鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

攻撃される

3本立て

 

 

1本目

 

 

この間、こんなツイートをしておりました。


 

このツイートをしたキッカケはなんだったけかな。早くも忘れてしまったw


それから何日か経ち、ブログの下書き作業をしようとしていたら、下書きネタの中に以下のようなものを見つけました。ツイートしたのとほぼ同じ内容です。定期的に同じようなことをボヤいているもよう。

 


↓下書きしていたネタここから


働き方改革についてのネットニュースを見かけました。


「24時間働けますか」の時代は終わり、短時間でいかに効率的に働けるかが評価の対象になってきているのだと。


この点に関して、私が常日頃から不思議に思っていることがあるんです。


「残業ばっかり」「休みが無い」「給料が低い」だのなんだのボヤき、会社が悪い政治が悪い社会が悪い、もっと改善すべきだと愚痴を言うのに。


いざ、効率的に働いている人を見かけると「仕事してるの?」「サボってんの?」「暇人かよ」などと馬鹿にしてくるっていうね。いやいや、そういう働き方がしたいって、さっき自分でゆーとったやんけ!ってツッコミたくなるやつ。


結局は「自分は苦労してんだから、お前らも苦労しろ」「他人が恵まれているのは許せない」っていう嫉妬なんでしょうかねぇ。


そういう人ってビリヤードやってても、自分より上手い人に対しては「球が上手けりゃ偉いのか」「上級者は頭がおかしいやつばっかり」と言い、自分より下手な人に対しては「上級者を敬え!」「マナーがなってない」などと偉ぶるっていう、なんかもうどうしようもない人間なんですよね。


なにもかもが他の誰かのせい。自分のせいじゃない。


相手を貶めることでしか自分の価値を見出せない人ってのは惨めですよ、ほんと。。。


そして、そんな人たちに目くじらを立ててしまう私も3流を笑う2流なんですよね。自分自身に自信がある1流の方々は、3流の言う事なんて歯牙にもかけませんからねぇ。

 

↑下書きしてあったのはここまで。

 


ここからは追記。


CUE'Sのプロ達の対談コーナーを読んでいて、とにかく頷き、とにかく納得したのでありました。


なぜそうも頷き納得したのかと言えば、私が長年主張するも誰も賛同してくれなかったことを、プロ達は当たり前のことのように語っていたからです。「だよね!」って思ったわけです。


皆々様も「こういう条件の時は、球が撞きづらい」って思うこと、何かしらありますでしょう。


私がそれらを口にしたりブログに書いたりしたとします。ブログネタとしてでもあり、共感してほしいという思いがあってのことでもあります。


しかし、誰も共感の声をあげてくれないことが多く、それどころか「そんなのはただの言い訳」と言われることの多さよ。


歴の中で度々主張してみれど、共感の声は0。たまに「言い訳だろ」の声。


「自分がおかしいのだろうか」と思うこともありましたし、持論に自信は持ち続けながらも鬱憤が溜まったりも。。。


そんだけ長年悩んでいたことを、プロ達はあたかも当たり前のように「こういうことがあると球撞きが難しくなる」といともアッサリ仰っておられる。


なんだよ。やっぱり自分は間違ってなかったよ。普通のことなんだよ。


こうなるとやはり「他人を攻撃する声は大きい」と思わされます。


接客に関して良く言われておりますが、良い接客をされても「お宅のスタッフさんから、とても良い応対を受けました」という褒め言葉をくれる人はほとんどいない。「なんて良い接客だろう」と思っても、思うだけで口にしないとか。はたまた、良い接客をされるのが当たり前だと思い込んでいるとか。


一方で、少しでもミスがあるとクレームを入れてくる人と言うのは多い。相対的に、クレームばかりが目立つっていう。


きっと私の件も一緒で、賛同する人の声は小さく、反対の声は大きく目立つっていう構図なんでしょうなぁ。


反対の声が大きいから、賛同する人たちも「あ、面倒くさい人たちがいる。絡まれたくないから、声をあげるのはやめておこう」って思ってますます声が小さくなっちゃうし。


反対の声は大きいから、反対勢力は「自分たちの意見が多数派である」と勘違いをしてさらに調子に乗るし。

 

冒頭に貼り付けたツイートにある「幸せは必ず不幸に攻撃される」というのは、とある民謡についての解釈に出てくる一節です。


私はツイートの中で「幸せな人は不幸な人に攻撃される」というニュアンスで引用しましたが、実際にはもうちょっと広義な意味合いです。


ビリヤードでたとえれば「毎日ビリヤードが出来て楽しーー!」っていう状態から、仕事が忙しくなったなどで週1プレイヤーになってしまったら、不幸だと感じますよね。


そしてまた毎日撞ける状態になったとしても「また何かあったら週1になっちゃうし、もしかしたら撞けなくなるかもしれない」という不安を抱えながら撞くことになると思います。


そういった状態のことを「幸せが不幸に攻撃されている」と表しており、「だったら最初から幸せなど願わなければいい」という、古い民謡にありがちな、暗い教えに繋がっていくわけです(笑)


ビリヤードも、もっと上手くなりたい、もっとたくさん撞きたい、もっと友達を作りたい、もっと有名になりたいなどなど色んな欲求を皆々様抱えていらっしゃると思いますが、その欲求を少し満たして少し幸せになると、必ず不幸に攻撃されるわけです。


攻撃してくるのが他人かもしれないし、シチュエーションの変化による精神的なものかもしれない。


攻撃をされたら愚痴やボヤきも出ますけども、攻撃はされて然るべきものとして受け止めるしかないんでしょうなぁ。


最初から幸せになろうとしないか。または攻撃に抗う力を持つか。どちらかですな。愚痴を言ってても何も改善しないや。


と言うくせに、愚痴を言い続ける私。ブロガーとしてのキャラみたいなもんなので、お許しくだされ。

 

 

2本目


先月のとある時期、ちょぃとメンタルをやられておりました。


その原因はビリヤードとは全く関係のない所にありまして、人生というもののプレッシャーにやられて、色んな不安に苛まれていたのであります。


その影響がビリヤードプレイヤーとしての自分には何も表れませんでしたが、ブロガーの方には影響が出ました。


私のブログ、まぁまぁ際どいこと書きますでしょう。毒をよく吐く。


結構勘違いされがちなポイントなんですけど、愚痴やら毒舌やらを載せている時は精神状態が良い時です。病んでるから愚痴るんだろうと言われることがあるんですが、逆です逆。


当たり障りのないネタ、特に中身のないネタ、純粋な球ネタなどを載せている時は精神が疲弊している可能性があります。


精神状態が良い時であれば「別に誰かを敵に回したって構わん」「嫌われても構わん」「いざ攻め立てられたとしても、撃退する用意はある」「もし自分が間違っていたと気づけば、素直に謝る。誰にだって間違いはあるさ。人間だもの」と思えるので堂々としていられるので、際どいネタも載せられるのです。


一方、メンタルやられ気味の時だと「こんなネタ、載せちゃって良いんだろうか?」「何か起こったら怖いなぁ」とか考え出してしまうわけです。


人間のメンタルって、夜の方が弱いもんなんでしょうかね?昼は良いんですけど、寝る前とか、夜中に目が覚めた時とか、本当にメンタル弱い。


ブログに関して言えば、夜中に目が覚めた時なんかに「明朝、予約投稿していた毒舌ネタが載るけど、あんなん載せちゃって良いんだろか」と不安になってきて予約を解除。なーーんてことが先月は何度かありました。

 

というわけで、メンタルやられているせいで載せるのに躊躇するネタが多々あるわけですが(だったら、最初っからそんなネタ書くなって話ですけど、需要がありまんねん。。。)メンタル強めな平時であってすら覚悟が必要なのが女性に関わるネタです。


女性に関して簡単に言えるのは「女性よりは男性に比べて筋力で劣る」「ハードショットが苦手である」ってことです。


これに関しては「そんなことを言うだなんて、男女差別だ!!」なんて言われることは無いでしょう。


しかし、他にも「こういう点で、女性はハンデがあるんじゃないか」と思うことがいくつかあり、それらのネタはともすれば「差別だ」と言われてしまうと感じるので、なっかなか載せられません。


男性が書くと、どうしても「女性差別だ」と言われてしまう可能性はある。


じゃぁ女性が書けばいいのかとなると、女性の中にも女性を差別する人っていますでしょう。


ビリヤードプレイヤーにもいますよ。「女性は男性と比べてレベルが低い」「自分は他の女性とは違う、選ばれし者である」みたいな態度の女性。


当然、そういう選民思想はバッシングの対象になります。女性が「女性ってこういう人が多いよね」などと言おうものなら「自分は違うと言いたいんだろう」って怒られるわけです。


では、女性であり、自分自身が「女性はこういう点において男性に劣る」と実感している女性が書いたとしたらしたで、今度は「言い訳だろう」と言われる可能性が出てきますでしょう。


ってことで、結局は誰が書いても反論される可能性はあるんだなぁ、っていう結論です(;´∀`)

 

 

3本目


「ハウスで〇〇プロに当たって、フルボッコにされた!!」というような時であれば〇〇の部分は実名を出すと思います。


バグースの平日トーナメントにて赤狩山プロに何度も瞬殺されておりますが、「バグースの平日トーナメントに出てきました。運よくカーリーさんに当たれたけど、相変わらずの瞬殺っぷり」みたいに書くと思います。


「某店のハウスにて某プロと当たるも、瞬殺された。。。」というような書き方はしません。名を伏せる意味が特に無いから。


一方で「ハウスで××プロと当たって、ラッキーで勝ってしまった」という時だったら伏せます。××プロの許可を得ていなかった場合はもちろん、「ブログに書いても良いですよ」と言われても多分書きません。


何故なら「××プロに勝てるほど上手いのか!」とハードルが上がるのも嫌だし、「××プロは鈴木程度に負ける人なのか。情けない」とプロの評判を下げるのも申し訳ないから。ボヤかしたいわけです。


ブログには書きませんが、身近な人には「××プロに勝ったー!」と自慢しますw 


私は実力でプロを上回っただなんて微塵も思っておりません。色々な条件が揃えば、誰だってたまにはラッキーでプロに勝てることもある。それを分かっている人相手にだったらいくらでも自慢が出来る。自慢でありつつも「自分なりには頑張った」という程度の話であり、本気のガチ自慢ではないというのが通じる人にであれば。


けども、不特定多数の人相手に発信をするとなると絶対に通じない人が出てくる。それを避けるためにボヤかすのです。


勝ち負けだけではなく、プロが語っていた技術論なんかもそうです。


実名を出して「プロがこう仰っていた」と書いたとしたら、それに反感を持つ人が現れた時に私は責任を取れない。だから名前を出しません。


プロと相撞きをしてもらったとか飲みに行ったですとか、そういう話もブログやSNSでの絶好の自慢のネタになるわけですけど、所属店舗やスポンサーとどういう契約を結んでいるのか分からないので、下手に書けない。なのでボヤかして書くか、全く何も書かないってことも多いです。


で、ですね。


この間は、連盟員の知り合いからちょっとした先取り情報をいただきまして「ほほぉ」って思ってたんですけど、ブログやTwitterには載せませんでした。


載せればそこそこ注目を集められる内容だったんですけど、「載せて良いことなのかどうか、聞いてないからなぁ」「どうせ何か月か先には、みんな知ることになるわけだし『人のために!』という理由は成り立たない」「『俺はこんな先取り情報を持ってるんだぜ!』っていうアピールのためだけにリスクを負いたくはないしなー」と思ってたんですね。


載せたせいで、私がその人から怒られてしまうかもしれないし、私にその情報を漏らした連盟員さんが怒られてしまうかもしれないし。


ところが数日後、その情報を「~~~らしいですよー!」と思いっきりツイッターに載せている人がいた。


「自分だって知ってたのに!」「一人だけ注目されてズルい!」っていう嫉妬も覚えたんですけどねw


それ以上に「あー。この人は口が軽いんだなぁ」という思いの方が強かったです。


その件に関してはそんなに大きな事じゃないし、私は「書いて良いのか悪いのか分からないから控えておこう」と思った程度の事です。


けどもしばしば「さすがにそれは書いちゃ駄目でしょ」ってことを書いている人がいる。


「自分は誰よりも先に情報を持ってた!」「それを知らしめたい!」っていう承認欲求なんでしょう。私も同類ですから、それは理解する。けど、さすがにやって良いことと悪いことの判断くらいはしないと。。。

 

 

 

P.S.

 

キューを出し入れするためにキューケースをビリヤードテーブルの上に乗せる光景は良く見られますが、それを嫌う人もいるもよう。

 

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