鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

継続は力なり?

2本立て

 

 

1本目

 

デスメタルを聴きながら仕事をしていたら、久しぶりに会った人から「まだそういう音楽聞いてるの」「よく飽きないね」と言われた鈴木です。おはようございます。

 

「広く浅くがモットー」だの「色んなものに手を出したくなる性格」だのなんだと申しております私ですが、ビリヤードは飽きもせず続けておりますし、なによりブログを13年近く続けているという。継続力を発揮する場面もたまにはあるらしい。「広く浅く、たまにやたらと深く」ですねw


近年ブログやTwitterをやっている人が増えましたが、「いつまで続くかなー」と思いながら見ています。


13年間見てきた中で、結構多いわけですよ。始めたばかりの頃は凄い頻度で更新していたのに、段々減っていって更新しなくなっちゃうような人。最初の熱量が高すぎたんでしょうね。

 

 

それを見ていて連想するのが、某店の元店員さんです。


店員を始めたばかりの頃から知っているのですが、スタッフになった直後から「最初が肝心」「店に馴染もう!」としてキャラ作りまでしてエンジン全開で接客をしたせいで、その後のスタッフ人生で非常に苦労をするっていうww


芸能人だとそういう人は多いですよね。目立たなきゃいけない。売れなきゃいけないからキャラ作りをする。


そういう仕事をしている人なら分かりますが、球屋のバイトであそこまでキャラ作りに大失敗した人は他に見たことがありません(笑)


最初から飛ばし過ぎるのはやめた方がいいと思わされる好例です。

 


ブログやSNSに関して、昔からやっていて今も更新してるような人って、「自分のペース」ってもんが分かっていて「気が向いた時に書く」って人がほとんどだと思います。


最初に飛ばし過ぎた人は、大抵すぐに熱が冷めてしまってフェードアウトしていきますからねぇ。


というわけで、ブログやSNSに関してはこう思います。「自分のペースで」「ほどほどにやるのが継続のコツである」と(私が言っても説得力無いだろうけど)


けどこれをプレイヤーとしてのビリヤードへの接し方に当てはめてみるとどうでしょうか?


っていう話で2本目へ。

 

 

2本目


とあるキッカケから「続ける意味とは?」と考えていました。


今このブログを読んでくださっている方のほとんどは「ビリヤードを続けていきたい」と考えていると思います。


何故かといえば好きだからですよね。好きだから続けたいんですよね。


けども、将来のことは分からない。人生は何が起こるか分からない。もしかしたら続けられなくなるような事態になるかもしれない。


そういう未来予想もあるから、なおさら「好きなことだから続けたい」と思うはずです。


今現在で既に仕事や家庭、生活面でのあれこれの影響でビリヤードから遠ざかってしまっている人もいらっしゃると思います。「このまま気持ちが離れてしまうようなことは避けたい」「ビリヤードは好きだから続けたい!」と考えていらっしゃる方もいるはず。それは非常に分かるのです。


そんな中「この人は、何のためにビリヤードを続けようと思っているんだろう?」と思ってしまう人がいたのであります。


「あまりにやりこみ過ぎると飽きちゃうから、ほどほどにやろーっと」って言っている人がいました。これが今回のネタを書くキッカケです。


いいんですいいんです。接し方は人それぞれ。否定する気はありません。

 

ただ私は、自分とは異なった考えを持つ人に興味があります。他人の行動原理に無駄に興味があります。「自分と違う人は、何がどう違うんだろうか」というところで知的好奇心を刺激されてしまう、厄介な性質です。


そんなわけで「あまりにやりこみ過ぎると飽きちゃうから、ほどほどにやろーっと」って言っている人に対して、私の常識では「飽きたら飽きたで辞めればいいんじゃない?」「情熱をセーブしてまで続ける意味ってなんなの?」としか思えなかった。


自分の常識では推し量れない人に出会った。興味が湧きました。そこから恒例の思考タイムです。色々推測をしてみました。

 

以前にも書きましたけど、ビリヤード場で働いてはいるけれどビリヤードはやらないっていう学生店員さんが、ある日「初めてビリヤードをやってみました」「面白いですね。ビリヤード」「でも、もうやらないです。ハマっちゃいそうだから」って言っておりました。


「なんて冷静な子なんだろう」「大人だなぁ」と私は思いました。


学業があるし、そのあと就職活動も控えていたその店員さん。ビリヤードのせいで人生の道を踏み外すわけにはいかないという判断をしたのでしょう。


始めてしまうと辞められなくなってしまうかもしれない。自制心が働かなくなってしまうかもしれない。だから始めない。


そういう選択があの年齢で出来るってのはクレバーだなぁと私は思ったのであります。


クレバーでもあるし、「何か心のよりどころがあるんだろうな」とも推測しました。

 

いざビリヤードを始めた人であっても、仕事であったり家庭であったりに支障をきたさないよう、適度に距離を置いてほどほどにビリヤードを楽しむっていう人は理解しますし、クレバーだと思うんです。


たぶん、多くの方は「出来る事ならもっと撞きたい」と考えていると思います。ビリヤードに対する情熱を満たすほどには撞けていないっていう人が多いんじゃないでしょうか。


理由は「ビリヤードよりも優先しなきゃいけないものがある(仕事や家庭など)」とか「時間が足りない」「お金が足りない」などでありましょう。


情熱はあるし撞けるだけの余裕がある。にもかかわらずセーブをしている人っています??


件の人は「あんまりやり込み過ぎると熱が冷めちゃうから」を理由に挙げていたんですけど、繰り返しになりますが「我慢してまでビリヤードを継続する意味とは??」と思ってしまったわけです。


私は、始めたばかりの頃からとにかく撞きこみました。高頻度長時間撞き。とにかくたくさん撞きました。


それでも飽きませんでした。熱は冷めませんでした。むしろ熱は上がりました。


球歴の中で何度か、外的要因(就活とか、嫌な出来事があったとか、怪我とか)によりビリヤードから気持ちが離れてしまったことはありますが、撞き過ぎが原因での「飽きた」とか「熱が冷めてしまった」とかはありません。


他の趣味ではあります。「やりたい時にとことんやる!!」をスタートからかましたおかげで、早めに熱が冷めてしまったことはある。しかし別に後悔はしていません。何故なら継続する必要がないからです。


やりたい時にやる。飽きたらやめればいいだけ。好きだからやる。好きじゃなくなったからやめる。単純です。もし「またやりたいな」と思ったら、また始めれば良いだけです。


ビリヤードだって一緒です。もしも飽きてしまったら続ける必要はない。趣味なんだもの。


「そんなの、ビリヤード愛が足りない!」とか思う人がいるのかもしれませんけど、人間やペットに対する愛だったら「飽きたら捨てていい」とか言ってたら色々問題がありますし、「飽きないための努力をすべし」っていう道理も通りますけど、趣味ですぞ?


好きだから愛があるのであって、愛のために好きでい続ける努力をするってのはなんか違う気がする。


「飽きてしまったけど、無理やり続ける」なんていう我慢をする必要は無いし、「飽きてしまわないためにセーブをする」だなんていう我慢をする必要もないはず。

 

そんなわけで「継続のために我慢をする」っていうのが、私には良く分からんのです。


愛の話でいえば、むしろ「セーブしなきゃ飽きてしまう可能性がある程度のビリヤード愛なの?」って思っちゃいますし。


あれなのかなぁ。私自身は違いますし、そういう人に会ったことも無いんですけど、「趣味の1つくらいは持っておかないといけない」っていう、半ば義務感でビリヤードを趣味にしている人も世の中にいるのかな??


そういう人がいるのであれば「セーブをしてでも継続させる」っていう行動は理解できる。


あー、そういえば、「ビリヤードしか趣味が無く、ビリヤード関係者くらいしか友人がいないから、ビリヤードがなくなったらマズイ」って言っている人もいたなぁ。そういう人も継続が優先になるのかもしれない。


けど、私の球友にも「ビリヤード飽きた」って言って今は全然ビリヤードしていない人たちが何人かいますけど、それでも友達付き合いは続いていますよ。他の共通の趣味に興じたりご飯を食べに行ったり旅行に行ったり。今でも関係は続いています。


とあるビリヤードプレイヤー同士のご夫婦が仰ってましたけど、「ビリヤードがなくなっても仲が続くような『何か』がなきゃ駄目」だそうです。


ビリヤードしか繋がりが無いようでは駄目だって。


それは夫婦関係の話でしたけど、友人関係も一緒でしょう。


ちゃんとした友人関係を結べていれば、もしビリヤードを辞めてしまっても友達付き合いは続いていくと思うんですけどね。


お。なんか比較的ちゃんと話がまとまったww