョークで汚れてて、店の側も汚れを全く気にしていないようなところもありますが、私が育った店は綺麗だし、店主が汚れを気にするし、立てかけられがちな壁にはメンディングテープを貼るなどして汚れから保護をしているような店です。
そういう店で育ちますとこっちも自然と「壁は汚しちゃ駄目」という意識がつきますから、他の店に行っても壁に立てかけようとは思いません。どうしてもという時は、キュー先が壁につかないようになんとかバランスを取ろうとするw
ここら辺もやはり、育った環境の違いによる意識の差は大きいのかなと。
・床の材質
これも推測がしやすい理由ですね。
床が滑りやすく、キューが倒れやすいような場合はキュー立てに置いておくのが怖いとのこと。
また、硬い床(板張りであったり、コンクリートであったり、人工大理石であったり)であった場合は、万が一倒した場合のキューへのダメージを考えて、キュー立てに置くのは怖くなりそうです。
バグースの某店舗は、元々の床があまりにもビリヤードには向かない硬い床だったからってリフォームしてましたね。「某」と伏せたのは、私自身が「どこの店舗だったっけ?」って忘れてしまったからw
・レイアウトの関係
店舗のレイアウトによっては、「いちいちキュー立てまで戻っていると時間がかかる」「隣のテーブルに置いておいた方がスムース」って場合もあると思います。
こういうのって、撞き慣れた店のレイアウトを頭に浮かべて考えちゃいますから、他店のことを想像するのって難しいですよね。
私は色んな店に行くのですが、中にはキュー立てまでが遠かったり、キュー立てまでの道中が険しかったり(人の出入りが多いなど)する店があるので、この件に関しても推測出来ました。
店によっては、1台のテーブルに対して複数個所にキュー立てを設置しているところもあります。便利ですね。ただこれもレイアウト次第。出来る店と出来ない店があることでしょう。
・キューの値段や材質、愛着
壊れやすい素材が使われていたり、そもそも高価であったり、「値段じゃない。愛だ!」と思ってたり、なにはともあれ「ボールをブツけられたくない」「倒されたくない」という思いには人によりけり差があると思います。
しばしば、キューへの愛着とかじゃなくて、単純に倒されたという行為を自分に喧嘩を売られたものだと思って頭に血が上ってしまうような短気な人もいますけども、、、、
以上、いただいたコメントをもとに書いてみましたが、私が推測した理由も1つ付け加えておきます。
・キュー立てに置いたキューがプレイヤーの邪魔になる頻度が高い
台間やキュー立ての位置次第では、キュー立てにキューを置いておくと、頻繁にプレイヤーの邪魔になる場合があるんじゃないでしょうか。粗相をする人がいたとしたらそれこそ1ラックに1回くらい倒されちゃうくらいの。普通の人だったら倒さないけれど、1ラックに1回くらい撞くのに邪魔になるからって移動させなきゃいけないような台間とキュー立ての位置関係だった場合。
あまりに頻繁にキューが邪魔になるから、キュー立てには置かずテーブルの上に置くってのは理由として挙がりそう。
とまぁ、キューをテーブルに置くメリットはこんな感じ。
私はといえば
・周りに粗相をする人がいない
・普段行く店には充分な数のキュー立てがあるし、足りなくなるほどの多人数撞きも滅多にしない
・カーペットの店が多く、倒れづらいし、倒れてもさほどダメージが無い
・なので、倒されることをあまり気にしないし、そもそも倒された経験がほとんどない(歴の中で5回も無いと思うが、気にしていないから覚えていないだけかもしれない)
・ちょっとの傷は気にしないし、気になっちゃうような高価なキューは使っていない
ってことで、キュー立てに置ければ充分と考えてます。
ほんと、日頃の環境次第だと思います。私だって条件が揃えば「倒されすぎぃ!」「倒されるのが怖いから、テーブルの上に置くぞ!」って思うはず。
あーでも、新たに1つ気づいたことがあるんですけど、そもそもの話、待っている間に私はキューを持ってます。手に持ってる。
キュー立てに長らく置きっぱなしなのはジャンプキューやブレイクキュー。一番倒されたくないであろうプレイキューはブレイクをする時しかキュー立てに置かず、手番待ちの時は自分で手に持ってます。
以前に書いたと思いますが「キューを手から離すと、チャンスまで逃げていく」というSA様の教えが私の中にも根付いているものでw
まー、今となっては「チャンスまで逃げていく」だとか、そんなことはほとんど意識してないですけど、プレイキューを手に持って待っていることが癖になってますので、キュー立てに置くことが少ないや。
待ってる時にキューを置いているか手に持っているかってのも、条件に入ってくるかな?
ってことで、頑張って結論をひねり出します。
テーブルの上にキューを置くという事には、ちょっとしたマイナス要素がある。しかし、本当にちょっとしたマイナスなので、何かしらの理由があれば許されるものである。何の理由もなく置くのはNG。
この辺が結論ですかね?
この間
・キュー立ての数は充分に足りている
・滑りづらく、倒してもダメージは少ない床
・周りに客はおらず、倒すかもしれないのは本人か相手かの2人だけ
・キュー立てまでより、むしろ隣のテーブルまでの方が遠い
・隣のテーブルは借りていない
・ほぼずっとプレイキューは手に持っており、隣のテーブルに置いているのはブレイク用に使っているハウスキュー
・隣のテーブルに客が入ったのに、長い間気づかずどかさない
っていう人がいましてね。これはさすがにNGって思えますでしょ?w ここまで条件が揃うのも凄いですけど。
いただいたコメントに「『私は常連である』という雰囲気を醸し出すために隣の台に置く人もいるような、、、」というものがありました。これ分かります。上記した人なんかもそう。
隣の台にキューを置くってのもそうだし、他にもいろいろと「常連ぶろうとしている」「玄人ぶろうとしている」っていう態度が目立つ人ってしばしばいます。
誤解していただきたくないのは、隣の台にキューを置くことがそういう行為であたるという意味ではないです。常連や玄人のモノマネをしているだけで、行動に何も理由がない人ってのがしばしばいるってことが言いたい。
2本目
1本目のキューの話および明日載せるキューケースの話を通じて「他人の気持ちになるって難しいわ」「ってか無理」って改めて思わされました。
キューにしてもキューケースにしても、自分とは逆の意見の人に共感できるシチュエーションってのもあると思うんですよ。特定のシチュエーションにおいては「こういう時なら、確かに自分もそうするわ」って思う場合もあると思うんです。
けど、その「特定のシチュエーション」ってのはパッと頭に浮かんでこないじゃないですか。すぐに浮かんでくるのは、自分が慣れ親しんだ環境、シチュエーションでのこと。
異なった環境やシチュエーションでのことなんて想像しようとも思わないことが多いし、想像しようと思ったって難しい。実際にその場に立たされてみなきゃ分からん。
「試合の時に、こういうコンディションで、こういうシチュエーションになって、こういう相手と撞いている時に、こんな球を撞いて。。。。」なんて話、誰しもすることがあるだろうし聞くことも多いと思うんですけど、ほっとんど伝わらんはずです。「同じシチュエーションに立たされないと分からないよ」としか思えないですからね。
「こんな人に、こんなことをやられて嫌だった」っていう類いの話も、似たような経験がある人じゃないと伝わらないでしょう。他人事なんですもの。
たまにやたらと「分かるー!」って共感してくれる人はいるし、私も他人の話を聞いて「分かるー!」って思うこともあるんですけど、果たして本当に分かってますかね?全く違う方面のことを頭に浮かべている可能性は高い。
言葉で伝えられることには限界がある。同じシチュエーションに立ってみないと分からない。百聞は一見に如かず。他人は他人。人それぞれ。
キューとキューケースの件を発端に、そういう思いが今まで以上に強くなりました。
3本目
「普段どういう環境で球を撞いているか」によって持論は大きく変わり、特に「初級者時代をどういう環境で過ごしたか」は大きいと思っております。
幼少期の経験が後々にまで大きな影響を与えるってのと一緒ですね。
いま下書きしているストロークについてのネタがあるんですけど、それを書きながら思いましたのは「『鵜呑み』『刷り込み』から自分は一歩も成長しておらんぞ」ってことでした。
初級者の頃に身近な上級者から教わったこと。それを鵜呑みにし刷り込まれ、自分では何も考えていない知識が多くあることに度々気づかされます。
改めて「なんで?」と聞かれても「そう教わったから。。。」としか言いようがないっていう。
これ、人の振りを見ている時だと、非常に馬鹿馬鹿しいと思ってしまうんです。
私が「何故」を問うと、相手から「そう習ったからです」「初級者の頃にそう教わりました」という返信が返ってくる。
何の答えにもなってないわけじゃないですか、それって。
その類の返答をドヤ顔でしてくる人も少なくなくて、「あー。この人は自分が情けない返答をしていることに気づいていないんだな」って思っちゃいます。
「私が育った店は非常に素晴らしい店で、あんなオーナーやあんなプロや、あんな猛者がいて、そんな人たちからアドバイスをもらえる環境で私は初級者時代を過ごしたんです。そんな素晴らしい店の素晴らしい上級者から習ったんだから、間違いがない!!」
みたいな気持ちで「そう習ったから」って答えてるのかもしれませんけど、こっちからしたら「自分では何も考えていない人なんだな」としか思えませんからね(;'∀')
あと、これは非常に私的な話ですけど、責任逃れのために「そう習ったから」「〇〇さんがそう言ってたから」と口にしまくる人が身近にいてイメージが悪いせいもありますね。。。
「自分で決めたわけではない」「もし間違っているのだとしても、私の責任ではない」っていうね。。。
しかし、人の振り見て我が振り直せ。自分でもそういう返答をしちゃっていることはたくさんあると思い、反省をするのです。
私の場合、「そう習ったから!」と返す事は少ないです。「そう習ったから」と返すのが格好悪いと考えるがゆえに、無理やりコジつけた理由を答えてしまうことがかなり多いのです。余計に格好悪いw
本当の理由は「昔習ったことを鵜呑みにした」「自分では何も考えてませーーん!」なのに、そう答えるのは恥ずかしいからって、自己正当化のために無理やり後付け(というか、その場で考えた)理由を答えてしまうという。
私は多いですし、皆様もそういうことあるんじゃないでしょうかね?
Aクラスになった今でしたら、誰かから何かをアドバイスされた際には「何故?」まで聞きます。眉唾だと感じる情報だったら特に「なんで?」と聞きますし、信頼できる人からの情報であっても理解を深めるために「何故」を聞きます。
けど、初級者の頃って「何故」を気にしない。気に食わないアドバイスだったら「なぜ?」って聞くでしょうが、信頼している上級者からのアドバイスだと何も気にせず「分かりましたー!」ってなっちゃう。
で後年、理由を気にするも「アドバイスをしてくれた本人は、今はもう近くにいない」「そもそも誰から教わったのか忘れた」「今更聞くのも恥ずかしい」「わざわざ聞くほどのことでもない」などなどの理由で、自分で勝手に推測してしまう。
そして、さらに時間が経つとそれが勝手な推測であるという意識すらなくなる。
アドバイスをしてくれた人が考えていた「何故」と、今の自分が考える「何故」は、果たして同じなんでしょうか?
ドソッポである可能性も、結構高いと思うんですよね。
誰しもやはり自己正当化したいじゃないですか。特に、長年慣れ親しんできた習慣に関しては正しいのだと思いたい。否定されたくない。
だから「なんで?」って聞かれたら、一生懸命に正当化しようとする。
けど冷静になって考えると、自分が口にするのはどれもこれも後付けの理由で、大元は「そう習ったから」とか「みんながそうやってたから」とか「なんとなく」とかで。
口にしている理由が、どれもこれも「なぜ」に対する答えではなく、保身のための理由にしかなっていない。
なんとなーく明日に続く