鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

消化のための5日目

1本目

 

少々前にも書きましたが、私は自衛のために力をつけたいと思うことが多いです。


自ら喧嘩を売りに行って勝つために力をつけたいのではなく、喧嘩を売られた時に負けて泣き寝入りしなくても済むように力をつけたい。持った力を自ら振るいに行くようなことは極力避けたいと思っています。


しかしながら、世の中には力を持ったら、その力を自ら進んで積極的に誇示したがる人も少なくないですよね。


で、ですね。この度とある人に出会って知ったのは、誇示したいがために力をつける人もいるんだなーってことでした。


世の中には、人を馬鹿にしたいがためだけに頑張って力をつけるという人種が存在するようなのです。最初から「人を馬鹿にしたい」が目的になっている人が。


ビリヤードの場合、「試合で勝ちたい」「好きなビリヤードの技術をとにかく高めたい!」と思って練習して上手くなった人が、そうやって上手くなった暁に下級者に対してついついキツくあたってしまうっていうのはありがちだと思います。良いことではないですが、上手くなることに正当な目的はあるわけです。


一方で、最初の最初から「人よりも上手くなって、人の上に立ち見下してやりたい」が目標になっている人がいる。力を持ったからついつい誇示してしまうというのではなく、力を誇示したいがために力をつけるっていう。


とにかく人を馬鹿にしたい。人の揚げ足を取りたい。それが大好き。それが目的。そのために頑張って努力して練習して力をつける。そういう人が世の中には存在するようです。


育ち方の問題なのか、遺伝子に刻まれた何かがあるのかなんなのか知りませんけど、こういう人がいる以上は世の中は平和にならんなぁと思いましたねぇ。


でも、人を馬鹿にしたいがために力をつける人がいて、そんな人に抗いたいがために力をつける人がいて、そうやってお互いが力をつけていくことが人類の進化に繋がるの。。。。。。。。か??


とかなんとか考えたんですけど分かりましぇーん。

 

 

2本目

 

ボケ老人を相手にしていると、やはりイラつかされることも多いんですけど、反面「自分もこれくらいの歳になったら同じになるのかもしれない」「邪険に扱うことは出来ないなぁ」とも思うのであります。


自分が経験したことが無い未来を行く人のことを悪く言うと、いつか自分にブーメランとして戻ってくるかもしれませんからね。

 

これがビリヤードも全く同じでして、私がBC級だった頃、口うるさいA級の人達にあーだこーだと言われ「うるせー!」って思ってたんですけど、いざ自分がAクラスになってみたら、その人たちが口うるさく言っていた意味が凄く良く分かるようになった。「言ってくれてありがたかった」と思うことさえありました。


こういう経験もあって、上級者の意見は感情で否定してはいけないなと思うようになりました。


感情での判断って、聞いた瞬間にされますでしょう。耳に入った瞬間「なんて耳障りの良い意見だろう」「こんな意見、聞き入れたくない!」などなど、瞬間的にジャッジされますよね。


どちらの場合にせよ、その上級者の意見が「あくまでものその人1個人の意見」なのか「そのレベルの人達の共通見解」なのかは正確に見極めなきゃならないと思います。聞いた時点で見極められないなら保留とし、頭の片隅には入れておくべきかなと思っています。鵜呑みにしてはいけないし、頭ごなしに否定してもいけない。


上級者からの意見を聞いた瞬間に「なんて素晴らしい意見だろう!」とか「そんな意見はおかしい!!」なんて口にしてしまうと、いつか自分がそのレベルに到達した時に恥ずかしい思いをするかもしれません。


一番悲しいのは「そのレベルに到達しない」ってことですけどね。。。


なんにせよ、自分よりも上手い人、自分が未だ経験したことが無い世界を知っている人の意見に対しては賛成にしても反対にしても、あまり口出ししない方が上手く世を渡れるんじゃないかと私は思っておりまする。

 

 

3本目


言論の自由の履き違え」について。


少々前に球界隈のtweetでも見かけたのでネタにするんですけど、表現の自由だとか言論の自由だとかを「好き勝手に発言をしても責任に問われない」と勘違いしている人って、たまにいません??


何を口にするのもその人の自由。そこまでは確かにその通りです。しかし、その発言が招いた結果は全てその人の責任です。


敵を作ることを覚悟で発言をした結果、実際に敵が出来てしまった。覚悟の上だったのでそれを受け入れる。これなら良いと思います。


しかし、ただ自分が思ったことを好き勝手に発言し、その責任は一切負う必要がないのが言論の自由だと思っているような人もいますでしょう??


そういう人ってのは「言論の自由」に限らず「自由」っていう言葉自体を履き違えてることが多いですよねぇ。

 

 

4本目

 

 

ツイッターを見ていると「そりゃ違うわー」「言い方悪いわー」って思うことは多々ありますが、人のことは言えずお互い様ですので、基本的にはスルーです。

 

ただ、あまりにも目に余る人ってのはいて、一言物申したくなることがある。

 

ですが、目下頭に浮かべている人は、活動域が近い上に共通の知り合いも多いみたいで、一言物申すとどう考えても面倒くさいことに。。。

 

その人の話題は度々出て来ていて、皆様大人のスルーをしているらしい。「一言物申したい気持ちはあるけど、やっぱその後が面倒くさい」「放っておきましょう」という大人の対応。


そんな中、約1名私を煽ってきた人がいました。曰く「Twitter上で絡まれてるとこを見たい」と。

 

私がその人に物申し、その人が反抗して私に絡んでくる様子を見たいのだとか。


そう。他人事だと楽しいんですよね、、、w


だからこそね。私はネット上でのやり取りってしたくないんですよ。ちょっとした論争になった時、全くその会話に交じってこようとはしないけど、争いを外から眺めて楽しんでる奴らがいることが容易に想像出来て、ムカつくんですものww

 

 

5本目


車を運転する際、公道をサーキットとでも勘違いしているのかとにかく音も見た目もやかましく走りたがる人と、リムジンでも運転するかのように静かに乗り心地良く走ろうとする人とがいると思います。


(前者のような走りを軽自動車ですることを、私は「チョロQ走り」と呼んでおります)


ある日ある時、車で信号待ちをしていた際に、ふとバックミラーを見たら後続車のドライバーが80を越えているであろうご老体。


「やばい。アクセルとブレーキを踏み間違えられたら終わる!」とか同乗者に言ってたんですけど、いざ信号が青になって走り出してからは全く問題がないことが判明しました。何故なら法定速度以上は絶対に出さない超安全運転だったからです。


「あぁいう人は踏み間違えの事故を起こす確率は低い」「遅くて周りに迷惑をかけるかもしれないけど」ってな話をしておりました。


やっぱ、若い頃からアクセルを踏みまくっているような人は、いざ歳を取ってからが危ないですよね。今は良くても将来的な危険運転予備軍であります。

 

私が将来的にマズイかもと思っているのが「イラッとする」という感情であります。


私は、誰かしらから何かしらの嫌がらせを受けた時、「イラッとする」「気分が悪い」などなど「怒り」という方向に感情が動きます。


しかしどうも世の中には、嫌がらせを受けた時に「悲しい」という方に感情が振れる人がいるらしい。


ビリヤードをやってて、対戦相手のマナーが物凄く悪かったとしましょう。私だったら「なんだこいつ?」「ぶっ倒してやろう」という方向に気持ちが向かいますが、「なにこの人。怖い」「せっかくビリヤードを楽しみたかったのに、こんな人と対戦しなきゃいけなくて悲しい」となるらしい。


そういう人と接していると、自分は戦闘民族なんだなぁと思わされます(笑)


まぁ、誰彼構わず喧嘩を吹っかけていくような人達と比べたら全然ですけどね。

 

「悲しい」という方向に感情が向かう人は、たぶん「ついカッとなってやった」なんてことは無いんでしょう。


一方「怒る」という方向に向かう私は、歳をとって感情の制御が難しくなってから何かやらかしてしまうんじゃなかろうかと、最近ちょっと危惧しています。


今は良い。今は制御出来ている。


けど、歳を取ったらどうなるか分からない。危険因子を所持はしてしまっている。今から直せること、準備出来る事って何かあるんだろか?

 


以上のネタは結構前に下書きしてたんですけど、存在を思い出す出来事があったので載せてみました。


思い出す出来事っていうのがですね。球屋での言動を批判された時に「怖い」「悲しい」と言っている人がいたことです。


私だったら「イラッとする」「ムカつく」という方に針が振れますからねww


ここら辺は育ちの違いだと思うんですけど、さらに言えば遺伝子の違いっていう気もしますね。。。


赤ちゃんの段階で、怒りやすい子、大人しい子っているじゃないですか。あぁなっちゃうと遺伝子の問題としか言いようがないですからねぇ。


どうすりゃいいんだ。

 

 

6本目


前にも書いたと思いますが、最近も同じような事例を見かけたので再び。


飲食店にて、店員に対して迷惑行為をする人は少なくない。そのことに対して「自分も店員をやっていた経験があって大変な思いをしたから、今その立場にある人(現役店員)に優しくなれる」みたいな発言はちょくちょく目にします。


他方で、「自分も経験者だから、現役店員の至らなさに目が行き、注意をしたくなる」と言う人もいます。


判断が難しいですね。どちらの主張も分かる。


理不尽なクレームというものはつけるべきではないですが、明らかに直すべきミスというのもあるわけでして、そこに対して寛容になっていたら永遠にその店員さんは成長しないということになる。


許してあげることだけが優しさではないのですから、一言物申すその内容がどういう内容なのか次第で「そんなことは言うべきじゃない」「それは言って然るべきこと」のどちらなのかが分かれますからねぇ。

 

そんな中、明らかにNGなのは「自分も経験があり、散々に理不尽な目を味わわされた。なのでお前らも理不尽さを味わえ!!」としてクレーマーになるっていう人。たまにいます(;´∀`)


自分が味わった苦労を他人が経験しないのは許せない。同じ目にあわせたい。目には目を歯には歯をっていう。


これは戦闘民族というかなんというか、、、、、(;^ω^)