鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

欠点を指摘された時

 

1本目

 

自覚があって直そうとはしているのだけれど、中々直せなかったり後回しにしちゃってたりする欠点ってのはありますよね。

 

自覚の有無なんてのは周りからは分からないわけですので、たとえ本人に自覚があろうとも、その欠点を他者から指摘されてしまうことがあるわけです。

 

誰にどういう言われ方をするか次第で、「ご指摘の通りでございます。頑張って直します」と思うか、「うっせーわ。お前なんかに言われなくても分かってんだよ」って思うかが分かれますね(;´∀`)



これが自覚のない欠点を指摘された場合にはどうなるでしょうか。

 

良いパターン→「え?ほんとですか!?」と欠点を自覚するようになる

 

悪いパターン→「は?これのどこが欠点なの?欠点だと言うお前がおかしい!」と思う

 

悪いパターンの方に行ってしまうことも多い。

 

悪いパターンが進行してしまった時にありがちなのは、一生懸命に自分にとって都合の良い情報ばかりを集めてきて「だからこれは欠点ではない」と主張してしまうということですね。あるある。



他方で、最初は「欠点じゃないだろう!」と思っていたのだけれど、段々と「あれ?あいつの指摘正しかったのかもしれない。欠点なのかも。。。」と気づくこともありますよね。そういう時にはさっさと素直に「欠点だわ」と認めてしまうのが得策。

 

欠点かもしれないと薄々勘付いてきた時の駄目パターンは、「似たような人を見つけてきて自己正当化しようとする」じゃないでしょうか。

 

「確かに欠点かもしれないが、同じような人がこんなにたくさんいる。だから自分は駄目じゃない」という流れに持っていく。ダメダメですね(^_^;)



今回の話、最初は何人かのビリヤードプレイヤーを発端とした他人事として書き始めたんですけど、書いているうちに「自分も思いっきり該当するなぁ」と思い始めました。

 

程度の差はあれど、多くの人にとってのあるあるネタなのかもしれない。

 



2本目

 

どうにもこうにも合わない人ってのはいますよね。「どうもあの人とは合わないな」という程度の人から、はっきりと「嫌い」と言い切れるほどの人まで程度は様々。

 

そういう人たちからは出来ることならば距離を取りたい。嫌いな人であっても、顔を合わせることが無いのであれば気になりませんからね。

 

厄介なのはやはり、嫌いであるのに距離を取れない関係性だった場合。これがシンドイわけです。


(あと、こっちは距離を取ろうとしてるのになぜか向こうが距離を詰めてくるような人もたまにいますね、、、しんどい)

 

 

 これはとある特定の人物を頭に浮かべての話なんですけども、その人はアバウトに表せば、95の短所と5の長所を持っているような人。欠点が多すぎる。何より最大の欠点は「偉そう」ということです。95もの欠点を持っておきながら「俺が正義だ」という態度ですので、どうやっても好きになることは出来ません。

 

しかしながら、5は長所がある。その5の部分は見習うべきなのですが、それが難しいというのが今回ボヤキたいことです。

 

皆様も誰かしら嫌いな人はいると思います。人生で出会った一番嫌いな人を頭に浮かべてみてください。その人の長所ってなかなか目に入ってこないし、見えたとしても認めたくないと思ってしまいませんか?

 

あまりに嫌いすぎて、やることなすこと全てを否定したい。「どうせあいつのやることだから、駄目なことだ」と最初から思ってしまっている。全てが反面教師だと思ってしまう。

 

そうして「あいつと同じことはやりたくない」「同類になりたくない」と思って、逆へ逆へと行ってしまう。

 

95の欠点の部分に関しては逆へ行こうとするのは良いこと。まさに「反面教師」ですからね。

 

しかしながら、相手のことが嫌いすぎて5の長所の部分まで短所に見えてしまう。長所に関してまで相手の逆へ行こうとしてしまう。それすなわち、自ら進んで欠点を身につけようとしていることになる。

 

恋は盲目なんて言いますけど、逆も同じですね。全否定したくなるほどにまで嫌い、かつ距離が取れないような相手の存在ってのは厄介です。



1本目2本目共通で言いたいのは「相手に関係なく、短所は短所、長所は長所として認めるべき」ということです。

 

人柄が良い人の長所はいくらでも見つかる。短所は許容できる。

 

人柄が悪い人の長所は認めづらい。短所ばかりが目に入ってくる。

 

人柄のいい人から丁寧な指摘を受けたら、素直に認められる。

 

人柄の悪い人から口汚く指摘されたら、反抗したくなる。

 

だからこそ、他人に何か指摘をしたくなったら「どういう言い方をすべきか」「自分が言って意味があるのかどうか」をしっかり考えなくてはいけないわけですが、それは言う側の視点です。

 

言われる側としては「たとえ嫌いな相手から口汚く指摘をされようとも、それが事実なのであれば聞き入れて直すべき」が正論ですよね。でも、それが難しいんだよなぁ、、、、ってのが今回主にぼやきたかったことです。

 

少しずつでも直していかないといけませんね。

 

間違っても「嫌いなやつから指摘されても直すわけがない」「言い方が悪い。言った奴が悪い。反省しない自分は悪くない」なんて開き直ってはいけませんな。これもまた言うは易しですが。。。