鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

人間性とは

2本立て

 

1本目

 

先日、ツイッターのTLに流れてきたツイートが目に留まりました。


それはダーツでの話でしたが「プロが身近だからって、何か勘違いしてるんじゃないか?」というツイートでした。


「メッチャ分かるわー」「ダーツもそうなんだな」「ビリヤードもそうだよねぇ」って思いました。


東京におりますと、ちょぃちょぃプロと絡む機会があります。


顔を見たり挨拶をするだけなら頻繁にあるし、ちょっとしたアドバイスをもらったり、時には相手をしたもらったり。レッスンを受けたりハウストーナメントで対戦したり。飲みに行ったりするようなことも。


それはビリヤードがマイナーだからこそです。


きっけー氏と度々話しているのが、「ゴルフで言えば、松山選手と一緒に回ってるようなもんですよ」「石川選手に飛距離アップのコツとか聞けちゃうんだよ」「ありえん」「ゴルフだったら、一体いくら積めばいいんだ」「積んだって無理だろう」みたいなこと。


そんな、メジャースポーツではありえないようなことがビリヤードでは出来ちゃう。そのせいで感覚が麻痺してしまっているというか、調子に乗ってしまっている人が少なからずいるように思えます。

 

具体例を色々あげようかと思ったんですが、毒しか出ないので割愛割愛。


なんにせよ、昔っから言ってますけど、自分自身も携わっている競技のプロに対して、偉そうな態度を取る人の意味が分からないんです。


スポンサーになっているとか、プロの収入に直接大きな貢献を果たしている人が偉そうな態度に出るってんならまだ分かりますけど、一般アマだったら何の道理もない。

 

 

ここまでは「プロに対して偉そうな態度を取るアマチュア」という話でしたが、どうやらプロとアマという対比だけの問題じゃなさそうだぞ、と思わされる出来事がありました。

 

とある日、全く同じ苗字のプレイヤー2人の話をしていたんです。仮称鈴木さんとしましょうw


1人の鈴木さんはSA級。もう1人の鈴木さんは中堅A級。


その2人の話をしていた時にですね。とある人が後者の鈴木さんを表すにあたって「下手な方の鈴木さん」って言い出したわけですね。そう口にした本人は底辺A級。


「SAと中堅A級を比べれば、相対的に後者が下手なんだから『下手な方』と表したまで」という理屈は通るかもしれませんが、屁理屈です。


その2人の鈴木さんは活動域が違うから、店名を挙げて「〇〇の鈴木さん」と言っても良いだろうし、年齢も違うから「若い方の」「ベテランの方の」と言っても良いと思います。


「下手な方の」は言葉選びとして問題だし、そもそもの話、完全に馬鹿にする口調で言っていました。表現が悪いとかじゃなくて、意図して「下手な方」と言っていた。


これ、「自分より上手い人に対して、なぜそうも偉そうなのか」っていうネタのつもりで書いてたんですけど、ジックリ考えたらそういう話じゃないですね。


SAの鈴木さんとB級の鈴木さんがいたとして、私は後者のことも「下手な方の鈴木さん」だなんて絶対言いませんもん。


自分より上手いか下手かとか、そういう話じゃないや。誰に対してだって「下手だ」なんて言っちゃいけない。


許されるのは、相手を嫌っていた場合だけw 嫌いな相手だったら下手だとかなんだとか言いたくなっても仕方がないかなと思います。


今回は「面識の無い相手に対して」なので「下手な方の」などと言い表した人の人間性が問われる話です。

 

 

「プロが身近なもんだから勘違いをする人がいる」という趣旨のネタが書きたかったんですけど、思いっきり論旨がズレてしまいましたねw


身近かどうかとか、プロだアマだとかは関係なく、人としてダメな人はどこにでもいるっていうことだな。


そして、プロが身近なせいで、そういう人達がさらに調子に乗ってプロに対して偉そうにするんでしょうね。


「他人を批評するのに、彼我の実力差なんて関係ないでしょ?」「何言ったって自由でしょ?」とか言ってる人いるからなぁ。

 

言論の自由ってのを履き違えるタイプの人ですねぇ。

 

 

 


2本目

 

ビリヤードの話でもあり、人生全般の話でもあるのですが、「人間性」というものを高めることで生まれるメリットってなんですか??


そんな話をこの間してまして、結論は「『人間性を高めなきゃいけない』と思うようになってしまって時点で、人生負け」でした。


ビリヤードを例にしましょう。


皆様の頭にも1人は「あの人は人間性に問題がある」「マナーが悪い」「しかし勝負には強い」っていう人が浮かんできませんでしょうか。


これもまた程度問題であって、あまりにも酷くて誰からも相手にされないような人となると良いことはないと思いますが、嫌う人も多いけど仲間も少なくないっていう程度の人だとしたら。


勝負に強い。ビリヤードで勝てる。有利ですよね。


一方のデメリットはなんでしょうか。


「球が上手くても人間性で劣っていたら駄目」っていう声は聞きますが、何が駄目なんでしょうか。具体的にはどんなデメリットがあるのでしょうか。


駄目だというのは「人間性こそが大事なのだ」と考える人にとっての価値観です。「人間性なんてどうでも良い」と思っている人からしたら何のデメリットにもならない。


「敵を増やす」「他人から評価してもらえない」ってな声はあがるでしょうけど、もし本人がそんなことは全く気にしない人だったら?「人間性が低かったら俺は評価しないぞ!」なんて言っても「お前からの評価はどうでも良いよ」と返されて終わりです。


人間性なんてどうでも良いし、他人からの評価もどうでも良い」「敵が増えたところで、殺されるようにさえならなければどうでも良い」と考えるような人だったら??


いくら周りから「人間性に難あり!」「あの人嫌い!」と言われたって、本人が全く意に介さなかったら?


人の幸せってもんは結局は本人の心が決めるわけですから、その人は「なんか負け犬たちが遠くで吠えている」「自分は勝負に勝てて幸せ」って思うだけですよね。デメリットが無い。


「周りの人間の事はどうでも良くて、自分のことが大事だ」って思えるメンタル、最強じゃないですか。

 


球から離れても「正直者は損をする」って思うことは多いでしょう?仕事してても馬鹿正直な人よりも要領が良い人の方が昇進していきますよね。ちょっとした悪どさを持っている人の方が人生は有利に進む。メリットの大きさに対して、これといったデメリットはない。


会社員としてはやっていけなさそうな人間性の人であっても、独立起業してしっかり稼いでいる人も少なくないです。そういう人達に平サラリーマンが「人間性が大事だ!!」って言ってても「そりゃ、社畜にとってはね」と余裕の返しをされそう。

 

天罰が下る?地獄へ落ちる?来世で苦労する?


そんな宗教じみたことは誰も本気では考えませんでしょ。


人間性に優れた人に幸福が訪れたなんていう美談は数ありますが、あんなんは「宝くじが当たった!!」っていうくらいのごく一部のラッキー話でしょうしねぇ。現実を見ましょうっていう話になっちゃうし。

 

 

結局のところ、人間性を推すのは、本当に実力があるから、結果と人間性を両立出来たような超一流な人の余裕発言か。または、実力では人の上に立てない負け犬の遠吠えかのどちらかになってしまう気がする。


後者が出来る事はといえば、結果を出していくチョィ悪な人たちを「あの人は人間性が!!」と遠くでバッシングして精神衛生を保つくらいのこと。陰口叩いている時点で当の本人も人間性に優れているとはとても言えないっていうオマケつきで(;´∀`)

 

「特にメリットはないが、人間である以上人間性を高めなくてはいけないんだ!!」と思うようになった時点で、人生は負けなんじゃないか。


そういう世知辛い結論になったのであります。話は以上です。