鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

ノールック

3本立て



1本目



色んなレベルの人がいるわけでして、完全に勝率を均そうとしたらハンデの付け方って難しいですよね。


最も一般的な、ABCのクラス分けに従って1個なり2個なりのセット数ハンデをつけるというのは汎用性があって分かりやすいハンデの付け方ではありますが「勝率を均す」という点だけから見たら不十分ですよね。


世の中のプレイヤーのレベルが3段階しかないわけがないし、セット数ハンデじゃなんだかんだで下級者が上級者に勝つのは難しいですし。



5-9ですと、3sや7sなどとの小さなハンデから、滅多にそんな相手はいませんけど(というか、そんだけレベルが違う人同士でやらない)オールボールなんていうでかいハンデまである。


また、9sとか現状ブレイクとか1-2出しとか、上級者の方の戦闘力を下げるハンデも用いられることがありますよね。


5-9は仲の良い人同士や、日頃撞く機会が多い人同士で行われることが多いので、細かいハンデがつけやすいのでしょう。


通常の9ボールや10ボールも、あくまでも「勝率を均す」という気があるという前提あっての話ですが、頻繁に撞く人同士でならもっと細かいハンデがあっても良いんじゃなかろうか。


ボールハンデとか、一方のプレイヤーだけブレイクボックス採用だとか9オンフットだとか。


実際、「○○さんと××さんがやる場合はこういうハンデで」って、店側が管理しているようなところもあるようで。


ハンデをつけるなら、それくらいキッチリやった方が良いかなーなどと思うことしばしば。





2本目



私が球を始めた頃にはクラス分けやハンデ制は既にありましたので、誕生秘話なんてものは知らんのですけども、たまに「なんのために存在するんだろう」と考えることがあります。


すぐに浮かぶ推論は「賭け球のため」です。


レベルの違う人同士が賭けて撞く。そうなるとノーハンデじゃカツアゲになってしまうので、ハンデをつける。


これは分かりやすい。


「スポーツなのでスクラッチで」という文化はありますよね。賭けないのであればハンデはいらないという考えなのでしょう。



さて。以下「ものは考えよう」「どうとでも取れる」「ツッコミを入れようと思うと、どうにでもなる」「色んな人がいる」ってな話なんですけどね。


「スポーツなのでスクラッチでやりましょう」を下級者側から進言したとします。


恐らく「この人ならスクラッチでも勝負出来るだろー」なんて思っている下級者はいないと思うんですけど、スクラッチでと言われてカチンと来る上級者はいるらしい。「舐めてるのか!」って思うんだとか。


「スポーツなら負けても良い」と思っているからこそ「スクラッチで」と口にしている下級者は少なくないと思うんですが、それに対して「勝負をするからには、ちゃんと勝つことを考えろ!!」「スポーツだろうがキッチり勝負するためにハンデは必要!」って憤るような熱い上級者はいるんだろうか?


「スポーツだったら勝っても負けてもどうでもいいわー」って思う、やる気のない上級者は多いと思いますが(^^;



立場変わって、上級者の側から「スポーツだったらスクラッチで良いだろう」と提案がある場合もあると思います。


そう口にする上級者ってのは、どういうつもりなんでしょうか。スポーツの時くらい、気持ちよく勝たせろってこと?



私は、自分から「スポーツなのでスクラッチで」と提案したことはなかったと思います。言われたことは何度かありますが、上級者からだろうが下級者からだろうがOKですね。元から勝負への感情が希薄な私。スポーツとなればなおさら勝ち負けがどうでも良いので。。。




3本目




最近だいぶチョークを塗る癖がついてきたとは思うのですが、塗らずにミスキューしてしまうことは未だしばしばある。


チョークを塗らずにミスキューをしてしまった時というのは、そんなに端っこを撞く気が無かった時です。


塗っていないという自覚はある。けど、そんな端っこを撞く気が無いから「塗らなくても大丈夫だろう」と思って撞いたら駄目だった、って感じですw


全くと言っていいほどチョークを塗る癖が無かった頃でも、端っこを撞く時には塗っていました。


ようするに、私がチョークを塗らなかった時というのは「塗り忘れた」というより「塗るつもりがなかった」わけです。もうちょぃ言えば「塗るのがめんどくせー」ですねw


逆に、塗る時というのは「塗っといた方が良いな」と思う撞点を撞く時ですので、しっかりチョークを塗ります。タップを見ながらヌリヌリします。


「この球はチョークを塗っておかないとマズいな」って時に塗る。私がチョークを塗る理由は、ミスキューを回避するためなわけです。



さて。私とは違って、チョークを塗るのがルーティンになっている人達がいます。


チョークを塗るべきかどうかというジャッジはしない。無条件で常にチョークを塗るわけです。


毎回毎回チョークを塗る。摩擦係数を上げミスキューを回避するという本来の意味を離れ、チョークを塗るという動作がアドレスの一部になっている人達。


とあるA級さんが言うには、チョークを塗る際の姿勢は常に一定なんだとか。


チョークの持ち方、チョークを構える位置、チョークを塗る際のフォームや塗り方など、全てが毎回一緒。そこからチョークを置いて構えに入っていく。


完全にアドレスの一部になっているため、チョークを塗らないとフォームが崩れるらしい。まさにルーティンですね。


ちゃんと話を聞いたのはその人くらいなんですが、他にも見ていて「あの人もチョーク塗りがルーティンなんだろうな」って感じる人はいる。


んで、面白いというかなんというか、チョークを塗るのがルーティンになっているのにミスキューが多い人がいるんですよね。


私が「この球はしっかりチョークを塗った方が良いな」と思った時は、タップを見ながらチョークをヌリヌリとしっかり塗り込みます。


が、そのルーティン化している人は、常にテーブル上を見ながら(タップは見ずに)常に一定にシャシャシャッと塗って撞く。


だから、際どい撞点を撞くにあたって、若干チョークの乗りが甘い時があるんでしょうね(;´∀`)




ルーティン化されたノールックチョーク塗りでも上手く塗れる人は塗れるんでしょうけど、ノールックだと危なっかしい球を撞く時はタップを見ながら塗るってことには出来ないんだろうか?


ルーティンが狂うことを嫌うのかな??