1本目
私、事実を言い訳っぽく口にしてしまうことは多々ありますが、言い訳のために虚勢を張ることはありません。
調子が悪い時に「今日は調子が悪い」とは言いますが、アベレージ以上に撞けたけれども負けてしまった時に「今日は調子が悪かったからなー」なんて言うことは無いのです。
また「撞くのが1週間ぶりだからなーーー!!」とか口にしていることはしょっちゅうありますが、本当は前日に撞いていたのに「1週間ぶりだからなー!」と嘘をつくようなこともしません。
言い訳はするが、嘘はつかない。事実を言い訳っぽく口にするのが私です(笑)
そんな私は「1週間空いてしまった」「最近、週に1回しか撞けていない」みたいなことはしょっちゅう言っているんですけど、にも関わらずなぜだか「ほぼ毎日撞いてるんですよね?」と言われることがしばしばある。
ハードルを上げたくない。ってか下げておきたい。言い訳がしたい。嘘をつくようなことはしないけれど、せめて事実は伝えておきたい。週に1回しか撞いていないんだよ!!
けども、毎日撞いていると思われていることが、、、
なんでなんでしょうか。ブログを毎日更新してるとか、ほぼ毎日何かしらツイートしてるとか、そういう所に原因があるのかなぁ??
2本目
先日「ウィスキー好きなら知っておきたい、スコッチとバーボンの違い!」ってなネット記事を見かけまして、「そんなんを知らないんじゃ『ウィスキー好き』とは言わんだろう」と一瞬思ってしまいました。
が、すぐに「これが典型的な老害だな」と反省(;^_^A
こういう「そんなことも知らんのか」勢がいるから、ご新規さんが馴染みづらいわけですからね。いかんいかん。行いを改めなくてはいけない。
ふと思ったのですが
ウィスキー好きなら知っておきたい
ウィスキーが好きなら知っておきたい
「が」が入るかどうかで、印象がだいぶ違いませんか?
「ビリヤードが好きなら知っておきたい、8ボールのルール!」なら良いけど、「ビリヤード好きなら知っておきたい、8ボールのルール」だと若干モヤッとしませんか??(;・∀・)
3本目
世の中には「才能がある」というのを評価する人と、「努力をしている」ことを評価する人とがいるってな話を度々しております。
私は、他人を評価する場合はそのどちらでもなく「結果を出している人は凄い」という評価です。センスでだろうが努力でだろうが、結果が全てだと考えております。結果を出しているならセンスでも努力でもどっちでも良い。
他方で、私自身のことを評価する場合は努力推しですね(もちろん、結果を出しているというのが前提)
センスなんてのは、んなもん「神に感謝」とか「両親や先祖に感謝」とかいう話になっちゃって自分自身は何も凄くないので、自分自身の努力で身につけた力を評価したい。
なので、人から評価していただく際も努力の方を評価していただけた方が嬉しい。
センスについて褒められる場合は、かなりシチュエーションと相手を選びます。
「センスがある」と言われて嬉しい時もあるのですが、「センスがある」ってのを「努力していない」と同じような意味合いで使われて、若干馬鹿にされてるようなこともありますからね。それは全く嬉しくないし。
度々出くわす最も駄目な「センス」の使い方だと思っている言い回しが、「鈴木さんはセンスがあるから出来るんです。私は出来ません」みたいな感じに、練習を怠る言い訳にするやつな。。。
4本目
我が球人生で最も真面目に球を撞いていたのがJPAをやっていた頃でして、その頃に学んだことがたくさんあるんですけど、1つに「序盤こそ真面目に、慎重に」「序盤こそゆっくり撞くべし」がありました。
私のような不真面目なプレイヤーは、序盤はまだ勝負に入り込めていなくて、ついつい「まだ序盤だから」と適当に撞いてしまうことが多かった。
しかし、序盤に良い球が撞ければ好循環、悪い球を撞いたら悪循環に突入しますから、序盤こそしっかりとした球を撞かなきゃいけない。
まだ体が温まっていない序盤にはしっかり時間をかけて撞き、一刻も早く「普段通り」に撞けるようにすべし。
そういうわけで、「序盤はしっかり時間をかけるべき」という意識が私にはあるので、それが出来る人は優れたプレイヤーであるという意識があったのですが、、、
ある試合の1回戦で当たった初対面のプレイヤー。少しでも悪いイメージが湧いたらしっかり構えなおす。1回戦の1球目から完全に真剣モード。適当に撞いたりはしない。「真面目だな」「すごいな」って思いました。
気になって、その後の様子も見たのですが、2回戦以降も全く同じ撞き方。
こりゃ、ただの遅撞きだわ
評価が一転しましたね(;^ω^)
1回戦は誰しもが体が温まっていないので、その時間帯にしっかり時間をかけて撞けるのは強いプレイヤー。
常時しっかり時間をかけてしまうのはただの遅撞き。
この差は大きいからなぁ。