鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

レッスンのレビュー

 

1本目

 

私は飲食店の口コミをよく見ていますし、Amaz○nで買い物をする際に商品のレビューを良く見ますし、Go○gle Mapを良く使うので各地の口コミをよく見るんですけど、レビューによりけり「このレビューは信用できる」「このレビューは信用できない」と分かれるものであります。それらを上手く読み解くのも、現代人に必要なスキルですよね。

 

ビリヤードでは口コミサイトらしい口コミサイトは無いので、普段レビューを目にするのは主にSNSですけども、やはり説得力の有無が分かれます。

 

面識のある相手だった場合は「『このブレイクキュー最高です!』とか言ってるけど、あんたブレイクキューの差が分かるほどのブレイクしないやんけ、、、」と思ってしまうこととかあるわけで(;´∀`)

 

「上手いけれど感覚派」な人のレビューってのもあてになりませんね(笑)

 

面識がなくどういったプレイヤーなのかが分からない相手だった場合は、説得力の有無は「それまでどういったことを発信してきたか」とか「文章表現」とかが関係してきますね。

 

そうやって色んな人の意見を自分なりに解釈して実像に近づこうとするわけですけど、なんだかんだで最後は「実際に自分で体験してみる」しかないじゃないですか。

 

タップ選びをするにしても、膨大な数の候補の中から1つを選ぶ際に、いろんな人の意見を参考にはする。けど最後は自分で試してみるしか無い。

 

そうして試してみた結果「期待通りだった」となることもあるし「思っていたのと違った」となることもある。それも一つの経験として「レビューをしていたあの人は、こういうタップを好むのか。次回から気をつけよう」「あの人と私の感覚は近いようだ」などと学んで次回からの読解の参考にしていくわけですよね。

 

そうやって成功と失敗を繰り返しながら少しずつ口コミを読み解く力をつけていくわけですけども、タップ程度であれば失敗をしても「これも勉強だ」と思えますけど、お値段が上がっていって何万何十万という額になっていくと失敗したくないし、「失敗も勉強のうち」なんて言えるほど何度も繰り返すことはできませんよね。

 

「実際に自分で体験してみるしかない。とりあえず試してみよう」で一歩を踏み出せることと出せないことがある。



とある片田舎にお住まいの方が、東京に来てレッスンを受けたいそうなのですが、そのためには宿泊を伴うことになるそうです。

 

  • 移動と宿泊に時間と金がかかる
  • レッスン代も安いものではない
  • そう頻繁には来れない

 

というわけで、失敗をしたくないそう。お察しします。

 

というわけでその方はネット上でいろんな人のレッスン体験談に目を通しているそうですが、「説得力のあるレビューに出会わない」とのこと。わかりみが深い。

 

そもそもレッスンに関するレビューが少ないわけですけども、「受けてみたい!」と感じさせられるレビューとなるとなおさら、、、

 

レッスンは「とりあえず試してみよう」を実行するのが難しいだけに、レビューがもっと増えると良いなって思っています。

 

広く一般的にプロの有料レッスンが行われるようになってから日が浅いですし、5年10年先には変わっているでしょうかね?



2本目

 

ビリヤードってマイナーで狭い業界だからこそ、トップ選手が身近なわけですよ。

 

身近にプロが何人もいる。ランキング1位の選手とも話す機会があるし、相撞きも出来ちゃったりする。SNSで気軽に交流できちゃったりも。

 

来日した世界のトッププロたちとも相撞き出来たりするし、試合会場でトイレに入ったらレイズがいたりする。

 

そんだけ身近ですけれども、やはりイチ愛好家として、上級者達へのリスペクトの念は忘れちゃいけないよなと思います。

 

この話をキッケー氏にすると、ゴルフ好きなきっけー氏が毎度例にあげるのが松山選手です。「一介のアマが松山英樹と一緒に回れることなんて無い」「松山英樹と対等な口を聞こうだなんて思えるわけがない」と。

 

ビリヤードだとトッププロと対等なつもりで話す人とか、なんなら上から目線のオッサンとかいますからね、、、

 

でも思いました。「話す機会さえあれば、松山選手に対しても上から目線で話すオッサンはいくらでもいるだろうな、、、」と(^.^;

 

何ヶ月か前に野球の例を出しましたよね。SNSを通じてプロ選手にものをいう機会が出来たら、プロに対して上から目線の助言をするオッサンが多数現れたっていう話。

 

トップ選手が身近かどうかは関係なく、分をわきまえない人はわきまえませんな。