鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

やれる以上のことはやらない

 

スマホゲームで、長らく地元1位だった私は陥落し、新たに1位になった人がとんでもない熱量を発揮しているって話を前にしましたけども、その1位の人、体を壊したそうです。

 

「そりゃそうだ」と思いました。なんせその人ほとんどまともに寝てない。睡眠時間が物凄く短いか、または30分に1回くらいは起きながら仮眠を繰り返しているような状態を何ヶ月も続けていたようなので、そりゃ体壊しますわ。ゲームのためになぜそこまでやるんでしょうかね、、、



昨年もう1つ似たような出来事がありました。端的に言えば、燃え尽き症候群です。

 

私が歩数を記録している公営のアプリ。昨年運用が始まったばかりです。ベテランはいない。

 

そのアプリは歩数に応じてランキングがつくんですけど、そのランキングで常に上位にいた何人かがゴソっと消えた。恐らくはランキングのことを気にしすぎて無理に歩きまくっていたんでしょう。そして限界を迎えた。

 

「この生活を続けていくのは無理だ」と思ったか「無駄だ」と思ったか。事情は分かりませんが、限界を迎えた時に彼らには「熱量を下げる」という選択肢がないらしい。綺麗サッパリやめてしまう。



昨年の例はそのウォーキングアプリに関してでしたが、過去にあらゆる場で見ています。他の趣味でも、ビリヤードでも。やり込みすぎて燃え尽きて、そのまま消えてしまう人達。

 

「始めからもっと適度な接し方はできなかったのか?」「無理なくできる範囲でやればよかったのでは?」と思いますし、「限界を迎えた時に熱量を下げればいいのでは?」とも思うのですが、できないみたいなんですよね。1か0かしかないみたい。



私のようなのらりくらりと生きている人間からすると彼らはツッコミどころ満載なんですけど、彼らからしたら私の方がツッコミ対象なのかもしれない。

 

本人が楽しけりゃそれでいいと思うんですけど、彼らは楽しいんでしょうかね?

 

燃え尽きたら綺麗サッパリ忘れて、新たな趣味に精を出すのかな?



連想で浮かんできたんですけど、「長く続けることが大事」っていう主張をする人いますよね。その主張も「あなたの価値観ではそうなんでしょうね」としか言えないな、と私は思っています。

 

上記したような燃え尽きていく人達の中には、そもそも長く続けようという意思が無い人もいると思います。熱くなれる時にガッと熱くなって、冷めたら冷めたでやめればいいと考えている人はいると思う。

 

私なんかはダラダラと長く続けるタイプですが、「心のどこかではやめたいと思っているのに辞め時を見つけられずに続けてしまう」か、または「今は続けたいと思っているから続けているが、冷めた時には無理に続ける必要は無いと思っている」かのどっちかです。続けることを目的にしようとは思いません。それは辛いだけだ。

 

楽しくやって、もし楽しくなくなったらやめればいい。一度辞めたとしても、またやりたくなったら再開すればいい。コンスタントに続けることを目的にする必要はない。長く続けたいがために、今の楽しさを犠牲にする必要はないと思う。今が楽しく、この先もずっと楽しければ続ければ良い。



長く続けることを目的にする人ってのは、どんな本音を持っているんだろうな?って時々考えます。

 

幾つか推論は出ているんですが、あまり良い話ではないので書かない(過去に何回か書いちゃってますけどね 汗)

 

もし、長く続けることを目的にしている方で考えを聞かせても良いよって方いらっしゃいましたら、ぜひご一報を。