鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

一歩一歩

昨日からの続きと、プラス1本の2本立て



1本目



昨日からのつづき




4回戦でからくも勝利しました私。



16名のシングル戦ですので、5回戦など存在しませぬ。



というわけでね?



昨日載せた配置をもう1度ご覧いただきましょう。






想像してみてください。決勝戦。入れたら久しぶりのハウストーナメント優勝。相手は赤狩山P。



ほら。ジワジワと難しい球に思えてきませんか?


よく入れたと自分で自分を褒めてあげたい。というか、良く入ったな。あれ入れたのもほぼフロックだぞ。


いや、ほんとに、あのシチュエーションであの球のシュート率、私は5割切るんじゃないかな。よー入れたというかよー入ってくれたというか。



そんなこんなで久しぶりに優勝出来ました。



ちょうどこの間「昔は少なくとも年に1回は優勝出来てたんだけどなー」「これからも年1は目指したいなー」とかいう話をしていた矢先の有言実行。



全試合通して、フロックらしいフロックは赤狩山P戦での数回のフロックセーフティーだけだったと記憶していますが、なんせそのフロックが強烈というか申し訳なさ過ぎた。


何名かの方から「運も実力の内!」と言われましてな。


私は運が実力の内だとは思いませんが、実力が無いと運も活かせないとは思っております。


フロックセーフティーかまして、カーリーさんから良い配置をもぎ取っても、取り切れなきゃ意味が無い。けど、それをイレポンのドタバタながら取り切れた。巡ってきたチャンスを掴むことが出来た。その点だけは褒めても良いかなと。



ゲームセット後に、いつも私の球を見てくださっている方から「今日は球入ってましたよ!」と言われたのですが、その一言が全てを物語っております。


まず「今日は」。「は」です。普段は入れてません。


そして褒めるべきところが「球入ってた」ってとこだけ。ほんと入れてただけ。



今回もそうだったし、過去を思い返しても同じなのですが、私が結果を出せた後に思うことは「入れとメンタルが良かった」です。


オール入れイチ。1球も思い通りに撞けてない。楽に撞けた球は一球も無し。


それでもめげずに最後まで入れ続けられたメンタルは良かった。


JPAでは何度かあったと思いますし、優勝してAクラスに上がるキッカケとなったBC戦の時もそうでしたが、極稀にブッチブチ状態になって、何も考えずとも思い通りに球が撞ける時ってのがあります。


それだけ調子が良い時ってのは球が簡単に入るし手球も出ておりますゆえ、ほとんどメンタルの強さが必要ないです。


ただそんなのは稀も稀で、基本的には心で体を統制せねばならん。


ハウストーナメント程度でゼーゼーハーハー言っている私です。そういうシンドイ状況に追い込まれる度に、常にこんな状態で戦っているトーナメントアマやプロの方々への尊敬の気持ちが湧いてまいります。


私はたまにで良い。さっさと逃げ出したい!(笑)



こういうシンドイ球撞きをした後は「もっと楽に勝ちたいなぁ」なんて思います。上記したようなブチブチ状態だった時は楽でした。


ただそんなん神頼みみたいなもんだし、どの時にしても相手は同級以下の相手でしたからねぇ。


思うような球が撞けないのなんて当たり前で、その中でどう辛抱しながら球撞いていくかが大事だと思うので、今回の度が過ぎたイレポン球は今後の修正課題ではありながらも、そんなに恥ずかしいとは思っておりません。


がっ、フロックセーフティーはな、、、あれはいかん。


内容に満足いかなくても勝ちは勝ちでありますが、さすがにあまりに直接的なフロックは含めたくない。


含めたくないけど、そういうフロックがなけりゃ自分より上手い人には勝ちようがないですよねぇ。


運気の絡まない勝利をしてみたいと思いつつ、そんなん格下を相手にした時にしか出来ないのだとはTwitterで呟いていた通りであります。


ま、色々とモヤモヤは残りますが、やはり優勝は嬉しいもんなのだ。喜んでおりました。今はもう記憶が薄れてるw



そうそう。今回の赤狩山P戦で自分で自分を褒めていたのは、8番がハンデボールというのを覚えていたこと。いっつも忘れてしまっているもんだから。


と言いながら、1得点目をあげたマスでは7番から8番への出しを普通に9番までの取り切りを考えて撞いていて、イメージより薄くしてしまって「うーむ。9番へどう出したもんかな。。。」「あ。8番入れれば良いんだった!」と、そこでやっと気づいたんですけどね。


そして全力の8番イレイチ。


どのマスも、普段の9ボールだったら普通に9番に出していける配置でした。難しい配置じゃない。けど常に全力で8番イレイチしてました。


でもかえってイレイチに行った方がシュート率下がるんじゃないかとも思った。外しはしませんでしたけど、イレイチに行ってしまうメンタル状況が良くない。


9ボールで9番を撞く時も「仮想の10番ボールがあるつもりで、しっかり撞くべし」って言われるじゃないですか。


ハンデボール8番を撞く時は実際に9番ボールがあるわけですので、出しに行くつもりで撞いた方がしっかり撞けて良いんじゃないかと思う。けど実際には、少しでもリスクを減らしたいからって全力イレイチのポンコロ球を。。。


9番に出しに行く時はなんとも思わない8番が「それを入れたら得点」となると、急に難しく思えてしまうってのはやはりメンタル的なもんでしょうなぁ。




そういえば今回は、定位置9番が入らない病には悩まされませんでした。というのも、




この配置を撞く場面が無かったから。


前回の球撞きで学んだラックでのボールの置き位置が功を奏したのもあるんですけど、前回は空回りしてしまっていた「9番を気にするがあまり、途中でミスする」ってのが、今回は噛み合ってくれまして。9番への出しが上手く決まっていたんです。


定位置9番があまりに入らないという情けないところからスタートしましたが、組み立て方が少し上手くなった気がする。


何事も悪いことだけじゃないですな。



定位置9番病が治っているかどうかは分からん。試合の時には撞いてないし、以降球を撞いておらんのだ。



それにしても、近頃戦績が芳しくなかったので「一歩一歩前進しよう」とか考えてたのに、いきなりジャンプアップしてしまった。


次の一歩はどこに目標を据えようかな。





2本目




この間ラジオで元水泳選手が「ゾーンに入る」ことに関して語っておりました。


その方は「心が体を超える」と、なんだか君の名は。のテーマ曲みたいなことを仰っておりましたw


色んなアスリートの方に「ゾーンに入ったことはあるか」「自ら望んで入れるものなのか」といったような質問を投げかけているとのこと。


トップアスリート達は誰もがゾーンに入った経験があり、その時は考えられないような好結果を出せたとか。


しかし、内容だとか結果だとか以上に、ゾーンに入った時の心地よさ、快感が忘れられず「またあの状態になりたい」と思うのだけれど、自ら望んで入れるものじゃないと答える人がほとんどだそう。


そんな中、1人だけ「あぁ。そんなのは当たり前です」と答えたのがF1レーサーの方。


ゾーンに入っていなきゃ「死にます」との返答だったとか。


まさに死と隣り合わせ。極限の状態。


そういう状態が当たり前になればゾーンに入るのも当たり前ってことなんでしょうかねぇ。



でもなんか、他のアスリート達がいう「心地よさ」はなさそうですよね。もうゾーンに入ることが大前提になっていて、苦しさしかなさそうだ。


ビリヤードも死を感じさせる環境の中で球を撞いていれば、ゾーンに入りやすくなるのか?


以前に自動車の運転のことを例にして、こんな話をしたことがあったと思います。


自動車の運転は気を抜くと、最悪では人を殺してしまったり自分が死んだり。程度が落ちても、怪我をさせてしまったり怪我をしてしまったり。


ちょっとした物損程度でも、何十万というお金がぶっ飛んでいく。


気を抜いた時のリスクは恐ろしく高いが、反面、ちゃんと集中さえしていればほぼほぼノーリスクであり、そういうシチュエーションだと私は集中出来ます。


(集中してても事故を起こすような人もいますが、そういう人に免許与えないで、、、)



が、ビリヤードで賭け球をしたとしたら、集中出来たらもちろん勝ちやすくはなりますが、集中出来たところで相手がより上手だったら負けるし、集中出来てなくても相手がミスを連発してたら勝てるし。


球撞きに納得が出来ても負ける時は負ける。納得が出来なくても勝つ時は勝つ。そういう勝負にリスクを負うことに価値を見出せず、ギャンブルは所詮ギャンブルだよなぁと思ってしまうのだ。


自動車運転の例をビリヤードに当てはめるなら、ちゃんと撞ければ絶対に勝てるような勝負をする。たとえば私でしたらCクラスプレイヤー相手にノーハンデ5先の勝負を挑んで「私が勝ったら何もなし。負けたら100K払う」とかにすれば似たような状況かな?


ゾーンに入ろうとしたらもっとかな。1000Kとか1万Kとかだろうか。


それともそっちの道の人みたいに、負けたら指を詰めるとかかな、、、



やらんね。やりませんね、これw



ゾーンに入るか、チビりすぎてどうしよもなくなるか、どっちかだな。



ちなみに、そのF1レーサーの方曰く、ゾーンに入っている時の状態をたとえるなら「畑を耕しているような感覚」だとか。


一切全く共感出来ません。分からん。神の領域か。


けども元水泳選手はその返答を聞いて思うところがあったらしい。


「宇宙飛行士の方が帰還した後に何をやるかといえば、(そのまま宇宙開発の道に携わるのを除けば)農家になるか宗教に行くか」「本当に多くの人がその2択」「突き詰めていくとそうなるのか」「原点帰りする」


といったようなことを。


なんかどんどん哲学的な話になっていって、私にはよくわからん世界だと思いました。


私は俗にまみれていよう。