鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

ビリヤードの日

2本立て



1本目



6月のとある日。っていうか22日ですけど、新宿を歩いておりましたら、とある老舗の水炊き屋さんの店頭に「今日はボウリングの日だそうです」と掲げられているのを見かけました。


なぜ水炊き屋がボウリングについて語っていたのかは謎。よーく見たら続きがあったのかもしれませんが、前を通過しただけなので見出しだけしか見ておりません。


なにはともあれ「ボウリングの日なんてあるんだな」「じゃぁビリヤードの日ってのもあるんだろうか?」と思ってツイートしてみたら、Z氏が教えてくれました。




ビリヤードの日の由来と面白い雑学、7月20日の今日は何の日? | 雑学・クイズ・トリビア・うんちく・豆知識なら雑学.com!





思ったよりちゃんとした歴史と由緒のある記念日でした。


で、7月20日ですよ。ジャパンオープンとほど近い。年によってはジャパンオープン開催中でもあるでしょう。20日は。


ビリヤードの日があると知ったのは初めてだったと思います。もしかしたら1度くらい聞いたことがあったけど忘れ去っていただけかもしれませんが、なんにせよ話に出ることはまず無いビリヤードの日。


由来だとか歴史だとかはどうでも良いとして、せっかく「ビリヤードの日」というものがあるんだったら、それを活かしたらどうでしょうかね。


ビリヤードの日に何かイベントをやる団体や店舗ってあるんでしょうか???



無理やりのコジつけでもなんでも良いから、ビリヤードを認知させるようなイベントをやった方が良いと思うのだけれど。


その日はプレイヤーは遠慮してもらうとして、一般の人向けに球屋の無料開放とかしてみてはどうだろう。無料はかえって怪しいかもしれないので、1時間100円とか?


ビリヤードに興味が無いわけじゃないけどキッカケが無いっていう一般の人はたくさんいるはずなので、そういう人達にキッカケを与えるイベントをやってもらいたいなぁ。


提供側としても「ビリヤードの日」という絶好のキッカケがあるわけですし。


何かやってみてはどうでしょうかね。




2本目



ビリヤードはスポーツなのか否かという問いかけには興味がない、どっちでも良いしどうでも良いとしばしば申しております。


いちプレイヤーとしてはどうでも良いんですけど、いちブロガーとしては話のタネになるのでしばしばネタにしているわけです(笑)


ブログでネタにする時、「世間がイメージする『スポーツ』像に合致するか否か大事」という切り口で話をすることが多いです。


他方で、スポーツマンシップの観点からネタにしたことも何度かあったと思います。ビリヤードプレイヤーにスポーツマンシップはあるのか?と。


スポーツマンシップ」ってもんも定義は曖昧で漠然としたものです。


何か月か前に、学生野球の日本代表は海外で嫌われがちだというスポーツ記事を見かけました。


理由がいくつか書かれておりましたが、その内の1つが「徹底的に叩きのめす」という姿勢でした。


日本の野球は世界でトップクラスです。同レベルの国々がある一方で格下も多い。


そんな格下を相手にしても日本代表は一切手を緩めることなく、全力で戦う。バントもするし盗塁もするし、相手のミスを誘うようなプレイもする。



それが海外では受け入れられないらしい。弱い者イジメであると判断され「相手をリスペクトする気持ちが足りない」と評価されるらしいのです。


日本人の感覚だと「じゃぁ、相手を舐めろというのか?」って思ってしまいませんか?



でも、私個人は外国人の感覚に近いのかもしれません。格下相手でも徹底的にというのは気が引けてしまう。


ビリヤードをやっていても「相手に少しでも楽しんでもらおう」という気持ちで撞いてしまう。そうしたことで「相手を舐めてる」と言われてしまうこともあるわけだけれど、そういわれても困る。


相手のことを考えて手を緩めることをどう評価するか。是とするのもスポーツマンシップ、否とするのもスポーツマンシップ。どっちもスポーツマンシップと言われるから難しいのであります。


で、今回私が言いたいことはここからなんですけど、私のイメージするスポーツマンシップの感覚ですと「スポーツには勝ち負けよりも大事なものがある」わけでございます。


何がなんでも勝ちに拘る姿勢を持つ。勝つことを最優先にした戦略を立てる。それはスポーツマンではなく勝負師だと思うのです。


スポーツマンシップを捨てて勝負に拘ったとなると、それは勝負師としては正解であってもスポーツマンではなくなってしまう。スポーツではなくゲームやギャンブル、興行の類になってしまう。


それでいいの?ってのが私の思いです。


ゲームもギャンブルもなんら否定するところではありませんので、「ゲームやギャンブルだと言われても全く構わん」ってんなら良いんですけどね。


スポーツだと言われる競技に参加している人だったとしたら。スポーツだと言われたい競技に参加している人だったとしたら。


スポーツマンシップの優先度を落としちゃいけないと思うんですよねぇ。


繰り返しになりますが、スポーツマンシップをどうとらえるかは人それぞれ。あくまでも私のイメージするスポーツマンシップに照らし合わせての話です。悪しからず。