1本目
結論を先に言っておくと、毎度お馴染みの「継続的に大勢の人が参加できる議論の場を設けるべき」です。
今回そう言いたくなったキッカケは、自分自身の行いを振り返っていたことでした。
このブログはコメント欄を閉じてしまっているせいもありますが、反響は少ないです。身近なヘビー読者様は結構感想を寄せてくださるんですけど、せいぜい十数人程度。
閲覧者数を見る限りは毎日何百人かの人が読んでくれてはいるようですが、それを実感するのは難しい。
Twitterも私が塩対応なせいもあって、そんなに反響が大きいわけではないんですけど、少なくとも「見てはもらえている」という実感が湧きやすい。なので、ブログで何度も書いてきたような話を、改めてTwitterに載せることが多々あります。
しょーもないことですけど、誰かのツイートを見て「それ、私が昔ブログで書きましたー!」みたいに張り合いたくなることもあるし(笑)
でも、Twitterも結局はその場限り承認欲求を満たすだけなんですよね。呟いた本人は反響をもらえてその場は嬉しい。見た人も「なるほど!」「確かに!」「それはおかしいんじゃないか」などの、人それぞれの意見を持つ。そこそこ場が盛り上がる。
けど、その場だけ。
何日か何週間かしたら、みんな忘れてる。
そしてまた何ヶ月かしたら全く同じ話題が上がって、またその場限りで盛り上がって、、、、の繰り返しです。私がツイートした時も、他の人のツイートを見ていても同じ。
何も進展しない。
一人二人くらいの心には残っているかもしれないので、何もしないよりかはマシだと思いますけど、やはり全体を動かすにはもっとちゃんとした場が必要だなと思わされる日々です。
2本目
去年だったか一昨年だったか、近くの台にいた一般のお客さんが、ずっとハウスキューをバウンドさせていました。
バンパーゴムの反発でキューが跳ねるのが楽しいのでしょうか。キューを持ち上げてはスッと落としてドドドンッ。キューを持ち上げてはスッと落としてドドドンっ、、、ってのを延々と繰り返しておりました。
うっせぇわ!!
ビリヤードプレイヤーにもそういう人がいるんですよ。ドドンッドドンッドドンッってずっとキューを跳ねさせている。貧乏ゆすりみたいなもんなんでしょうね、、、
キレ散らかしてのキュードンとは異なりますけども、キュードンであることに違いはない。うるさい。
ポジティブなキュードンってのもあるじゃないですか。対戦相手がナイスショットをした時に、賛辞を示すためにキューをドンドンっと叩きつける人、いますよね。
私はあれも嫌ですねぇ。うるせぇ。
キュードンって、やっている本人にはあまり音が響いていないんでしょうね。また、賛辞のキュードンは対戦相手もあまり気にしないんじゃないでしょうか。撞いた直後だから集中の必要がないし、褒められて気分も良いだろうし。
賛辞キュードンは、無関係な周りのテーブルの人に迷惑ですね(;^ω^) 唐突に床を伝わってドンドンと聞こえてくるから集中が切れる。
普段私が足を運ぶ店には、キュードニストはほとんどいません。キレ散らかしてのキュードンも、貧乏ゆすりキュードンも賛辞キュードンも、やる人は滅多に見かけない。
が、ある日ある時、私はカルチャーショックを受けました。過去に1回2回しか行ったことがない店に久しぶりに行った時のこと。なんとその日店にいた全員がキュードニストだったのです。
常連がことごとく賛辞キュードンをする。キレドンをする人もいるし、貧乏ドンをする人もいる。
その店、キュードンの音がとてもよく響く店なんですよ。だからやっている本人たちは太鼓を叩いている気にでもなって楽しいのかもしれません。
ドンドコドンドンドンどこドンドンドンドコドンドンキュードンドン♪
原住民族の村に迷い込んだのだろうか???
あぁいう店で育てばそれが普通になるのかもしれませんが、私は無理だなぁ。