鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

2本立て

 

 

1本目

 

他人からしたらしょーもないことだろうけど、私は緊急車両が来た時に人々が道を譲っている風景ってのが好きです。見ていて感動する。「殺人犯であっても、こういう時は道を譲るんだろうなぁ」なんて思っています。


ある時に見たツイートによれば、とある県では救急車が来ても車が全く道を譲らないらしいんですけど、私が普段生活している都心では道を譲らない車は滅多に見ません。見たことが無いと言っても良いかもしれない。運転技術の問題で、どうすれば良いのか分からずに固まってしまう車は見かけますがw


一方で、自転車や歩行者は譲らない人が多いですねぇ。救急車が来ても我関せずと平気で横断する。


そういうのを見ていると「緊急車両に道を譲る前科持ちと譲らない一般人と、どっちが人としてマシなんだろうか」なんて考えてしまいます。

 

さてさて。そんな前置きから始まる本日のお話は、こんな前置きをしたくらいなのでワタクシお得意の面倒くさいお話です。

 

K氏(仮称)という人物がいます(ちなみに、ビリヤード関係者じゃないです)


ダメ人間です。私1人がそういう評価を下しているのではなく、K氏の身近な人間は誰もがK氏を煙たがっているので、ほぼ絶対評価と言えます。


ダメ人間ではありますが、ダメ人間の程度が物凄く高いわけでもないんだと思います。言ったら、前置きで書いたような「緊急車両が来ても道を譲らない」くらいのことでしょうか。駄目な行為だけれども同じような行いをする人が少なくはなく、その1点だけで決定的なまでに評価を落とすようなことではない。


ただ、決定的なダメ行為はしないのだけれど、ギリギリを攻めてくるダメ人間っぷり。そして1つ1つは決定的ではないかもしれないけれど、数が多すぎる。「誰もが1つ2つは持っている欠点」程度の短所を、K氏は数百個持っているっていう感じでしょうか。


そして我々にとって不幸なのは、K氏と頻繁に顔を合わせなくてはならない関係性であることです。


いくらレッドカードで一発退場させられるほどの駄目さではないとはいえ、イエローカードは頻発。頻繁に顔を合わせていたらフラストレーションはどんどん溜まります。今までに一体何度怒りのスタンプカードが溜まったか分かりません。


度々書いておりますが「なにをされるか」より「誰からされるか」というのは大きく、他の人からされたら全く気にならないのに、K氏からされたら嫌なことがたくさんあります。


たくさんあるというか、K氏からされたらほぼ全てのことが嫌です。


することなすこと全て嫌だと感じさせられてしまうK氏に頻繁に会わなくてはいけない。


そうなりますと、もはや自分は何が本当に嫌いなのかが分からなくなってきてしまうのです。


たとえば、結構マジな話として、私が食事をしている時に隣の席にK氏が座ってきたら嫌です。


そこで「食事をしている時に隣に座ってくるやつ、なんなの」とでもブログやツイッターで書いたら、どう考えても私の方が変な奴じゃないですか。隣に座ってくる人を目の敵にするだなんて、意味が分かりませんものね。誰も賛同してくれないでしょう。


隣に座られるのが嫌なんじゃなくて、K氏が隣に座ってきたから嫌なわけです。行為自体が嫌なわけじゃない。人が嫌なのだ。


さすがに「隣に座ってくる」なんていう例は、「行為じゃなくて人の問題」って気づけます。


では、K氏とご飯を食べに行った時に、私が何かを注文したら「じゃ、同じのでww」ってK氏が言ったらイラッとするぞ!!っていう例はどうでしょうか。私はK氏にやられたら「自分で決めろや!」って思う。


これもやはり、K氏が嫌いだからであり、その行為自体がどうこういう話じゃない気がします。


でも若干「自分は、付和雷同で注文する奴、嫌いだわ」っていう意見も出てくるんじゃないでしょうか。


例の3つ目。なんかさっきから飯の例ばっかりですけど、焼肉を食べに行ったら高いメニューは頼まず、低い予算で抑えようとしたケチケチした注文ばかりK氏がしたとします。


「焼肉に行ってケチるやつ、なんなの!!」と私は思うわけですが、果たしてこれは私の本音なのだろうか??


焼肉に行ってケチるやつが嫌いなのか、K氏だから嫌いなのか。段々と線引きが分からなくなってくるのです。


一生懸命に想像します。好感度が高い相手と焼肉に行って、相手がケチケチし出したら。


人によっては「価値観は人それぞれだしねー」と思うだろうし、人によっては失礼だけど「収入が低いから、仕方ないよね」と思うだろうし、人によっては「いいよいいよ。奢ってあげるよ」と思うこともある。


そう。やはりケチる奴が嫌いなんじゃなくて、K氏が嫌いだったようだ。

 

と、段々と一生懸命に想像を巡らせなくては分からなくなってくるのです。行い自体が嫌なのか、K氏が嫌なのかが。


そして、さらに話が進むと、一生懸命に想像を巡らせても分からなくなってくる。


親切すら、K氏からされたらイラッとする。「何を突然、良い顔をしようとしたんだ」とか思っちゃうわけですね。


そういう次元にまで嫌っている人が身近にいて頻繁に顔をあわせなくてはならない。これは中々に致命的です。


いくら自分自身のことはと言え、何から何まで好き嫌いを意識しながら生きているわけではないですよね?物凄く限定的なシチュエーションを例示されて「どっちが好き!?」みたいに聞かれたって「そのシチュエーションになってみないと分からない」ってことが多いですよね。


K氏みたいな人がいると、ありとあらゆるシチュエーションで「その行いは嫌い!」の方に針が振ってしまう。


イラッとした時にその原因はどこにあるのか。行い自体なのか人なのか、それとも仕草や口調などちょっとしたことなのか、はたまた自分の機嫌が悪かったとか体調が悪かったとか他の事でイラついていたとか、そういう八つ当たり的なイラつきなのか。


それを正確に把握するのは中々に難しいと日々思わされています。

 

 

さて。ツイッターです。


たまたま目に入った誰かのツイートにイラッとさせられることは、たぶん誰にでもあると思います。


そのイラつきは、そのツイートの趣旨に対してなんでしょうか。そこで主張されている内容にイラついたんでしょうか。


それとも、そのツイート主という人物の好感度が低いからこそイラついたんでしょうか。


また、文体にイラついたっていうパターンも多いと思います。


たとえばですけど「『鈴木さんちの球日記』に良いこと書かれてたわ。ほんとこれ。まじで賛同する。これが理解出来ないやつとかマジ意味わかんないわ」みたいなツイートしている人がいたとしたら、私イラッとすると思いますww


私が書いた内容に共感してくれたのなら喜ぶべきところでしょうが、文体がイラつく。


逆の例はといえば、この間たまたま見かけたとあるブロガーさんの記事がですね。私からすると非常に耳が痛い内容で、欠点を指摘されまくっている気分になったんですけど、全然嫌じゃなかったんです。「おっしゃる通り」「いや、ほんとそれ」「申し訳ないわ」って思いました。


その方のブログはその時に初めて読んだので、ファーストインプレッションです。それまでの評価はプラスマイナス0。


好感度が高いわけではない状態で耳が痛い記事を読んで、嫌な気持ちは湧かなかった。「凄いな」と思いました。


欠点を指摘されまくっているのに嫌な気持ちが全く湧かないってのは、それだけ文章表現が巧みだってことだと思うんです。私にはそういう文章書けない。


話を戻しますが


・主張そのもの

・相手への好感度

・文章表現


などなど、イラッとさせられる原因は1つじゃない。


自分が何に対してイラッとしているのかを掴み損ねた状態で自分の感情を言葉にしてしまうと、後々痛い目に会うと思います。私は何度も経験積みですw

 

 

Twitterに関しては、この間友人が言ってて私も賛同したことがありました。


ツイッターって、フォローしている人がリツイートした内容はもちろんのこと、「いいね」を押した投稿も表示されるじゃないですか。自分が直接的にフォローをしていなくても。


そうして間接的に目にしたツイートにイラつかされることが凄く多いんです。


「いいね」を押した人のことは嫌いじゃないし、その人のツイートも嫌いじゃない。けど、その人がいいねする投稿は嫌いなことが多い。ブロックやミュートでは対処出来ない。これが結構な困りものです。


アプリによっては、他人がいいねしたツイートが表示されないようなものもありますから、そちらを使えば良いのかもしれませんが、間接的に出会ったツイートでイラッとさせられることもあれば、興味深い投稿に会うこともあるんですよねぇ。諸刃の剣なのだ。利点もあるだけに、完全に遮断する気にはならないっていう。。。

 


そうそう。これは私が口にして友人にも賛同されたことなんですけど「この人はイラつくツイートしかしない」と分かっているのに、時々「あの人は最近、どんな馬鹿げたツイートをしているんだろう」と思って、ついつい怖いもの見たさで自ら進んで見に行ってしまって、案の定イラつかされるという自爆行為をすることがしばしばww


怖いもの見たさ、臭い物嗅ぎたさみたいな?


これはあまりにも馬鹿げた自業自得なので、さすがにそうやって自ら進んで見に行ってイラついた場合の事はネタにはしません(笑)

 

 


2本目


K氏のアホさの1つに「推測が大好きなのに、その推測がビタイチ当たらない」というのがあります。


「推測をするのが好き」というのは本人の言質が取れております。


行けば分かること、調べりゃすぐに答えが分かることを「どうだと思う?」みたいに推測して討論するのが大好きなのです。


これぞまさしく1本目で書いた通り「K氏からやられたら嫌な行為」ですw 仲の良い人とであったら盛り上がるに違いありません。


不毛な会話というのは仲の良い人とするから面白いもの。そうじゃない人とやったら不毛な会話は不毛でしかないのです。


K氏は推測に他人を巻き込んで討論するのが大好きだし、自分1人の時もあれやこれやと推測して楽しんでいるようです。


あぁいう性格ってのは突然現れるものじゃないですから、きっと幼少期からそうなのでしょう。


幼少期からずっと推測好き。好きこそものの上手なれ。さぞかし推測するのが得意になって、あらゆる知識を手に入れ「真実はいつもひとつ!」とか言ってるのかと思いきや。。。?


推測がビタイチ当たらん


いっつもいっつも、調べりゃすぐに分かることを推測しまくって無駄な時間を取ったあげくに、その推測がドソッポなのであります。


本人に自覚があるのかは分かりませんが、傍から見ていたら推測が当たらない原因は分かり切っていて「先入観にとらわれたまま、知識がアップデートされない」ってことです。

 


話をビリヤードに移しましょう。


近年、首都圏では少しずつプロのレッスンを受けるという事が一般化してきていますが、それでもまだまだビリヤードは自己流が主流であります。


調べても答えが分からない以上は、自分で見つけるしかありません。その際に大事なのは推測をすること。言葉を変えれば仮説を立てることです。


「こう撞いたらどうなるんだろう?」という実験的な球を撞く。その際に漠然と撞いてみるよりかは「こういう結果になるんじゃないだろうか」という仮説を立て、仮説と結果とを照らし合わせて考察した方が質の高い研究が出来ると思います。


また、何かしらの結果を求めたいのだけれども手段が分からないという時なんぞは「こうした方が良いんじゃないだろうか」という仮説が無いことには何も行動に起こせませんよね。「どうしたらいいんだろう」のままでは何も進展しない。とりあえず仮説を立ててそれを検証してみるわけです。


なんにせよ、結果と仮説とのすり合わせをすることで成長に繋がるわけですが、K氏はその作業をしない。


そのため、いつまで経っても同じ仮説を立て、同じ失敗をするのです。


まさに悪い意味での首尾一貫。悪い意味での「主張が変わらない」ですね。成長しない。


推測するのが好きすぎて、推測の精度を上げようという気が無いんじゃないかとすら思える。当たって正解が分かったら、推測が出来なくなっちゃいますもんね。


K氏の場合は、予測精度の向上が5年10年という長さで見てもほぼ0なものですからどうしようもないわけですが、、、、

 


私も仮説を立てて検証していく作業は当然のことながら頻繁にやるわけですけども、瞬時に検証が終わる場合もあれば、長い目で見ないと検証できないこともあります。


後者のような場合、出来る人から見たら「鈴木はまだおんなじことやってる」「まだ同じこと言ってる」「成長しないなぁ」と思われている可能性は大なわけです。


一体、どれくらいの期間検証しても結果が出なければ「仮説が間違っている」と考えるべきなのでしょうか。


また他人を見ていた場合に、その人がどれくらい期間同じミスを繰り返していたら「違う方法を試してみた方が良いんじゃないか」などの助言を与えた方が良いんでしょうか。


なかなかに悩ましい話であります。


「さすがにこの人は、あまりにも長く成長しないなぁ」って人はいるんですけどね。そういう人は他人からの助言を全く聞かないタイプの人だから、悩む必要はない(笑)