鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

種々雑多な条件

 

昨日の続き

 

3本目

 

嫌いな言葉の一つに「条件はみんな一緒なんですから」「条件は一緒ですよ」というものがあります。

 

条件が全く一緒なんてことはまずない。そして、上記のような言葉が発せられる時ってのは実際問題として全然条件が一緒じゃない。単に口にしている人が「俺、いま良いこと言ってるでしょ!」「こいつからマウントを取ってやりたい」と思っているだけの言葉だと思っています。

 

「自分に言い聞かせるべき言葉を、他人に浴びせてしまっている」という話でもありますね。

 

 

条件が同じことはそうそうない。条件は異なるのが当たり前。


その条件次第では勝負をするにあたってハンデが振られますよね。プロとアマでハンデがある場合は多いですし、男性と女性でハンデが振られることもありますし、クラスによってハンデがあるのはごく普通ですよね。

 

他方で、始めた年齢ハンデってある?無いですよね。ビリヤードを始めた年齢って球の腕前に大きく関わると思うんですけど、そんなハンデは聞いたことがない。

 

日頃球撞きに割ける時間ハンデってある?日頃どれだけ撞きこめるかってそりゃぁ勝負の行方に大きな影響が出ますけど、そんなハンデないですよね。

 

所帯持ちハンデは?やはりご家庭をお持ちの方は、ビリヤードに割ける時間はどうしても少なくなってしまい不利ですよね。でもそんなハンデないですよね。

 

居住地ハンデはどうよ?最寄りの球屋まで片道車で1時間だ!いや、うちは2時間だ!!なんていう地域の方はやっぱり不利ですよね。でもそんなハンデは無いですよね。

 

条件が違うからとハンデが設けられる場合と、条件が違うのにハンデが設けられない場合がある。その差はなんなんでしょうね(私なりの意見はあるのですが、あえて書かない)

 

 

4本目

 

人を評価する時に「ビリヤードプレイヤーとして」「友人として」「社会人として」「親として」などなど色んな観点があり、「人として」という大きな括りにしちゃうと評価が難しいってな話を度々しております。

 

社会人として一流で物凄くお金を稼いだけれども家族や友人はないがしろにした、、、っていう人は、人として優れてる??

 

物凄く人柄が良くて友達としてはとても素晴らしい人なんだけど、お金が無さすぎて自分も家族も不幸にしちゃうような人は、人としてどういう評価??

 

とても難しいですよね。評価が難しい。

 

 

どういうポイントで人を評価するかって人によりけり全然違って、「人間性なんてものじゃ飯は食えない。とにかく金を稼いだ人ほど優秀な人間である」と考える人もいるし、「人間性が第一だ!!」とかなんとかいう人もいますよね。

 

どれもこれも単に自分の人生を肯定したいだけの主張にしか聞こえませんけど、まぁどれも一理ある。どれも一理あるからこそ、何が真理なのかは分かりません。人それぞれの価値観としか言えん。

 

 

ビリヤードをやっていて、度々耳にするこんな主張があります。

 

 

「球屋の店員をやっていて、プロ以上に球を撞きこんでいるような人はアマチュアとは言えない!球が上手くても当たり前であり全然凄くない!」

 

 

気持ちは半分くらい分かります。でも半分しか分からないとも言える。

 

「一般企業に勤めていて、その中でどれだけ上達出来るかを目指すのがアマチュアプレイヤーである」と一般論であるかのように言われても、「それってあなたの価値観ですよね?」としか言えんし。

 

価値観の違いとかじゃなくて単に「上手すぎる人がいたら、俺が目立てない!」「言いがかりをつけて、上手い人は除外してやる!」と考えているような人もいるし(;^_^A

 

「これこれこういう特定の条件下で上手いプレイヤーこそが偉いのだ!」「自分にはこういう条件があって不利である。この条件下では頑張っている方なのだ!」と言いたがる人っている。そして当然、その条件ってのが自分に有利に働くような条件で(;´∀`)

 

確かにビリヤードでの結果を出す上で自分より恵まれた環境の人はいる。一方で、自分にだって他の人に比べて恵まれている部分がたくさんある。

 

そんなものを一々挙げて、やれハンデだ、やれ出場資格だと言い出したらキリがないんですよ。「なんでこれはOKなのにあれはNGなのか」「あぁいうハンデはあるのに、なぜこういうハンデは無いのか」っていう話にどうしてもなってしまう。

 

 

結局は「真剣勝負なのであれば、無差別で上手い人が評価されるべき」と思うわけです。あれやこれやと条件を付けて「この条件の中で頑張った人」なんて言っても、そんなこと言い始めたら条件が無限大に出てしまう。

 

「所帯持ちは球撞きに行ける時間が限られてしまうので不利だ。所帯持ちハンデを作るべき」とか言えちゃうわけですよね。

 

球屋まで5分とかからない人と片道1時間かかってしまうような人とでハンデつける?

 

働き方や収入によってハンデつける?

 

「自分は自分の条件の中で頑張っているんだ!!」「あいつらは俺よりも条件が良いから、上手くて当たり前だ!」と言いたくなる気持ちは分かる。とっても分かります。言い訳がましい私なので分かる。

 

けど純粋にビリヤードの腕前の優劣を競うのであれば。

 

条件なんてのは排除して、全員ノーハンデであってこそですよね。これは当たり前の話であるはずです。

 

 

ノーハンデの試合にはノーハンデの試合なりの、ハンデがある試合にはハンデがある試合なりの開催の趣旨があり、価値観がある。そこをゴチャマゼにしちゃいけないし、「どっちが正しいのか」とかいう話でもない。別のことなんだから。どっちも正しい。

 

実力の競い合いをするならノーハンデだし、ハンデをつけるならつけるで色んなハンデの形が合って良いと思う。それこそ「パパさんママさんだけの大会」とかあっても良い。「スタート年齢が遅かった人ハンデ」なんてのを作った大会があってもいい。

 

価値観に賛同出来る人だけが出りゃ良いわけで、価値観が合わない人は文句を言ったり馬鹿にしたりするんじゃなくて出なけりゃ良いだけ。

 

 

  • 自己肯定のために色んな条件を持ち出してくる
  • 異なった価値観に対して、自ら進んで首を突っ込んで否定をする

 

 

こういうことはやめましょう。