1本目
外国語の発音って、日本語には無い音が多いですよね。それを日本語の音で表現しようとすると酷いことになる。それこそ「じす いず あ ぺん」になってしまう。
今までの自分にはなかった新しい音の表現。全く新しいものですから、新しく覚えてなくてはいけない。既に持っているものでは代用できないのであります。
馴染みのあるものに置き換えて理解しようとするのは間違ったことではないですが、常に通用するわけではない。ビリヤードの練習をしている時にも度々そう思わされます。
あれやこれやと練習した結果、絶好調を迎えたとしたら。その時のイメージを忘れないように頭と体に覚え込ませようと奮闘しますよね。
その際に「○○みたいなイメージ」と変換してインプットすること、ありませんでしょうか。○○に入るのは上級者の名前かもしれないし、他のスポーツの動きかもしれませんし、日常の中での動きかもしれませんし、過去に習得したビリヤードのイメージかもしれない。
なんにせよ、既に自分の中にあった知識で表現しようとする。けど、そのせいでイメージがねじ曲がってしまうことが多々ある。全くの新しいイメージなのだから、過去の言葉ではたとえられないのに。無理やり自分の中にある知識で表現しようとして、過去のイメージに引っ張られて新しいイメージがひん曲がってしまう。
私には凄くありがちです。
全くの新しいものなんだから、無理に何かにたとえようとしないで、全くの新しいものとして覚える必要がある。
鉄は熱いうちに打て。調子良く撞けているうちに、ひたすらに反復練習をする。それがベストなんでしょう。
そうは言っても、閃いた頃には練習時間の終わりが近づいて来てたりするし。
その日は頑張って反復練習できたとしても、翌日にはしっかり忘れてたりするし。。。
新しく閃いたイメージを継続させるのって、えらく難しいですよねぇ。。。。
2本目
私のブレイク。ありとあらゆるイメージを試してみて、色んな撞き方をしてみましたが「色んな撞き方で同じくらいの速度のブレイクが撞けるようになった」というだけ。。。。
どんな撞き方もできるが、どんな撞き方をしても同じくらいのスピードしか出ない。
その主原因が、1本目で書いたような「過去の言葉に置き換えて覚えようとする」にあるんじゃないかと最近強く思っています。
自分の中にズンと居座っている悪癖があって。せっかく新しい良いイメージを仕入れてきても、段々と悪癖に引っ張られたものへと変換されていってしまう。
新しいイメージが閃いた時は、考えることをやめて、無心で反復練習をした方が良いのかもしれない。
頭が悪すぎる。頭を介入させると全部同じ間違った方に行ってしまうのだ。。。。
3本目
そうそう。今回のネタを書こうと思った大元のキッカケを書き忘れるところでした。
長年伸び悩んでいるとあるB級さん。他人のアドバイスに聞く耳を持たないようなタイプではなく、しっかり聞く。自分からも積極的に尋ねに行く。その姿勢はいい。
けど、せっかく教わった内容を、全て自分の言葉に置き換えてしまう。「それって、○○ということですよね。うんうん。分かりました!」と1人で納得しているのだけれど、全然違うww
そのB級さんを見ていると「子供に比べて大人の成長が遅いのは、こういうところも関係しているんだろうな」と思えてきます。
子供は経験が少ない。知らない事が多い。知らないのが当たり前なので、何か新しいことを教わったら新しいこととして素直に吸収する。
一方で大人は年齢なりの経験値がある。無意識下で「全くの新しい経験など、することはない」「自分は既に一部を知っているのだ」「似たような経験を過去にしているのだ」という思い込みがあるんじゃないでしょうか。何かしら似たような経験は既にしていて、知識はあり、少しアレンジを加えるだけで済むのだと無意識に思い込んでるんじゃないですかね。全ての話を既に持っていた知識で説明しようとしてしまう。自分の世界から出ようとしない。
そのせいでスポンジになれない。「スポンジのように、なんでも吸収します!」とか言っているような人も、全然スポンジじゃないw 自我を持ってしまっている。
「自分には知らないことがまだまだたくさんあり、全くの未知の出会いもたくさんある」という意識が大切ですね。
ただ。ただですね。過去に何度も似たような経験をしているのに「初めてです!」「知らないことばかりだなぁ!」とか言い出すようなタイプのお馬鹿さんも世の中にはたくさんいるので、例によって「何事も両極端は駄目」「バランスが大事」という所に話は落ち着きます。