1本目
私はコンディションやら道具のことやら様々なことに鈍感であり、その鈍感さがある意味長所にもなっていると思っているのですが、当然のことながら「鈍感で気づいていないから、ミスをしている」という場面も多々あると感じています。
他人事として見ているとそれが非常に良く分かって「これぞまさしく、人の振り見て我が振り直せだなぁ」と思った出来事がありました。
某B級さんと球を撞いていた時のこと。鈍感な私でも分かるくらいおかしなコンディションのテーブルでありまして、クッションの反発が場所によって違うし、ポケットの形状も6個のポケットそれぞれで違う。同じような球を入れるのにも、ポケットによって狙う厚みを変えなきゃいけないというのが非常に面倒でした。
その難しさについて相撞きしながら口にしたのですが、B級さんは「そうですか?」「分からないです」「気にならないです」と言う。
でも見ていると、明らかにコンディションのおかしさのせいでミスをしている場面が多々。
それでもB級さんは気づかない。コンディションに原因があると気づいていないから同じミスを何度も何度も繰り返す。
「鈍感であるがゆえに、同じミスを繰り返す」という例をまざまざと見せつけられ、「自分も上級者から見たらこんな感じなんだろうなぁ」「改めなきゃ」と心に誓ったのでありました。
また、これはそのB級さんに限った話ではなく全クラスでのあるあるだと思うんですけど(前にネタにしましたが、プロでもあるらしい)、「得意だと思い込んでいるけれど、実は下手」っていうショットがある。
本人は得意だと思ってるから頻繁に選択するのだけれども、周りからしたら「なんでそんな成功率が低いショットを何度も選択するんだ?」「さっきからミスしてばっかりじゃん」としか思えないっていう。
思い込みって、自分では中々解けないんですよね。なんか思い込んじゃっているし、「好き」とか「こだわりがある」とかが加わるとなおのこと呪縛。
「成功率が低いのは分かっているけれど、好きだから選択する」のは個々人の自由ですが、「成功率が高いと思い込んでいて選択しちゃう」はただの残念賞なので、誰かが指摘してあげた方が良いのだと思います。
2本目
過程がどうであろうと勝ちは勝ち、負けは負け。
負けた側が言い訳をしてはいけないというのは間違いないのですが。
お馴染み「それぞれの立場からの言い分がある」というやつで、負けた側が「負けたことは事実であり、言い訳はしない」というのは良くても、勝った側が「過程はどうあれ勝ったんだから、俺スゲー」という態度に出るのは違いますよね?
先日、某A級氏と究極のグダグダ対決をしてしまいました。
お互いに、A級陥落どころかB級とも言えないような球を撞いてしまった。
全く球を入れない私でしたが、勝ちました。
9ボール5先にて、相手の9番入れスクラッチからのOKが2回、相手の9番穴前残しが2回。それだけで4点。。。。
こんなんで勝って「やった!勝った!嬉しい!!」って思えるわけがないわけでして。
大昔、とあるプロとハウスで当たった時も似たような感じのことが起きました。
激渋台にて、ほとんどプロが撞いているのだけれど、激渋がゆえにプロが9番を3回くらいカタカタで穴前に残したんですよね。それを拾って私は勝ってしまった。
嬉しさなんぞ皆無です。ただただ「こんなんで勝って申し訳ない」「9ボールは理不尽」という思いしかなかった。
なので、今回のように完全に場所も相手の名前も伏せて「こんなことがあった」というネタにすることはあっても、具体名をあげて「〇〇プロに勝った」などとは誰にも言ったことがありません。私自身に勝利への嬉しさが一切なかったし、現場を見ていない人の中にはきっと「プロのくせに!」とか思う人がいるだろうから。
今回の話を書いたきっかけは、「内容はともあれ、勝てば嬉しい」みたいな事を言っている人を見かけたことです。
その一言しか聞いていないので細かい背景、細かいニュアンスが良く分からないのですが、その言葉だけだと「共感は出来ないなぁ」と感じました。
私の勝ち負けへの執着が薄く、内容を重視する趣向のせいもあるのかもしれませんし、今までに「そんなんで勝って、何が嬉しいんだ?」と感じる人に多数出会っている影響もあるかもしれません。
私は結果だけでは喜べないなぁ。