1本目
仕事にも関わる話なのであんまり突っ込んでは書けないんですけど、漫画やら映画やら音楽やらって、その作品自体の魅力だけじゃなくて思い出も乗っかるじゃないですか。
「あの楽しかった旅行の時に、この音楽が流れていたなー」とか「子供の頃、友達とこの漫画の貸し借りをしたな。楽しい時代だったな」とか「初恋のあの人と、この映画一緒に見に行ったな」とか。
作品の魅力に思い出がプラスで乗っかる(マイナスのこともありますけどw)
んなもんだから、そのプラス補正がかかっていない人には魅力が伝わらないことがありますよね。同世代の人とは「この曲、最高だよね!」と共感しあえるのに、他の世代の人には全く伝わらないなんてのは良くある話で。
世代を越えて、作品の魅力単体で人を魅了できるのが本当に素晴らしい作品なのでしょう。
同じような話なのですが、タイムラインに流れてきたとあるソムリエさんのツイートを見て「あー。分かるわー」と思っていました。
ざっくりまとめると「あなたの感情を製品評価に乗っけるべからず」という内容。
直接ワイナリーを訪ねてワインを仕入れた時、そこでの体験がワインの魅力にプラスで乗っかってしまいがちだが、販売者としてはその感動と一線を引くべきである、と。
仕入れのために直接ワイナリーを訪ねると「歴史のある素晴らしい建物だった」「素晴らしい景観の中にある畑だった」「素晴らしい人柄の醸造家だった」などなどの感動がワインの魅力にプラスされてしまうけれど、買う方としては「しらんがな」ってことになる。そんな感動は実体験した人にしか伝わらない。ワインの味に関係しない。ワインを飲んでいるだけの人には伝わらない。冷静さと客観性を持って販売すべし。とな。
これ、ビリヤードをやってても似たようなことがよくあると思うんです。
例その1。直接の面識がある上級者をやたらと高評価する。
面識があり、直接球を見たり対戦したりしたことがあるために感動も大きく「あの人はめちゃくちゃ凄い!」と高評価する。しかし、同じ体験をしていない人からすると「そこまで言うほど凄くないでしょ」「もっと凄い人、いくらでもいるでしょ」くらいにしか思えない。
「あんな素晴らしい人の言うことですよ?なんでみんな聞き入れないんですか!」だなんて言っている人もいるけれど、こっちからしたら「その人がどんな人なのかなんて知らんがな」ですからねぇ。
例その2。製品の評価に感情を乗っける
知り合いが作っているとか。その製品を手にするまでの逸話があるとか。使っている時に何かしらの出来事が起こったとか。
そういった感動を製品評価にプラス(またはマイナス)で乗っけてしまうのだけれど、これもまた他人からしたら「しらんがな」という話でしかない。
というわけで、まとめ。
- 共感を得たいだけなら自分と似たような経験をしているであろう、共感してくれそうな人相手にするべき
- レビューをしたいんだったら、感情は捨て去って客観的な評価を心がけなくてはいけない
2本目
1本目のネタ元になったソムリエさんのプロフィールを見ていて「あぁ。自分みたいな素人はターゲットにされていないな」と感じました。経歴が色々書かれていたのですが、私なんかが見てもその経歴の凄さが全く分からなかったからです。というか、略語が多くて、何が書かれているのかすら分からんかった。
私のような素人が見ることは想定していない。同業者をターゲットにしているようでした。
「素人が見ることを想定していない」というのを意図しているならば良いのですが、意図していないであろう例もしょっちゅう見かけます。素人にも見てほしいのに、素人が理解できないような書き方をしている場面を度々見かけます。ビリヤードでも、ビリヤード以外でも。
分かりやすい例を出せば、一般人向けのイベントに出るプロのプロフィールとして「JPBA○○期」とだけ書いても、素人さんはそれが何を指しているのか分かりませんよね。JPBAがビリヤードのプロ団体だなんてのは私らからすれば常識ですが、一般の人にはプロであるということが通じない。
「ビリヤードにプロなんてあるんですか?」という人も多いし、漠然とプロはいるんだろうと思っている人であっても「JPBA」とだけ言われてもプロだとは分からない。
「ジャパンオープンベスト〇〇」なんて書いたって、ジャパンオープンがどういった格の大会なのかを一般の人は知らない。
どういう書き方をすれば一般の人が「この人は凄い人なんだな!」と思ってもらえるのか。そこんとこをもうちょっと考えたほうが良いぞ、って思わされることがしばしばあります。