鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

感覚と数値と

 

1本目

 

私はだいぶ感覚派です。ビリヤードだけじゃなくて、日常生活のほとんどの事をフィーリングでこなします。

 

「こういう所も感覚が関係しているんだろうなぁ」と思うのが、「どうすれば自分を満足させられるか」に関してです。

 

以前に「数値化」についてネタにしたことがありました。レーティングのような、プレイヤーの実力を数値で表すシステムが出来たほうが業界のためには良いと思いますが、私個人は全く興味がないのだと。と言っても、興味がないだけであって反対はしません。

 

反対する人もいると思います。「JPAに出たがらない人」についてネタにした時に書きましたが、今まではたった3段階しかない上に自己申告なクラスだからこそ「俺は上のクラスだぞ」とドヤれていたのに、JPAのSLやらレーティングやらを出されたら真の実力がバレてしまうからと反対する人はいるでしょう。

 

そういう人達と違って私は別に反対はしません。自分の実力が数値化されたって別に良いんですけど、「絶対に賛成」「なにがなんでもしてほしい!」とは思わないです。

 

私個人は、現状に特に不満がないからです。



数値化を強く推す人の意見として「数値が出ないと、自分が上手くなっているのかどうかが分からない」「自分がどれくらいの位置にいるのか分からない」というのを多く耳にします。数値で出してくれないとモチベーションを保つのが難しいのだと。

 

私はそういう気持ちがほとんどないです。おそらく自分が感覚派だからなんじゃないかなと思います。

 

ざっくりで良いんです。「なんとなく先月よりは上手くなってる」というくらいの感覚で自分は充分。ハッキリ明確に確認しなくても自分を満足させられます。「目に見えた成果」というものを特に必要としません。



ずっとそういう生き方をしてきたこともあってか、数値を必要とする人達に比べて感覚が研ぎ澄まされているのではないかとも思います。

 

たとえば、数値で見たら、1000だった戦闘力が1050にアップしていたとします。

 

数値派の人達は数値で確認しないと「アップしたのかどうか分からない」「上がっている気はするけど、1010くらいだろうか、、、」みたいになる。一方で私は「上手くはなってる。1040くらいにはなってんじゃないかなー」みたいな。正確ではないけれど、数値派の人に比べたら感覚が優れているのではなかろうか。

 

スカウターが壊れてしまったら強さを全く判別出来なくなってしまう人達と、アバウトではあるけれどスカウターがなくても戦闘力を判別出来る人達、みたいなw

 

そう感じる場面が度々あるぞ、っていう話が以下です。



2本目

 

9ボールで「何もしていないのに勝ってしまった」という経験、皆様にもあると思います。

 

私の記憶に最も残っているのが、新宿にまだサムタイムという店があった頃の話なので遠い昔ですが、サムタイムのマンスリーにてOプロと対戦した時のこと。

 

かなりの渋台である影響も大きかったし、Oプロの目的が恐らくは公式戦前の調整だったこともあるんでしょうが、Oプロが9番をことごとくカタカタで穴前に残しました。ほぼずっとプロが撞いているのに、私は穴前の9番を入れるという作業を繰り返すだけで勝ってしまったわけです。

 

いくらなんでもこれを「Oプロに勝った!!!」と喜ぶことは出来ませんし、当然自慢話として人に話すことなんてできやしない。自分は何もしていないんですもの。



9ボールというのは過程は一切関係なく9番を入れたら得点になるゲーム。勝ち負けに関係するのは9番だけ。だから「何もしてないのに勝った」があれば「ほとんど自分が入れたのに、終盤でやらかして負けてしまった」も頻繁にある。そういうゲームですよね。

 

「どんな負けであろうと、負けは負け」であり、言い訳は出来ない。負けた側の心構えとしてこれは正しいと思います。

 

一方で「どんな勝ちであろうと、勝ちは勝ち!」を、勝った本人が言うのはどうなの??と度々思わされます。

 

外野が言うのは良いんですけどね。ほとんど何もせずに勝った本人が「勝った!」「上級者の○○さんを倒した!」みたいに喜んでいる場面を見ると「志が低いなぁ」と思ってしまいます(;^ω^)



「志が低い」だけが原因ではないんじゃないかとも思います。

 

ほとんど何もしないでの勝利を大仰に喜ぶような人の「何故」を推測してみると理由は色々思い浮かぶのですが、一つに「ほとんど何もしていないという自覚がない」があるように感じます。

 

9ボールをやって「JPAだったら3-17で負けなのに、9ボールだから9番だけ入れて勝った」としましょう。

 

感覚がしっかりした人なら「JPAルールだったら思いっきり負けていた」「ラッキーで勝てた」と感じるのに、感覚が鈍い人は「JPAルールだったら8-12で負けてた勝負かもしれないけど、9ボールだし!自分も頑張った!」とか思っちゃうんじゃないですかね。「いやいや。8-12なんていう僅差になるほどあんた入れてないからね、、、」っていう。

 

とかく感覚が鈍い人が一定数いるように感じます。現実とあまりにかけ離れたイメージを持ってしまう人。数値を見せない限りはドソッポな感想を持ってしまう人。

 

こういう人達の存在を考えると、数値化は必要かなという気がします。



3本目

 

「ブレイクで40km!」が私の目標なわけですが、しばしば補足説明しております通り

 

  • アベレージで40kmである。MAXでいいなら出したことはある
  • 常に40kmで撞き続けたいという話ではない。「出したい時にはいつでも出せる」が目標であり、平時は多少抑えて撞く

 

こういう条件があります。

 

さらに言えば「40kmを出せることを人に示したい」もあります。

 

「過去に1度でも出したことがあるのであれば、それで満足である」「自分にはポテンシャルがある」「自分は『出来る』側の人間である」と考える事が出来る人もいますよね。1/1000だろうが1/10000だろうが、分子が0でなければ「俺はできる!」と考える人。

 

「やってみて」って言われても全く出来ないのに「俺、出来たことあるし?」「やろうと思えば出来るよ」「やる必要がないからやらないだけ」などと言い切れる人。自分で自分の心を補完できるおめでたい脳の人。まぁ、ある意味メンタルが安定している人ですがw

 

私はとてもじゃないけどそういう性格にはなれない。「やってみて」と言われたら出来るようになりたい。証拠がほしい。根拠がほしい。

 

「やってみて」と言われたらいつでも出来るようになりたいし、証拠動画を撮ってブログネタにしたいという思いもあります。

 

で「40kmという数値にこだわる」「速さにこだわる」というのも「人に示したい」という思いから来るものです。

 

1本目2本目で書いたように、私自身は数値を必要としないです。自分で自分を納得させるための目標は「体感で自分が満足できる強さのブレイクをしたい」なんですよ。鋭く振って、いい感触の当たりをして、ドカーンと割れる。そういう雰囲気だけでいい。体感で満足できれば良いんです。

 

けど、出来る限り多くの人に「凄い」と思ってもらうためには、雰囲気だけじゃなくて目に見える具体的な数値があったほうが良い。他人を納得させるために「40km」という数値に拘っているのであります。数値は絶対だから。

 

数値を必要とするか否かってのもビリヤードに対する考え方の違いの1つだし、なんのために数値を必要としているかも人それぞれですね、っていう話でした。