鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

いつが楽しいか

4本立て



1本目


Aクラスプレイヤーの意見として「A級になってからがビリヤード楽しいのに」ってのと「Bクラスの頃が一番楽しかった」という、逆の意見を耳にすることがあります。


前者は下級者を馬鹿にするニュアンスが含まれているし、後者は「昔は良かった」っていう良くあるタイプの情けない発言なので、どっちもどっちで褒められたもんじゃないかなと。


自分にとってはいつが一番楽しかったかを考えてみたのですが、「各段階で各段階なりの楽しさがある」「いつでも楽しい」という優等生な回答が浮かんできて、「自分らしくないな」と一人笑いしてました。


キツかった時期ってのは浮かびますけどね。Aに上がったばかりの頃とか、SL9に上がったばかりの頃とか。


喉元過ぎればなんとやらっていうやつで、キツかった時期も今となってはいい思い出なので、歴を通して満遍なく楽しんでます。腕前の面では。



私は良くトッププロの球を間近で見ながら「あれくらい撞けたら楽しいだろうな」「けど、あれくらい撞けてもプロの立場に立っちゃったら周りに同等以上のレベルの人たちがゴロゴロいるわけで、結局はキツイんだろうな」と思い。


「トッププロくらいの実力を持ちつつ、一介のアマチュアとして、のうのうとして球ライフを過ごしたい」とか言ってますww


トッププロ並みの実力があっても、トッププロとして球を撞いていたら厳しい世界。


けど、トッププロ並みの実力を持ってアマチュアやってたら、ビリヤード楽しいだろうなって!w



とはいえ、それって今の私が初級者ばっかり相手にするってのと変わらないな、と。


私は初級者と撞くのも楽しいです。ウェルカムです。


ただやはり、いつもいつも初級者とばかり撞いていると物足りなさを感じると思う。


ってことは、トッププロ並みの実力があったら、やっぱり力試ししたくなって、そういう世界に飛び込んでいくもんなのかな。


ま、妄想の話なんでどうでもいいんですけど!



ちなみに、実際に何名かのプロに聞いたことがあります。


「私なんかからしたらプロは物凄く上手くて『ビリヤード楽しいだろうな』って見えますけど、プロからしたら満足なんて出来ないんですよね?」みたいな質問をしたことが何度もある。


どのプロも例外なく返答は




YES





あ。日本語的なYESです。英語的なYESじゃないですw



一生涯勉強。一生満足することなんぞ無いのでしょう。



上手けりゃ上手い分、求める球のレベルが上がりますから、一生満足なんて出来ないし。


上手けりゃ上手い分、普段対戦する相手のレベルも上がりますし。


妥協をしない限りは、どの段階でも理想の自分と現実の自分には食い違いがありますからね。


「Aになってからの方が楽しい」と自称するAはいますし、自分よりも上手い人を見て「あれだけ上手けりゃ楽しいんだろうな」と思う人もいるわけですが、実際にはそんなことは無いと思うのだ。


どの段階でも同じくらい楽しいし、どの段階でも同じくらいの苦労があるんでないかね。



以上は腕前で見た場合の話。


腕前的には「これくらいの腕前の頃が楽しかった」ってのは少なくとも私には無いんですけど、時期的なものというか年齢的なものというか、ビリヤードへの接し方という面で見れば楽しかった時期ってのはあります。


やはり学生の頃は時間があってやりたいように球が撞けていたし、同世代の仲間たちと楽しめたしで、ビリヤードを通じて非日常感を味わえたり、ビリヤードを通じた人間関係を楽しめたり出来たので、学生の頃は楽しかったですね。


最近は、とっても日常的な接し方しか出来ていないので、そういう面では面白くないかも。



そんな中、先月だったか先々月だったかに、2日連続で非常に球撞きを楽しめたことがありました。


「半年に1度あるかないかの絶不調!」なんてボヤいていた状態から立ち直れていないままだったので、球の調子はあまり良くないにも関わらず、とっても楽しめた。


内1日は、集中して対戦することが出来る実力が近しい人と勝負出来たから楽しかった。勝負を楽しめました。


もう1日は、私の布教活動の成果でありますが、初心者初級者達との球撞き会をやりましてね。


こっちは極単純に、メンツが最高だった。言ってしまえば、あのメンツならビリヤードじゃなくてもなんでも楽しめるんですけども(笑)


勝負を楽しんだ日にしても、和気藹々と楽しんだ日にしても「人」が大事な要素。



私は一人転がしが大好きですので、ビリヤード単体でも充分に楽しめます。


けどそこに人という要素が加わることで、さらに楽しくなることがある。


ほんとに人次第で、恐ろしく楽しいこともあるし、ちょっとだけのこともあるし、特に普段と変わり無いってこともあるし、マイナスにもなる。


最高にビリヤードを楽しめる人達との出会い。


感謝すべき出会いであります。





2本目



とある女性A級様が、ちょっとしたショットで褒めてもらえる初級者を見て「私だって褒められたい!」と嫉妬しておりました(笑)


またとあるSA様は「俺なんかは、何をやっても当然って思われちゃうからなぁ」と、やはり褒めてもらえないことを嘆いておりました。


「褒めてもらえないから、自分で褒めてる」なんて言ってるAクラスさんもしばしばいます。というか自分もだ。



しばしば申しております通り、褒められることで「伸びる」に繋がるかどうかは全くの別問題でありますが、少なくとも「褒められたら嬉しい」は誰もが同じでありましょうからね。


上級者に対しても「上級者だから出来て当たり前」なんて思わず、褒めてあげましょう(笑)





3本目



この間久しぶりにハウストーナメントで優勝出来まして、昔のことを思い出しつつ1ネタ書こうと思ったのですが、うーむ。難しい。


常々「勝者の振る舞いには品格が現れる」と思っております。自分が勝者になった時は「振る舞い方が難しい」と思います。



というのも、手放しに喜んでいると「謙虚さが足りない」系のツッコミを入れられますでしょう。


だからといって謙虚な態度を取ると「勝てなかった試合参加者達を馬鹿にしている」などともとらえられかねませんでしょう。


何をどうしても揚げ足を取られるからこそ、優勝者たちは「ラッキーでした」とか「おかげさまで」みたいなことを言うわけじゃないですか。無難な。



けど、ブロガーはそれじゃやってられねーんだ、これが!なんか書かなきゃいけないんだ!



でもやっぱり、うーむ。何をどうしても上手くは書けないなぁ。





4本目



マナーというものに関しては、自分はマナーよく、人のマナーには寛容にというのが一応の目標ではあるのですが、100%の達成までは程遠い。というか達成なんて出来るのだろうか。



守ってもらえないと気になってしまうマナーに関しては、なかなか寛容になれないけれど、
相手が守っていなくても気にならないマナーに関しては寛容になれるというか、そもそも気になっていないのだから寛容も何もあったもんじゃない。


そもそも気になってないから許すってのは「寛容」って言うんですかね?


たとえば、スクラッチをした時に、スクラッチをした人が手球を拾って相手に渡すっていうやつ。


私、相手がやってなくても気にならんです。


手球を拾って相手に渡す人が「マナーが良い」とは思いますが、渡さない人がマナーが悪いとはあんまり思わないので、相手が拾わなそうなら自分で拾って終わりです。



この点に関して「手球を拾わない人はマナーが悪い!!」として、断じて守るべき重要なマナーであると頑なに主張する人がしばしばいるのですが、そんなに大事なんでしょうかね?


私のマナー感ってのはどっちかっていうと「自分のプレイに悪影響が出るか否か」が主な判断材料です。


が、武道とか武士道的な礼節を「マナー」として考える人にとっては、手球を拾って渡すってのも大事なファクターなんでしょうかね。



2つ目の例として、セルフラックの時の点数付け。


相手ラックの時は自分で得点をつけていましたが、セルフラックになってからは相手がつけることが一般的になりましたよね。


ただ、それって「マナー」ですか?


私はつけます。その方がマナーが良いかなって気がするし、相手にスコアをつけられるのが嫌だっていう人はいないだろうし。


ただ、相手が私のスコアをつけてくれなくても、別にマナーが悪いとは思いません。自分でつけるだけです。



ブレイク後にラックシートをどちらが取るかっていう話と同じくらい、別にどっちでもいいんです。




ただ、以前にも書きましたけど、途中までは私のスコアをつけてくれていたのに、拮抗した展開になってきたら急にスコアをつけてくれなくなった人が過去にいました。


集中し過ぎて失念しているのか、それともこちらを動揺させようという作戦なのか、あわよくば私の得点をなかったものにしようとしているのか分かりませんが、あれはやめて欲しかったですね。。。


つけるならつける、つけないならつけないで一貫して欲しい。