鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

言い訳の欠点って?

 

1本目


当たり前の話ですが、私にとって、しっかりとした準備をして臨んだ球撞きと、準備をしていない時の球撞きでは内容が違います。


前日までにしっかり準備を整えて臨んだ球撞き(主に公式戦)の時は、1ラック練習は貴重です。1ラックの間にしっかり整えようという気持ちがあるし、ある程度何をやるかも自分なりに決まっています。「昨日までに準備した内容を、しっかり引き出せるようにしよう」「このテーブルのコンディションを掴もう」と考えるわけです。


一方で、全然準備をしていない時の1ラック練習は「やるだけ無駄」という思いが私にはあります。準備を怠っていたのだから、今更1ラック撞いたところでどうにもならないからです。


準備してないから、瞬時に取り出せるものがない。過去の経験から引き出そうとしても、ボンヤリしているから物凄く時間がかかる。1ラックの間に出来ることが無いのであります。1ラックを1時間かけて撞いていいとかなら別ですけど、今は制限時間もルールがありますしね(笑)

 


何度か書いておりますが、球屋に入っていきなり相撞きっていう時に、相手から「ちょっと転がしますか?(練習しますか?)」と聞かれ「(練習しなくて)大丈夫です。変わらないんで」と返すことが多い私。


言葉足らず過ぎて相手からは「練習しなくてもバチバチに撞けるのか」と思われてしまうことが多い(多いというか100%ですねw)ですが、「大丈夫です。変わらないんで」は主に「1ラック程度練習したって、調子は整えられないので」という意味合いで使われます(;^_^A


準備をしていない時の私は、調子を整えようとしたら1人練習を最低でも1~2時間はしなきゃいけない。「ちょっと転がしますか?」と言われて1~2時間も練習させてもらえるわけがないですよね?(笑)


そして、1時間未満の練習では本当の本当に、やった時とやらなかった時とでほとんど変わらないのです。1ラックという短さとなったらなおさらです。


「練習したところでどうせ無駄なので」という意味で「大丈夫です。変わらないので」と言う私であります。ご承知おきくださいませw


「変わらないにしても、少しは撞けば良いのに」と思われるかもしれませんが、「変わらない練習のために、相手を1分2分待たせるのは申し訳ない」というのが100%の本音です。


もし相手が「(相撞き開始の前に)ちょっと1本電話してくるので、練習しててください」「トイレ行ってくるので、練習しててください」とでも言った場合は、たとえ変わらないとしても練習しますよ。


ちなみに、そんな私でもたまに「ちょっと撞かせてください(ちょっとだけ練習させてください)」と言うこともあります。それは


・ちょっと撞けば勘を取り戻せるくらい調子がいい
・ちょっとでも撞いておきたいと思うくらい、あまりにも調子が悪い


のどっちかですね。

 


2本目


「言い訳」というものも、他人に対してする言い訳と、自分自身にする言い訳があると思います。


「撞くのが久しぶりだから、球が入らなくても仕方がない」という定番の言い訳を例にするとして、他人に対してするのと自分自身に対してするのじゃ、意味合いがだいぶ変わってくるんじゃないでしょうか。


私は「他人に対して言い訳するが、自分にはしてない」っていうことも、「他人にはしていないが、自分に対して言い訳している」ってことも、どっちもあります。


前者の場合は、事前の言い訳が多いです。事前に「撞くのが久しぶりなんで」と、とりあえず予防線を張っておくが、本心では「まぁ、特に影響はないだろうな」と思っているってことはしょっちゅうある。


一方の「他人にはしないが自分に言い訳している」っていうパターンは、いざ撞き始めてからあまりに調子が悪くて、「久しぶりだからなぁ。。。」と心の中で思っているのだけれど、それをあえて口に出したりはしないっていう状態ですね。


で、度々申しておりますが、言い訳は他人に対してするものよりも、自分に対してするもののほうがマズイと思うのです。


自分に対しての言い訳というのは「〇〇だから、下手な球を撞いてしまっても仕方がないのだ」と考え、対策を怠ることを正当化してしまう行為であります。


「〇〇だから調子が悪いようだ」「〇〇な時は、こういう対策を取れば良いのだ」という方に心を動かせれば良いのですが、「〇〇だから調子が悪くても仕方がない」のままでは、何も進展しない。ただの諦め、ただの怠けであります。


なぜ自分への言い訳をしてしまうかと言えば、精神衛生を保ちたいからという以外の理由が浮かびません(;^ω^)


そんなことをしてる暇があったら、調子を立て直せるように頭を回すべきなわけでして、、、

 


近頃の私の悩みが「最近撞きこめていない」という自分自身への言い訳を、中々ぬぐいされないことです。


あくまでも私自身のビフォー&アフター比較ですが、コロナ前に比べて撞きこめていないというのは事実です。これは言い訳ではない。事実。撞いている時間が半分くらいです。頻度は半分以下。


コロナ前は「週10時間撞くぞ!」を目標にしていて、平均的には週に3~4回、計6~7時間くらい撞いていましたが、今は半減。


私は「アベレージ以上の球が撞きたい」という欲求があるわけですが、そこでイメージしているアベレージというのは、コロナ前のアベレージであります。今はそれを出せていないことが多い。そして「半分しか撞けてないんだから、前のアベレージが出せなくても仕方がない」という思いがある。


そのため、球の調子が悪くても「撞きこめていないのだから、仕方がない」という言い訳に逃げ込んでしまって、調子を立て直そうという気持ちが湧いてこないことが多くて困っております、、、


なんとか気持ちの整理をしようとしたり、以前の半分くらいの撞きこみ具合でもキープは出来るような接し方をしようとしたりしてみましたけど、どうにもこうにも上手く行かない。


「撞きこめていないのだから、仕方がない」という言い訳をしないためには、前と同じかそれ以上に撞きこむしかないという非常に単純な結論に至り、なんとか以前と同程度には撞けるように生活リズムを調整中な今日この頃です。

 

 

3本目


「自分に対しての言い訳こそ駄目」と考えるのは、「自分に言い訳しちゃうと、その場の結果を放棄することになる」「成長の妨げになる」という観点からです。


一方で、「他人に対して言い訳をするのが駄目」と考える人も、少なからずいると思います。


「言い訳をしてはいけない!!」と声を大にする言い訳警察の方々がいるわけですけども、言い訳警察が刈り取れる言い訳ってのは当然のことながら「他人に対しての言い訳」ですよね。そりゃ本人が内心で言い訳をしていたって、口にしなければ他人には伝わらないわけですから、刈り取りようがない。


「自分にも他人にも言い訳をしている」っていう最悪パターンの場合はツッコミを入れるのも分かりますが、「他人には言い訳するが、自分にはしていない」っていうパターンもあるだけに、そういうのは刈り取る必要があるんでしょうか?と、ふと思いました。


他人に対して言い訳をする。これ単体の欠点はなんでしょうか???


漠然とした「言い訳の言葉を口にするのは格好悪い」っていうイメージの問題というくらいしか、理由がない気がする。


「言い訳の言葉を耳にした他人がイラッとするから、他人に迷惑をかけているということになる」などという理論も成り立つかもしれませんが、これはこれで「その程度のことでイラッとしていてはいけない」という理論も成り立ちますしね(;^ω^)


むしろ、勝負師の観点からしたら、相手をイラッとさせられたら儲けものですから、メリットがあるということにもなるし。


「他人に言い訳し、自分にも言い訳する」は駄目ですけど、「他人に言い訳するが、自分にはしない」パターンの欠点ってなんなんだ??


漠然とした道徳観に抵触するっていうだけ??