鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

許容すりゃいいってもんじゃない

 

1本目

 

口に出しやすい意見と出しづらい意見ってあるじゃないですか。

 

多数派に逆らう意見は出しづらいですよね。

 

また、自分が多数派側にいたとしても口にしづらい意見ってのもあると思います。「多くの人がそう考えているけれど、ルールであったり道徳であったりには反している意見」ってのもありますからね。



そんなことをボンヤリ考えることになったきっかけの1つは、賭け球についての話をしていたことでした。

 

「自分は賭け球が好きだ!」っていう意見って、本来は「口に出しづらい意見」の方に属すはずなんですよ。「賭け球は嫌いです」の方が口に出しやすい意見のはず。

 

なのに一昔前までは逆でしたよね。賭け球好きが大きな声で正当性を主張し、賭け球嫌いはバカにされて肩身の狭い思いをし、「賭け球が嫌いです」と言うことすら許されない雰囲気を作られるっていう。

 

改めて思い返すと異常だったな、と(;^ω^)

 

賭け球に関しては年々私の価値観に合う方に変わってきてくれていてありがたい限り。



2本目

 

このコロナ禍でのビリヤードへの接し方にかかわる持論があるのですが、非常に口に出しづらい意見です。

 

もしSNSで書こうものなら、物凄くたくさんの批判を受けるはず。炎上してしまうかもしれません。

 

とても感覚的な意見なので、批判を論破する自信は全くございません。

 

私と同意見の人も少なからずいると思います。ただその人達は「鈴木さんの意見に賛成です」「共感します」とは言いづらいはず。一緒になって炎上してしまう危険性があるから。

 

私一人が発信したところで「共感はするが、賛成の声をあげづらい、、、」と考えて、みな遠巻きに見るだけになるでしょう。結果的に私一人が異端の意見を発しているかのような雰囲気になる。そんな未来が容易に想像できる持論なので、とても表には出せないのです。



そんな意見を、先日プロが口にしていた。球屋にて、親しい人しか周りにいないような状況で。

 

私は安心しました。「ですよね」「同じ意見の人がいて良かった」と思った。



口に出しづらい意見ってのは口に出しづらいだけに、少数意見であるかのように思われがち。口に出しやすい意見ってのは多数意見であるかのように見えがち。

 

けど、実際には五分五分だったとか、口に出しづらい意見の方が多数派だったってことも世の中には多いと思うんですよね。サイレントマジョリティ

 

そういう口に出しづらい意見を掬い上げるという点では匿名制は有用だと思うんですけど、匿名にすると今度は「言う必要のない意見」とか「無責任な意見」が目立ってきてしまうんですよね(^.^;

 

バランスを取るのが難しい。

 

 

3本目

 

これもまた程度問題であり、ケースバイケースの話です。



「知らなかったのであれば今知れば良い。恥ずかしいことではない」「ノビシロである」



こういうセリフをよく見かけます。共感出来る時と出来ない時があります。

 

まさに程度問題なわけです。「それくらいは知らなくても仕方がない」と思えることもあるし、「メッチャ基本だけど、基本が抜け落ちていることは誰にでもあるよね!自分にもありまくる!」って思えることもあれば、「それはさすがに。。。。」ってこともある。

 

みなさまだって、職場に小学生レベルの知識もない新人が入ってきたら頭抱えますでしょ?

 

ビリヤードも、その人の歴と腕前を考慮した上で「さすがにそれを知らないのはヤバい」と思うようなことはある。

 

そういう時にまで「のびしろ!」なんて声をかけている場合ではないんじゃないでしょうかね。今まで甘やかされすぎてそんな無知になってしまったのだろうから、誰かが厳しくしてあげなきゃいけないはず。



4本目

 

「それって友達っていうの?」というセリフをKさんが言っていたのをよく覚えています。

 

とある球仲間グループ(私は入ってない)

 

一緒に球を撞くのはもちろん、食事に行ったり旅行に行ったりと仲が良い様子。

 

そのグループの一人に人間として重大な欠陥を抱えた人がいるのだけれど、グループの誰もが見て見ぬふりをしている。

 

Kさんは「許容してあげるのが優しさではない。指摘して直してあげるのが友達でしょ?」と考えており、私も同意しました。

 

あんまりこの件には触れたくないですが、最近もビリヤード業界でやらかした人がいましたよね。あの件なんかもいい例で「なんで親しい人は誰も指摘してあげなかったの?」「許容するのが優しさだと思ってたの?」っていう話になる。



許容すべき欠点と許容すべきではない欠点がある。前者を許容するのは優しさだけど、後者を許容するのはただの日和見であり、ただの馴れ合いの関係です。

 

日和見許容まで美徳であるかのように扱われている場面をしばしば見かけてモヤっとしてます(*_*;