鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

褒められても嬉しくない

 

1975文字

 

1本目

 

「飲食店なんかも、ある程度どういう雰囲気なのか分かっている方が行きやすいじゃないですか。球屋もそうですよね。だからYouTubeによく出てくる店に行きたがる人が多いんですよ。YouTuberさん達も動画を通じてどういう人かが分かるから気楽に会おうと思えるし」

 

こう力説するB級さん。私は「うん。分かる」と思っていました。

 

しかし某A級氏が「良く知らないものには手を出さないだなんて言ってるから上手くならないんだよ」といきなりディスり始めるもんだから鼻水が、、、ww

 

A級氏の言いたいことも分かります。未知を怖がって遠ざけてばかりでは成長できない。イメージができることばかりに手を出していたんでは先が知れてしまう。そういう考え方も分かる。

 

ただですね。今回の話の場合、上手くなる上手くならないとかじゃなくて「ネタバレは好きじゃない」「知らない所に足を踏み入れるのが好き」っていう、単なるA級氏の性格の問題だと思うんですよねw

 

映画を見に行くにしても、A級氏は前情報には一切目を通さない。先入観0の状態で見に行きたいというタイプ。少しでも情報を漏らされようものなら怒る。

 

B級さんは、なんならネタバレされても構わないというタイプ。既に映画を見た人からある程度のネタバレを受けて、「お。面白そうだな」と思って見に行くようなタイプ。

 

性格が違いすぎるんですよね。



ビリヤード場やビリヤードプレイヤーに対しても「初めての店に行くのは怖い」「初めての人と撞くのは怖い」「ある程度イメージできていた方がいい」と考える人はいるし、「ある程度イメージ出来たほうが気楽ではあるが、全くの情報無しでも問題ない」と考える人もいるし、「前情報なんて無い方が楽しい」と考える人もいる。

 

これは上達云々ではなく、それぞれの性格、それぞれの楽しみ方の話なんじゃないですかね。



2本目

 

「誰に言われるか」ってものすごく大きいわけですけど、悪い方向での究極が「こんな人に褒められても嬉しくない」と感じる時だなぁと、ある時思いました。

 

基本的には褒められたら嬉しいじゃないですか。

 

そんな中、気に食わない人から褒められて、その褒め方が「うむうむ。よくやったぞ。褒めてつかわそう」みたいに感じることってありませんか?笑

 

「なんで上からなんだよ」と感じてしまって、褒められても何も嬉しくないっていう。

 

そう感じてしまうほどに嫌っている相手には近づかないのが一番なんですけどねぇ。。。



3本目

 

不健康な太り方をしている人が周りにチラホラいます。肥満が原因で病気を患ってしまった人がいるし、亡くなってしまった人もいる。

 

なので、お太りあそばせている方には「痩せたほうが良い」「ダイエットしたほうが良い」と言いはするのですが、何事も本人がその気にならないと変わらないもんです。



ビリヤードプレイヤーの中にも「いつ倒れてもおかしくない」というレベルで太っている人がチラホラいます。

 

ある時こんな話が出ました。

 

「(とある太ったプレイヤーに)痩せたほうが良いと皆で助言したのに、その直後に『今日はこんなものを食べた』と大盛りの食事写真をSNSに挙げていた」「せっかくの助言を無視して皮肉めいた投稿をしていた」「どうかと思う」

 

と。

 

とっさに出た私の感想は「いいじゃないですか。自己責任ですから、好きにさせればw」でした。

 

方向性的には教え魔状態ですからね。勝手に助言をして突っぱねられたからって「相手のためを思っての助言なのに!」と怒るっていう。

 

ただまぁ、ビリヤードの助言とは違って、肥満ってのは人生に関わる話ですからねぇ。「相手のためを思って」の度合いが違うとも言えますね。

 

ビリヤードの場合「上級者からの助言を突っぱねたせいで上手くなれない」となっても自己責任って話で終わりですが、病気や生き死にに関わる話となるとそうも言っていられないかもしれません。



どちらにも共通するのはやはり「本人がその気にならない限りは、馬の耳に念仏である」ということでしょうね。

 

生前の父がそうでしたが、多くのご家庭で「酒を控えてほしい」「タバコを控えてほしい」と家族は願うも本人は全く聞く耳を持たないっていうこと、あると思います。

 

本人がその気にならない限りは、周りが何を言っても無駄。どうすればその気にさせられるのかは非常に難しい。人を変えるのはとても難しい。

 

結局、考え方が変わるキッカケが「何かがあった時」になってしまう。その「何か」が軽症ならば良いですが、そのまんま死んでしまったら反省も出来ないですよね。

 

どうしようもないほどの「何か」が起こってしまった時、果たして当人は「本望だ」と思うのでしょうか、それとも後悔するのでしょうか。

 

「本望だ」と思うような人だったら、それこそ周りの人が何を言っても無駄だし、余計なお世話ってことになってしまいますね(;^ω^)