1本目
チームを率いていたベテラン上級スキーヤーが指示を誤って初級者が滑落、、、という事故記事を読んでいて「実力のある人が、リーダーとして向いているとは限らないという典型的な話だなぁ」なんて思っていました。
ビリヤードでも「上手い人が教えるのも上手いとは限らない」って言われますよね。
なんに関しても同じだと思います。あらゆる趣味、あらゆるスポーツ、仕事だって同じでしょう。実力のある人がリーダーに向いているとは限らないし、教えるのが上手いとも限らない。
と、散々に自分で言っておきながら、ふと「〜〜とは限らない」という言い回しが気になりました。
「上手い人が教えるのも上手いとは限らない」という言い方だと、「大半の上手い人は教えるのも上手いが、例外もある」というニュアンスになりますよね?
「むしろ、教えるのが上手い人のほうが少数派だよなぁ」と思いました。大半の上級者が教えるのは下手だと思いますw
じゃぁ「上級者は教えるのが下手」という言い方が正しい?となると、それもおかしい。全員が下手なわけではない。
教えることに関しては、腕前の上達とともに多少は教えるのも上手くなるけれど、やはり教えるための技術や経験が必要だし、センスも必要なので、「腕前が上がれば、教えるのも上手くなる」とは言い切れませんよね。
私はそういうイメージですので「上級者は教えるのが下手」でもないし「上級者が教えるのも上手いとは限らない」という言い方もシックリこない。
「初級者だろうが上級者だろうが、教えるのが上手い人はレア」が私がイメージする正しいニュアンスなんですけど、そういう言い回しだと会話の流れに合わない事が多いんですよねぇ。
- 球が上手く、教えるのも上手い
- 球は上手いが、教えるのは下手
- 球は下手だが、教えるのは上手い
- 球は下手だし、教えるのも下手
この4パターンあるわけですけど、3は3で役に立たないよなぁとふと思いました。いくら教えるのが上手くたって、知識がないと教えようがないですからね。
それこそ、人気の塾講師だったら教えるノウハウは持っていることでしょう。その塾講師がビリヤードを始めたら「教えるのが上手いビリヤードプレイヤー」ってことになるわけですけど、始めたばかりではビリヤードの知識がなく、教えようがない。
そういう人はたぶん「自分は教えられるだけの知識がないので、教えない」という選択をするのでしょう。教えるのが上手い人ってのは、「自分には教えられません」という判断もしっかりできるでしょうからね。
何が言いたいかって、しょっちゅう言ってることなんですけど
「上級者だからって教えるのが上手いとは限らないのだ」→「初級者だからって教えるのが下手だとは限らないのだ」→「自分は初級者だが、教えるのが上手いのだ!だから教えてもいいのだ!」
みたいな論理展開をする人をちょくちょく見かけるんですけど、あなたは下手だし教えるのも下手ですよと言いたいw 教えるのも下手というか、そもそも教えられるだけの知識がないって話ですね。
2本目
山岳部では、救助の仕方も学ぶらしい。
もし山で遭難しかけている初心者を見かけたらどう対応すべきなのか、そういったことも学ぶのだそう。
冬山にすら舐めた装備で登る初心者がいるようで、「放っておいたら死ぬ」というレベルの舐めっぷりの人もいるそう。
そんな人を見かけた時に「アホか」「山を舐めてるのか」などと叱りつけると、その初心者は言うことを聞かなくなって救助することもできなくなってしまう。なので、舐め腐った初心者への話しかけ方なども学ぶそう。
ビリヤードの場合、命の危険性なんてないわけじゃないですか。初心者との接し方をミスっても、「相手から嫌われる」「相手が上達しない」というだけであり、大きなリスクはない。
もっとリスクが高ければ「教え方」「初心者の諭し方」なんていう知識も共有されるようになるのかもしれません。
命の危険とか大きな怪我をする危険とか、そういうリスクがないのはビリヤードの良いところでありますが、リスクが低いからこそ気が緩んでなぁなぁになっているという悪い面もあるなぁと思うことがあります。