鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

1つ1つの積み重ね

きっけー氏と撞いている時に思いついたネタ4本立て

 

1本目

 

近ごろ、どんどんとストロークの振り幅を小さくしてみていっている私です。チョコ撞きが堂に入ってきました。


「昭和の球」の対極にあるってことで「平成の球」なんて勝手に呼んでいる球です。


どんどんどんどんと、個性も無いし面白みもないストロークになってきている。ストロークだけじゃなくて、球の内容も手球をほとんど動かさない、やたらと静かな球撞き。面白みがない。


しかし、どんどんとショットは安定するようになってきている。イージーミスがかなり減った。


「今はまだ『結果は出しやすいとはいえ、こんなつまらない球を撞いていて良いのだろうか』という思いがあるけれど、そのうち『結果を出せる楽しみ』の方が上回ってくるんだろうなぁ」とか思っておりました。


ストロークって難易度がありますよね。


概して、ショットバリエーション豊かに撞けるストロークの方が難易度が高いと言えると思います。


比較的簡単に習得出来るけれどもあまりにもショットバリエーションが少ないストロークよりかは、多少難易度が高くともショットバリエーションが豊かなストロークの習得を目指した方が良いんじゃないかと思います。


しかし、ある程度まで行くと「難易度が上がるだけで、そこから得られる物が特にない」ってことになってくる気がします。


難易度が高いわりに、増えるショットバリエーションは滅多に使わないようなショットだけだとか。


はたまた、「見た目」を良くしたいがためだけに難易度を上げてしまっていて、ショットへのメリットは特にないだとか。


たぶん「見た目」に関しては、かなり多くの人が耳が痛いんじゃないですかね?W


私もそうです。「なんでそういうストロークをするのか」と聞かれて「見た目が好きだから」「個性があるから」としか答えられない部分が結構多い。そして、見た目を良くするために無意味にストロークの難易度を上げてしまっている。


見た目なんてのはショットになんら反映されませんし、かつ「見た目の良し悪し」なんてのは人それぞれの好みですからね。自分が格好いいと思ってたって、一体どれだけの人が同じように「格好いい」と思ってくれるのかなんて分かったもんじゃない。まさに自己満足です。


意味もなくストロークの難易度を上げてしまっている、見た目にこだわった部分。それを最近はどんどんと削っている私です。


しかしまぁ、やっぱり面白みがない。撞き方も、撞き出される球も。

 

今までは「そんな球撞いてて面白いの?」っていうセリフは、私のプレイスタイルにケチをつけてくる他人に対して言ってました。


従来の私はキューをデッカく振って、手球をたくさん動かしてってのが好きで、それを実行していました。そういう球を撞いているとやはり「無駄が多すぎる」としてケチをつけられる。


それに対して私が言えることは「そっちこそ、そんな球を撞いていて面白いの?」「勝ちにこだわる球を撞いているわりに、勝ててないじゃないか」ということでした。


勝ちにこだわった球を撞いておきながら私にすら勝てないってんじゃ話になりませんし、そんなつまらない球を撞いておきながら私よりちょっと上手い程度で満足なの?そんなプレイスタイルなら最低でもA級上位にならなきゃならんでしょって。


時は流れ、私自身がチョコチョコチョコチョコとした結果重視な球になってしまった。一体何がキッカケでこうなったんだろう。昨年公式戦に出たせいだろうか。


私自身がつまらん球を撞くようになってきて、私自身に「そんな球を撞いていて面白いの?」「こんな球、結果を求めるしかない球だぞ」と自問自答するようになりました。


チョコチョコチョコチョコとした結果だけを求める球。そんな球を撞くってことは、とにかく勝ちを目指すしかない。プロを目指すとかSAを目指すとか、毎日ギャンブルに明け暮れるとか、そういう人向けのプレイスタイルではないか。


私は全然。だいぶレジャー寄りの志向である。そんな私が結果重視の球撞いてどうすんの??


私みたいに遊びでばっかり球を撞いている人が結果重視のつまらない球を撞くようになったら、相撞き相手を減らしてしまうだけな気がする。「あの人と撞いてても面白くない」って言われてしまうだけだ。


こんな球を撞くからにはA級上位の結果を出さなきゃいけない。それくらいのレベルで撞ければこんなつまらん球を撞いていても価値を見出せるけど、中堅A級程度でこんなプレイスタイルじゃ、「つまらない球を撞く普通のA級」だぞ。そんなんでいいの?普通のA級だったら、せめてまだ個性があった方が良いんじゃないの?


そう自問自答しつつも、やはり「結果が出しやすい」てのは麻薬ですね。一度取り入れちゃうと抜け出せなくなっちゃう。

 

先日きっけー氏と撞いておりました際、きっけー氏が毎度お馴染み「出来れば格好いいけど、リスクの高い球」を選択しようとしたので「そんな選択してたら万年B級になっちゃうよ」「『上手くなったらやれ』って言おうと思ったけど、上手くなってもやらないんだよねぇ」とか言ってた私。


「面白みがないけど無難な球」と「面白いけど難易度の高い球」ってのは、どんだけ腕前が上がっても後者の方が成功率が低いのには変わりがないわけですよ。


B級の時は8割と5割だったのがA級になったら8割5分と7割になるとか。そんな感じ。B級の時より成功率は上がるけれど、結局は前者の方が成功率が高いことに変わりはなく、成功率でショット選択をしている限りは後者を選ぶことは無いっていう。


「そういうのは上手くなったらやれ」と言いたくなるけど、上手くなったってやらないし、むしろ上手くなったらなおさらやらない。


かのレイズだって、普通のアマチュアレベルだった頃は「そんな球を撞くな馬鹿!」って言われてしまうような感じだったんじゃないでしょうかねぇ?


上手くなったからあぁいう球を撞くようになったんじゃなくて、あぁいう球を撞きながら上手くなったのでは。


レイズのように「魅力も結果も」という両方を兼ね備えるのは我ら凡人には無理な話なので、我々が出来るのは「つまらん球だけどそこそこ結果は出せる」か「面白みのある球だけど結果はイマイチ」のどっちかなんですよね。


どちらを選択するかだけの話なので、きっけー氏が後者を選ぼうとしていても、私が一々口を出すような事じゃないのかもしれん。


ま、きっけー氏の場合は「面白みのある球を撞くB級」と「つまらん球を撞くA級」の二択になりそうな感じなので、これだったら後者の方が良いんじゃ?って気もしますけどねw

 

 

2本目

 

昔、度々ネタにしていた覚えがあります。「空クッションから何かをしようとするのは、分不相応なのだろうか」「シバいた方が良いのだろうか」と。


意図的なセーフティーにせよフロックセーフティーにせよ、隠れた球が回ってくることは少なからずありますよね。


そういう局面で、私は何の意図もない球は撞きたくないのです。昔っから変わらぬ思いです。


空クッションからの入れを狙えるようなら狙いたいし、セーフティーを返せそうならセーフティーがしたいし。


ただ単に当ててファールを回避するだけとか、思い切りシバいてフロック狙いに行くだとか、そういうことはしたくなかった。


しかし、初級者の身空で何かしら意図を持った空クッションを撞こうとすると、かえって悪い結果になります。


ある程度経験を積めば、当ててセーフを取るだけなら大して難しくないっていうことが多くなります。しかし「とりあえずセーフは取れる」から先が難しい。そっから先のことを考えた結果「セーフを取る」すら出来なくなってしまうことがある。


当てるだけだったら難なく出来たのに、入れを考えた厚みを狙ったために当たらずにファールになってしまったとか。シバいておけばなにかが起こったかもしれないのに、セーフティーを狙ったために甘く残ってしまったとかノークッションファールになってしまったとか。


そういうことが私は多く、反対にシバいてばっかりの人達は良い結果を残していたりする。


悶々とした日々でありました。


けど、ふと気づけば、そういう球人生が実を結んできた気がします。


シバいてばっかりだった人たちは、今もシバいてばっかり。


一方の私は空クッションの精度がだいぶ高まって、空からの入れやセーフティー返しもだいぶ上達した。正に小さなことの積み重ねだなぁと感じています。


私程度が大器晩成などと言うのはおこがましいですが、けどやはり、「いま出来る事」ばっかり選択していると、いつまで経っても「いま出来る事」の内容が変わらないぞってのは言いたいですね。

 

 

3本目

 

すんごくしょーもない話なんですけどね。

 

 

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この球。皆様入れられますか?

 

きっけー氏と撞いている最中に、恒例の軽口大会をしておりまして、話の流れで「この球だったら、大井Pと同じ成功率が出せる」って言ったのが上の配置ですw


9番フットのフリーボール。これを入れられるか。


さすがに、Aクラスでこれを入れる自信が無いって人はいないはずです。


しかしですね。もし2人のプレイヤーがこの配置を延々と撞き続けてサドンデスで負けた方は相手に100万円払うとかになったらどうでしょう。やばいよやばいよ。


勝負がつくまでにどれくらい時間がかかるでしょうかね。そして、勝負の決め手は何になるんでしょうか。体力な気がしますね。

 

 

っていう文章を書き終えた後に上の作図をしたんですが、いざ「9番フットのフリーボール」のイメージ図を作ってみたら、案外難しく見える!!w

 

「9番フットのフリーボール」という言葉からのイメージだけだと、「そんなもん、延々と入れられる」「最後は体力集中力切れでの幕切れになるだろう」とか思ったんですが、意外と早く決着がつきそうな気も。。。

 

9番フットのフリーボールって、撞く機会がまずないですよね。

 

たまに初心者が練習として撞いている風景を見かけますが、私は初心者時代にもやった覚えはない。

 

そして、Cクラス時代はB級以上の人とばっかり撞いていたので、相手が9番入れスクラッチなどをしてもOKを出してくるので撞く機会はなく。私自身がBクラス以上になってからも同じ。

 

「OKを出す」ってのがあまりにも習慣化されているものだから、9番フットのフリーボールなんて撞く機会が無い。

 

JPAだとOKを出さないって人(人というかチームの方針かな?)も多いです。その方が良いと思います。

 

私もSL9になってから、9番フットのフリーボールを撞かされたことがありました。はずしはしませんでしたけど、メッチャ緊張しましたw もっと低いSLの人だと、普通に何回かに1回はミスすると思うんでね。撞かせた方が良い。

 

私は「撞かせた方が良い」という持論なので、OKを出されなくても「こんな球撞かせるだなんて舐めてんの!?」なんて思うことは一切なく、ただ単純に撞き慣れていないからこその緊張感がありました。

 

通常のセットマッチくらいなら緊張もしないでしょうけど、JPAのシチュエーションは何気にきつい。誰もが「SL9が外すわけがない」と思っているだろうし、スコアラーなんてもう入れたものとして記載してたりするし、しかし当の本人は慣れないシチュエーションを前にして緊張しているという。

 

そしてまた「OKを出さないなんて、舐めてんのか!」タイプの人だったら、それで平常心を失って外すかもしれませんしね。そういうタイプの人は、外そうものならさらにメンタル崩してそっから先ボロボロになるでしょうから、撞かせといた方がいいw

 

 


4本目


きっけー氏テーブルにはマイチョークを2つ置かせてもらっています。どちらも使い物にならないからと、全く使っていなかったチョーク。


使わないんだけど捨てるのは勿体ないと思って、なんとなく保管していたチョークを、きっけー氏テーブルの置きチョークにしたのです。


きっけー氏テーブルではどうせきっけー氏としか撞かないし、チョークに拘る必要が無いだろうと思っての選択でありましたが、、、、


きっけー氏と遊びで撞いているだけであってもミスキューしまくるんですよ。どんだけ乗りが悪いんだ、あのチョーク達は。マスターの方がずっと良いぞ。


きっけー氏相手だからミスが痛手にならないとはいえ、あんだけミスキューしまくるとやはりイラつくし、タップへのダメージも酷い。


あまりにチョーク乗りが悪いもんだから、チョークを塗る癖が無い私ですら毎回塗ろうと思うし、毎回塗るどころの騒ぎじゃなくて、毎回タップ面をガン見しながら塗りたくってます。それでもなお乗らん。

 

「乗りが悪いチョークを使った方が、チョークを塗る癖がつけられるかもしれない」とか思っていました。


しかし、そう思った直後に「けど、チョークを塗る癖をつける意味ってあんの??」と思いました。


私はあまりにもチョークを塗る癖が無い。昔に比べたらだいぶマシになってはいるのだけれど、それでも1ラックに1~2回しか塗らないこととかザラにある。


そんなもんだから「チョークを塗る癖をつけねば」と思っているのだけれど、乗りの良いチョークを使っていたら、毎回塗る必要は無いですよね?


毎回毎回際どい撞点を撞くってんなら別ですけど、上手く組み立てられている限りは、そう毎回チョークを塗る必要性には迫られない。


必要もないのにチョークを塗る。しかも乗りが良いやつを。そんな癖は余計じゃない?単に汚れを増やすだけじゃない??


乗りが悪いチョークでとなったら毎回塗る癖をつけた方が良いかもしれないけど、今どきのチョークはノリが良い。そんなチョークを使ってなお毎回塗る癖をつける意味ってあんの??


私の「チョーク塗った方が良いぞ」センサーは結構優秀で、塗る必要が無いと判断した時は本当にそのまんま撞けるし、「この球は塗った方が良いぞ」と思った時には塗ります。


塗ったけどもなおミスキューしたってのは仕方が無いです。そして「塗り忘れたせいでミスキューした」ってことは滅多にないんですね。


だったら「塗る癖をつけなきゃ!」って考える意味はないんじゃないか?


と思った先日でありました。