鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

ひとごと

 

専門知識があれば結構立派なネタになりそうなんですけど、そんな知識があるわけないし勉強する余裕も無いので、相変わらず出来事をダラダラと綴るだけのネタになってしまっておりますが、、、

 

 

見聞きした情報を自分の生活に落とし込むのが恐ろしく下手な人ってのにしばしば出会います。

 

まずは理解出来るレベルの例を出しますと「自分に当てはまることだと思っていなかった」「他人事だと思って聞いていた」というような事例。

 

SNSが典型ですが、不特定多数の人に対して「こういう癖がある人は、こういう風にして直した方がいいですよ」という発信がされているのを見た時に、他人事として認識してしまう人ってのは多いと思います。自分のことだと思っていない。自分に当てはまることだと思っていない。だから頭に定着せず、スルーしてしまうっていう。

 

これくらいのことは誰にでもある話だと思います。

 

一方、ひどい例となると(ビリヤードと関係のない日常会話例ですが)



某「(テレビで流れていた天気予報を見ながら)明日からしばらくは雨の心配はないらしいよ」

 

私「へぇ。明日は出かけるんでしょ。よかったね」

 

某「そう。明日は◯◯時には出なきゃいけないんだよなぁ。天気どうなんだろ。雨降らないといいな」

 

私「へ?」

 



みたいなことがある。

 

天気予報を見た。自らその予報の内容を口にした。なのにそれを他人事としか思っておらず、自分には関係のない話だと思っていて、翌日の自分の行動に活かすことができない。

 

いざ「明日の予定をしっかり立てないと。天気はどうなのかな」と気にしてから調べないと頭には定着せず、たまたま流れてきた天気予報を見ただけだとそれが自分に関係することだと思うことが出来ないらしい。

 

これはちょっと酷いと思うんですけど、こういう人が私の周りに何人かいますね、、、



たとえをビリヤードにします。

 

私が当事者になったこともあるし第三者として目撃することもあるのですが、1人練習中の下級者がミスをしていたのでアドバイスをしようとした時。

 

「今のミス、こうやれば改善できるよ」と言えば「なるほど!」と理解する。

 

「今のはこうやったほうが良いよ」も理解する。

 

「あなたにはこういう癖があるから、こうやって直したほうが良いよ」も自分事として理解しようとする。

 

ところが、直前に下級者が撞いていた配置を再現して「こういう配置は、こういう風に撞いたほうがいいよ」だと他人事だと認識してしまう。

 

そんな人が少なからずいるのです。「今あなたが撞いていた配置は」と言葉で直接的に示さないと駄目で、配置を再現しただけでは「いま自分が撞いていた配置だ」という認識が出来ない。

 

「あなたは」と言わないと、誰についての話をしているのか理解が出来ない。

 

「こういう配置は、こう撞くといいよ」とだけ言ってしまうと、さっき自分が撞いていた配置であるという認識が出来ず「なんか知らんけど、上級者さんが突然アドバイスしてきたぞ。なんで急に全然関係ない話をしてきたんだろ」みたいに思ってしまうらしい。



あなたが今ミスしていた配置ですよ???




読者様の中には「そんな人いるの!?」って思う人も「そんな人いないでしょw」って思う人もいるでしょうが、「あー、いるいる!」って共感してくださる方も多いと思います。

 

「他人事ではなく、あなたのことですよ」ってことをしっかりと言葉にして強調しないと自分に関係している話だと理解出来ない人がいる。

 

そういう人は往々にして「同じような配置」「類似の配置」ってのを判別することができない。





図の上側にある手球位置から8番を左上コーナーに入れるのと、図の下側にある手球位置から9番を右下コーナーに入れるというのは全く同じ配置です。しかしこれを「同じ配置である」と認識できない。

 

8番の入れ方や出し方のコツを教えてから、テーブルの反対側(9番側)に同じ配置を再現して「これはどう撞く?」と聞いてみると、全く新しい配置に出会ったかのように「うーん」と考え出してしまう。「さっきまで撞いていた配置と同じ」だと理解できないらしい。



9ボールは特にですが、ゲーム中に出くわすのはほとんどが類似の配置ですよね。「以前に撞いたあの配置とほぼ同じ」です。ほとんどがパターン。すこしだけ調整を加えて「前と同じように撞く」で攻略していく。全く見たことがないような配置に出くわすことは稀も稀です。

 

だというのに、「類似である」ということが認識出来ない人は、1球1球初めて出くわす配置であるかのように0から取り方を考えてしまう。遅撞きプレイヤーの中には、こういう症状がある人もいますね。。。

 

恐らくは何かしらの学習障害だと思うのですが、私は不勉強がゆえ、具体的に何が原因であり、そういう人達にどう対処したら良いのかが分からんのです。ただただ頭を抱えるだけで終わってしまう。

 

対処の仕方を知らずとも、手間を惜しまず時間をかけて言葉を選びつつ懇切丁寧にアドバイスすれば良いのでしょうけども、私は教えるのが仕事なわけではないし自分の時間も大切にしたいしで、そこまでの手間をかけようとは思えないんですよね、、、、



私は基本的に聞かれない限りはアドバイスをしません。自分から教えることはない。なくなりました。

 

その理由は色々ありますが、1つに今回ネタにしたような「物凄く手間をかけないといけない相手」の存在がありますね。

 

  • 短い時間で簡潔に伝えて理解してくれるのであれば教える気も起こるが、簡潔に伝えると理解してくれないどころかコジらせるだけ
  • 長い時間をかけてまで教えようという気が私には無い

 

だからこちらからは教えない。相手にも欠点があるが、「手間をかける気はない」というこちらにも落ち度があるから。

 

自分から教えておきながら「手間をかける気はない」では身勝手が過ぎますからね。



仲の良い相手であれば、手間をかける気も起きるし、あーだこーだーと喧嘩しながらも上手く意思疎通ができますけど、さしたる面識もない相手との意思疎通は非常に難しいですし、手間をかける気もおきないですから。。。。