1本目
コロナ禍で球撞き頻度が落ち、やっと少し情勢が落ち着いてきたかと思ったらここ2か月は体調不良で結局球撞きに行けていない私。
球ネタが無い
深刻なネタ不足であります。
毒舌や四方山話はいくらでも書けるんですけど、そんなんばっかだとさすがにビリヤードブログとしてどうなのかと思い悩むも、ネタが無いもんは無いのだから仕方なく四方山話です(テヘ
何度も何度も繰り返しキッカケに出会うから何度も何度もしつこくブログネタにしている話題が幾つもあるわけですが、今日はあれです。「偉い」というやつです。
常連読者様は「またか」と思うでしょうが、お付き合いくださいませ。
ピンと来ない方のために念のためおさらいから。
「球が上手けりゃ偉いのか?」
こういうセリフを歴の中で幾度となく耳にしており、そのたびに違和感を覚えてしまいます。
その手のセリフを口にする人の多くは、恐らく「自分よりも上手い人から偉そうな態度を取られた(またはそういう人を見た)」という出来事を経験したんだと思います。そういった背景には同情も共感もします。偉そうな態度の人は嫌ですしイラッとしますよね。
ただ、その出来事を表すんでしたら
「偉そうな態度の人って嫌だよね」
で良いんじゃないですか?これだったらほぼ満場一致で共感を得られると思います。
「球が上手いからって偉そうな人ってなんなの?」
この言い回しだと共感の声は減ると思います。何故なら「球が下手でも偉そうな態度の人はいるよね」「その人は球が上手いから偉そうなの?元から偉そうなだけなんじゃないの?」「ビリヤード外でも偉そうじゃない?」という揚げ足が取れてしまうから。「球が上手いから」という条件付けは不要なんじゃないでしょうか。
そして
「球が上手けりゃ偉いのか?」
こうなりますと、さらに共感の声は減るはずです。私も共感し切れません。日本語の表現、言い回しに違和感がある。
この話を今までに何度もしてきて少しずつ考えがまとまってきましたが、今一番思うのは「『偉い』という言葉を使うべきではない」ということです。「偉い」という言葉をどういう意味合いでとらえるかが人によって全然違うからです。
「偉そう」であればほとんどの人が同じようなイメージを持つと思いますが、「偉い」は受け取り方がかなり分かれる。
以前に今回のような内容をツイートしましたら「私は球の上手い人を偉いだなんて一度も思ったことはありません」という反論を受けたことがありました。
その反論をしてきた人は、その一言だけを言い残して他には一切何も発信をしてくれなかったので本心が分かりませんが、恐らくその人は「偉い」を「社会的地位がある」とか「徳が高い」とか、そういう意味合いで考えているんじゃないでしょうか。そういう意味合いでしたら私だって100%「球が上手くても偉くない」と言い切れます。
ただ、私はそういう意味あいで「偉い」をとらえていない。辞書をひけば分かる事ですが、「偉い」にも色んな意味があります。
小さな子供に「よくできたね!えらいね!」って言う時、「良く出来たね!社会的地位が高いね!!」なんていう意味合いで言ってますか?ww
んなわけないですよね。そこまでの努力であったり出した結果であったりを褒める言葉ですよね。
「球が上手いからって社会的地位が高いのか?」「球が上手いからって徳が高いのか?」「球が上手いからって人として上だと言いたいのか?」みたいに聞かれれば私はハッキリとNOと言えます。
が、「球が上手けりゃ偉いのか?」だと私はYESなのです。意味合い的に私は「球が上手けりゃビリヤードプレイヤーとしてすぐれているのか?」「球が上手い人は、今までビリヤードの努力を積み重ねてきた人なのか?」といった具合に受け取るので、「そりゃ当たり前だろう。YESだ」としか言いようがないからです。
こういう考えなのは何も私だけというわけではないです。賛同者はいます。
学歴や社会的地位では誰も反発出来ないようなA級さんも「上手い人が偉くないっていうんだったら、何のために練習して上達を目指してるんだか分からなくなる」と仰っていました。
「偉い」を「その分野において優れた力を持っている」くらいで認識しているわけです。我々は。
別に私の言葉の認識が絶対的に正しいと言う気は無いし自信もないですが、曲解を生みがちな言葉であるというのは間違いないと思います。なので「偉い」という言葉は使わない方が良い。
自分よりも上手い人に偉そうな態度を取られてイラッとしたという出来事があったのならば、その出来事をそのまんま言葉にするですとか、「偉そうな態度の人って嫌だ」と言うですとか「上級者に偉そうな態度を取られて嫌な思いをした」と言うですとか、そういう表現が良いんじゃないでしょうかね。
せめて「球が上手いからって、人として上だとでも言いたいのか?」みたいにしてほしい。これなら他の読み取り方は出来ないはず。
「球が上手いからって偉いのか?」は言い回し的に語弊を生みがちだと思う。。。
結論「『偉い』という言葉は使うべきではない」「他の言葉を選べ」ですw
2本目
1本目の話を読んで「『球が上手けりゃ偉いのか?』という言い方から曲解をする方がおかしい」「どう考えても意味は伝わるだろう」「いくら『偉い』に色んな意味合いがあるとは言っても、文脈的に分かるだろう!」「お前の読解力の問題だ」などと思う人もいると思います。
しかし私はそうは思えません。「球が上手けりゃ偉いのか?」といった類の発言をする人には過去に何十人と出会っており、とてもじゃないが共感出来ないような人が多数いたからです。
今回のネタを書くキッカケになったのは、ビリヤードとは全然関係ないんですけど、とある地域の地主を調べていた時に出会った投稿でした。
私が幼少期を過ごした地域にとても大きなお屋敷があり、何十年も経った今になって「どういう人なんだろうな?」「地主さんかな?」と気になって調べてみたんです。そうしたら以下のような投稿が目に入った。
非常に典型的です。「偉いの?」とか聞いている本人が偉そう。「あんな奴ら偉くないよな。あんな奴らよりは俺の方が偉い」と言ってるようにしか思えない。
「球が上手けりゃ偉いのか?」と言っている人の中にも、実際そういう人が過去に何にもいました。
「球が上手けりゃ偉いのか?年長者である俺の方が偉いだろう」
「球が上手けりゃ偉いのか?俺の方が会社での役職が上なんだから偉い」
「球が上手けりゃ偉いのか?俺の方が金持ってんだから俺の方が偉いだろう」
「球が上手けりゃ偉いのか?俺の方がこの店での常連歴は長いんだから偉いんだぞ」
こういう態度の人に過去に多数会ってきました。
自分に都合の良い基準を持ち出してマウントを取ろうとしてくる人たちに多数会ってきた。
だから新規で「球が上手けりゃ偉いのか?」と言っている人に会うと、その人も同類なんじゃないかと疑ってしまうわけです。「俺の方が偉い!」と言っているように聞こえてしまう。
「偉い」をどういう意味合いで言っているのかが分からないが、本心が分かれば共感できる場合もあります。
一方で、発言主の本心が分かってなお全く共感出来ないような場合も多々ある。
「意図が分かりづらい」というのと「過去に悪い事例をあまりに多数見てきた」という二重の意味で「球が上手けりゃ偉いのか?」という発言には良いイメージが無い。
ですので、「偉い」ではなくてもっと他の言葉を使い、言葉足らずにならないような表現をしてほしいなと思うわけであります。
「またか、、、」って思うような出来事に出あわぬよう、せめてビリヤードプレイヤーの方々だけでも気をつけてもらいたいもんですが、まぁ無理だろうな。。。
年内にもう1~2回は「球が上手いからって偉いのか?」と言っている人を見かけそう(;´∀`)