鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

衆愚

1本目


JPAの会則もちょくちょく変わるので今はどうなのか分かりませんが、以前は「故意に弱く撞くブレイクは禁止」と書かれておりました。


そうは言っても、何をもって「弱い」なのか。故意なのかどうかはどうやって判断するのかが何も決められておりませんし、罰則も何もない。


なので有名無実なルールでしたね。


そこから連想したのが、「罰則がなければ、ルールは守らなくてもいいものなのか」ということです。


マナーを守らない人ってのはいます。彼らが良く口にするのは

 


・マナーなんて人によって違う

・だってルールじゃないんでしょう?

・守らせたいならルールにすべき。

 


などです。


では、上記したJPAのソフトブレイク禁止ルールはどうでしょうか。


運営側が禁止と言っているのだから「人によって違う」は成り立ちません。ルールです。


「ルールじゃない」「守らせたいならルールにしろ」も成り立ちませんよね。ルールになってる。要綱にダメだよって書いてあるわけですから。


しかし、実際にはルール違反が横行している。何故か。罰則が無いからです。


「具体的に何をもって『弱い』なのかが決められていない」からルールとして成り立っていないってのが原因として大きいですが、もし仮に何かしらの基準が設けられたとしましょう。


しかしそれでも罰則がなかったら、守らない人はいるんじゃないですか?


また別の例が出てきました。服装規定(ドレスコード)です。


私が昨年出た、東日本群馬・千葉・埼玉にはどれもドレスコードがありました。


けどそういえば、ドレスコードに従わなかった場合にどうなるかは全く気にしていませんでした。何かしらの罰則があったのでしょうか?少なくとも要綱には書いていなかった気がする。


私はなんせ公式戦初心者なので、どういった服装が許されるのかが事前には良く分からず、当日会場で各選手の服装を見て学んでおりました。


明らかな規定違反はいなかったと思いますが、「それ、大丈夫なの?」っていうギリギリを攻めてくる人は結構いたように思えます。


もし完全にアウトな服だったら。出場禁止とかなにかあるんだろうか??


ちょっぴり気になって調べてみました。


(だいぶ前ですが、この件に関してツイートしました。そこで書いた通り、この類の知的好奇心はあくまでもブロガーとしてのものであって、プレイヤーとしての興味はみじんもないw プレイヤーをやってるだけでは一生興味を持たなかったであろうことを、ブログをやっているがために色々調べてる)


今んところ「各大会による」「運営次第」かなという結論に。


服装規定に反していた場合、出場は認めるが罰金を取るという試合もあるようだし、ダブルイリミネーションや複数日開催の試合だと途中で買いに行かせたりすることもあるらしい(それを拒否したら出場停止)


いないとは思いますが、「罰金で許されるなら、罰金を払って撞きやすい服装で撞くわー」って人も出るのかも??


また、ルールにはなっておれど具体的な罰則は決まっていない服装規定がある大会もあるのかもしれない。


そこら辺は、参加者の良心任せなのかなぁ?

 

 


2本目

 

今回のネタを書くきっかけになったのはビリヤード場での出来事ですが、ビリヤードネタというより、どちらかというと一般論としてのネタ。

 

仕事柄「センス」というものについて考える機会が多いのですが、やはりセンスのある人、特に天才だと感じさせられる人の多くは変わった感性の持ち主が多いです。


そういった人たちに会う度に「凡人の尺度ではとらえられないし、評価してもいけない」と感じさせられます。


政治家なんてもんは庶民の気持ちを分かってくれなきゃ困りますし、人気商売の方々も一般大衆の気持ちが分からなければ人気を得ることが出来ません。


また私のような凡人たる凡人は、同じ凡人達の顔色を伺いながらではないと生活が成り立ちませんので、やはり凡人の常識というものを身に着けます。いや、身に着けようとしなくたって、凡人だから勝手に凡人の常識が身につくんですけども。


しかし、たとえば芸術分野なんかは典型的ですが、優れた作品を作り出す人に凡人の常識は必要なんでしょうか?庶民の感覚は必要でしょうか?


凡人とは感性が違うから優れた作品を作り出せるのであって、凡人の常識を持っていたら、凡庸な作品しか作り出せないのではないでしょうか。

 

 


天才が凡夫に潰されようとしている。そういうシチュエーションを度々見かけます。


当たり前ですが、天才と呼ばれるような人は一握りです。圧倒的少数です。そして凡人は圧倒的多数です。


数では負ける。数が多いから「世間の一般常識」は「凡人の常識」に設定されている。


天才たちは凡人の常識にとらわれない。だから天才。しかし凡人の常識を持っていないことを凡人達から批判される。凡人が天才に対して、なぜだか偉そうに上から目線で「常識が無い!」などと説教をするのです。数が多い。賛同者が多い。自然と「自分こそが正義だ」と考え始めてしまう凡人達。

 


数値は非常にアバウトですけど、天才と呼ばれる人が1万人に1人いたとしましょう。


そんな天才達に「常識を持て!」として凡人の常識を叩きこんだら、天才ではなくなってしまう気がします。1万人に1人はいた天才が、100万人に1人になってしまうのでは。勿体ないですよ。


その1/100万の人は偉人レベルの天才なわけですけど、何もそこまで絞り込まなくたっていい。1万人に1人の天才だって充分に希少でしょう?型にはめて個性・才能を殺してしまうだなんて、勿体なさ過ぎる。


凡人の常識を持っていない凡人は問題外ですけど、天才に凡人の常識を求める必要はないと思う。天才達が常識を持っていないことで凡人に迷惑をかけるようなことがあったとしたら、それは凡人達がフォローしてあげるべき。


だって才能が違う。人としての価値が違う。


中々に際どいこと言ってますねw でも本音です。


「もともと特別なオンリーワン」なんて聞いてホッコリしているような人には向かない話でしょうけど、社会の中での1人の人間としての価値には差がありますよ。


私なんぞは今日消え去っても身近な人が悲しむくらいで、社会にも人類にもなんの損失も与えません。社会を支える何億とある歯車の1つでしかない。交換部品。


でも天才たちは違う。存在自体が貴重で、その才能が消えたら社会的損失です。影響力の大きさが違う。社会や文化を引き上げる力を持った人たちです。換えが利かない存在。


そういう天才たちの足を凡人達が引っ張っている姿を幾度となく目にするのです。数の暴力。衆愚。


凡人は凡人らしく自覚を持つべし。凡人は天才の足を引っ張るべからず。


ビリヤードでも当てはまる例は多いはずだ。