1本目
ハードブレイカーからワンポイントアドバイスをもらったことが過去に何度もあるし、球談義の中でハードブレイカーが語った一言が頭に残ることもあるし、雑誌やネットでハードブレイカーが語っていたことが印象に残ることもあるわけですが、なんにせよ「あの人がこう言っていた」として頭の片隅に置いてあるハードブレイクの知識がたくさんあります。
が、それらに騙された、惑わされたと思うことが非常に多いです。
(地図の場所に深い意味はありません。適当に選んだ場所ですw)変なたとえですけど、目的地までの行き方を教わるにあたって、上級者が「右に曲がるんだよ!」と言ったとします。その右折は黄色矢印の曲がり角でのことを指している。
けど、アドバイスを受けた側は「なるほど。右か」と赤矢印の方に向かってしまう。
私にはこういうことがめっちゃ多い。皆さまもたぶんこういう経験があるだろうし、世の中にはこういうアドバイスが物凄く多いんだと思います。
いざ目的にたどり着いた後には「確かに右だった」と思うのだけれど、それは最後の最後、黄色矢印の所に到達できた時に役立つこと。もっとずっと手前の段階にいる人間にとっては役に立たないどころか、迷子にさせるだけのアドバイスだったりする。
私の場合、私には合わないアドバイスを上級者から投げかけられたこともあるし、上級者の独白を勝手に耳に入れて自爆した例も多々。
いざ最後の曲がり角に到達できた時や、目的地に到達できた後になって「確かに右だった」と思うのだけれど、私に必要なのは「最初の角は左です」というアドバイスなのですな。
実際、最後は右に曲がるのだから「右に曲がるんだよ」というアドバイスも間違っているわけではない。しかし「相手に合わないアドバイス」「(自爆の場合は)今の自分には合わない知識」ということにはなる。
そういった、現状の自分にそぐわない知識に振り回されっぱなしな我が球人生であります。
それだけでなく、自分で自分の言葉に惑わされることもあるという話を2本目で。
2本目
皆様、ビリヤードのメモって取っていますでしょうか。
「メモをしても思い出せない」と思うこと、多いんじゃないでしょうか。
「撞く前にちゃんとチョークを塗ることを意識すべし!!」とか「違和感を覚えたら、必ず構えなおすこと!!」みたいな、文字情報ですぐに思い出せるような注意点であればメモの効果が大きいですよね。こういったことであればメモをする意味がある。
けど、感覚的な部分をメモするのって非常に難しい。事細かにメモしたつもりでも、メモから思い出せることは僅かです。
それでも私は「しないよりはマシ」「少しでも思い出せることがあるのなら、メモをした方が良い」と思っていました。過去形になってしまった。
「メモをする」ということは感覚的なことを言葉にする必要があります。上手く撞けている時に、その感覚を一生懸命に言語化しようとする。
しかし翌日以降、感覚が薄れた状態で「できていた時に書いた言葉」を見ても、全く別のイメージを頭に浮かべてしまいがち。「思い出せない」のではなく「別のことをイメージしてしまう」になりがち。
メモをしたせいで、そのメモに書かれた言葉のイメージに引っ張られてかえって駄目な方に向かってしまうことが私は非常に多い。
「できていた時に書いた事なのだから、間違っているはずがない!」と思い込んでしまいがちですが、出来ている時の自分(メモを書いている時の自分)と出来ていない時の自分(メモを読んでいる時の自分)とで感覚の差が大きすぎる。
結局のところ言語化能力ですね。その能力の低い人間(私)がメモをするとマイナスにしかならないことがある。メモを読む未来の自分は、自分ではなく全くの赤の他人だと意識して書かないといけませんね。
最近は一応はメモをするのだけれど「メモの内容に引っ張られすぎないように」という意識を持って練習することにしています。
明日も似たような話です。
P.S.
部屋の片付けをしている時には「ここにしまっておけば忘れない」と思ったのに、いざ必要となった時にはどこにしまったのか分からなくなってしまう現象と似ているな、と書きながら思ってました、、、
今の自分の感覚と未来の自分の感覚が違いすぎる。
言語化能力に加えて「己を知ること」も大事ですね。。。