1461文字
1本目
「100兆円を手にした私が、今からビリヤードに全力を注いだら」
そんな妄想話を以前に書いたことがあります。ようするに、時間や金銭の制約一切無しどころか、他のプレイヤーでは誰もできないような環境で練習をし続けたら。私はどこまで上手くなれるのでしょうか?
アラフォーの普通のA級は、今からどこまで上手くなれる?
私のことはおいといて、1歳2歳くらいの小さな子に100兆円を費やして世界チャンピオンを目指させたら、そりゃぁなれるだろう。私はそう考えました。
しかし、もしかしたらなれない子もいるのかも?と考えさせられる出来事がありました。
ある日、大学受験の話が出た時に「(鈴木は)もし東大に入ることに価値を見いだせて、本気で目指していれば合格できたでしょう?」と聞かれ、私は曖昧に頷きました。
なぜ曖昧だったかと言うと「そんなこと言ったら、誰だって受かれるのでは?」と思ったからです。
世の大半の人は東大へは行かないし行けないし、そもそも受けない人が圧倒的多数なわけですけど、それって
- 家庭の事情(経済的な理由を含む)
- 勉強することに価値を見いだせなかった
- 他にやりたいことがあった
- 他に行きたい学校があった
こういったことが理由ですよね。もし
- 裕福な家庭に生まれ、親のバックアップがあった。
- 幼少期から東大を志望しており、本気で勉強をしていた。
こういう条件があれば、誰だって受かるのでは??
私はそう考えていたのですけども、質問主は「生まれつきのIQの差がある。たとえ100兆円を投じて英才教育を施したって、東大に受からない奴は受からない」と考えているらしい。
もしそれが事実なのだとしたら、100兆円を費やしたってビリヤードの世界チャンピオンになれない子はいるということになりますよね。
私には知識がなさすぎて、実際どうなのかが何も分かりません。
生まれつきの差って、そこまで差が出るもの??
また、生まれついての能力差が大きいと仮定した時。
生まれ持った才能に恵まれていた人の中にも「自分には人より優れた点があるから、その長所を活かして人の手助けをしよう」と考える人と「自分は選ばれし者である」と人を見下す人とに分かれるじゃないですか。
さらに、生まれついての短所があった場合は「短所があるが長所もあるので、上手く補っていこう。補えきれない部分は人に助けてもらおう」と考えられる人がいれば、「自分は生まれつきセンスがないのだ」と卑屈になったり言い訳をしたりするような人もいますよね。
こういう部分の性格差ってのはどこから生まれるの?生まれつき??
なんも分からんので、誰か教えて。
2本目
子供の頃、「何かスポーツをやっているわけではないが、運動が得意な子」っていましたよね。小学校だと、そういう子が徒競走で1位になることも多かったんじゃないでしょうか。ほぼ才能だけの勝負です。
それが中学高校と上がっていくと、運動部に入って身体能力を鍛える人が増え、今までは運動で目立たなかった人が目立つようになってくる。逆に、才能に驕って努力を怠った人が目立てなくなることも。
小学校まではレベルが低いから才能だけで勝負ができた。しかし、年齢が上がるとともに才能だけでは通用しなくなってくる。
- 才能はあるが努力をしなかった人
- 才能はないが努力をした人
前者が目立てるのは小学校まで。段々と後者が上になっていきますよね。
けども、全国のトップレベルにまで目を向けると、この2者はどちらも目立てない。
結局、トップ中のトップに立つのは
- 才能があり、努力もした人
この一択なのです。
そんな話で明日に続く。