昨日のつづき
1本目
私が賭け事をやらない理由ってのはあんまり考えたことがなかったですけど、「そういう育ちをした」としか言いようがないですね(;^ω^) 賭け事に興味が無いし、今までに経験がないだけに新たに手を出そうとしても先行きが読めないので「未知の怖さ」ってのがあるんだと思います。
リスクがありそう(というイメージがある)上に、特に興味もない。となったらそりゃ手は出しませんわな。
宝くじなんかもギャンブルだって言われることがありますよね。私は宝くじはたまに買うことがありますけど、ギャンブルっていうイメージはあんまりないです。
何故かと考えましたけど、「熱くなることがない」「自制心を働かせやすい」からじゃないでしょうか。
ギャンブルらしいギャンブルって「〇〇円までにしよう」と決めていても守れない人が多いと聞きます。負けたら悔しくなってもっとつっこんじゃうし、勝ったら勝ったでさらに行っちゃうんですよね?
宝くじはそういうことが無いですからね(笑) 予め「〇〇円分買おう」と決めて買ってそれで終わり。ゆーたら、ちょっと高めのオミクジを買うようなもんです。
どの程度のリターンが来るか読めないという点では宝くじもギャンブルですけど(と言ってもリターンなんて来ないもんだと思ってるから、そういう点でもギャンブルじゃないかもしれませんw)出費がかさむリスクが物凄く低いのでギャンブルっていうイメージは無いのかなと思います。
他人が絡むような賭け事の場合は「金は人間関係を壊すから」っていう理由もありますけど、これに関しては今回の趣旨に関係なので割愛です。
2本目
「ハウストーナメントの賞典がそのお店でしか使えないような商品券だとケチ臭いと思う」というような意見を見かけて「気持ちは分かるけど、公の場で堂々とそう言い放つような人とは価値観が合わない」と感じました。
昨日~今日の1本目で書きましたし、ブログで過去に散々に書いてきましたけど、やっぱり私は金が絡むようなことが好きじゃないんですよ。ビリヤードもとにかくスポーツを推したい。スポーツマンシップにのっとりたい。
甲子園なんかも(別に甲子園に限った話じゃないですけど)あんだけ苦労して得られるものは栄誉だけです。金なんて入りません(まぁ学校としては色々腹黒いことも考えているでしょうが、選手はね)ビリヤードもそうあってほしい。
趣味の場でまで金金金金言っている人とは、やっぱり根本的な所で価値観が合わんのです。。。
3本目
某SA様が若かりし頃に5-9でトッププロに挑んだ話は何度かしたことがあったはず。
SAになった直後だったか直前だったか忘れてしまいましたが、同じくらいの腕前の球友と連れ立って当時のトップランカーにチャレンジ。
そういや、なぜセットマッチではなく5-9で挑んだのか、その理由は聞いたことが無いな(笑)
SA様曰く、予算を決め「これが尽きるまでお願いします」と頼んだそう。始めから勝てることなんて全く想定していない。予算が尽きるまでどれだけ長く粘れるかという挑戦だったわけですね。いわば、5-9形式のチャレンジマッチであります。チャレマならば賭け球ということにはなりません、、、よね?
いきなり9連マススタートから始まったというプロのぶっ飛び伝説でありました(SA様が結局どれだけ粘れたのかも聞いてないな、、、)
さて。先日「賭け球は嫌がるのにハウスには出るという人が謎」「ハウスだって店が胴元になった賭け球だろうに」という意見を見かけました。それに対して「ハウスは出費が決まっているからギャンブルではない」と反論している人がいて、私はその反論に大いに賛同しました。
それと共に「やっぱり賭け事に慣れている人と慣れていない人とでは、ものの見方が全く違う」と思わされましたね。
「宝くじだってギャンブルだろう」「ハウストーナメントだって賭け球」と考えるような人は、リターンのことだけを考えてギャンブルだと考えているわけじゃないですか。
一方で我々小市民にとっては、「出費が予想できるか否か」が肝心。宝くじにしてもハウストーナメントにしても、予め自分で決めることが出来る。上限が決まっている。その額を払いたいなら払えば良いし払いたくないなら参加しなければいいだけ。気持ちの整理がつけやすいのであります。
定額制の安心感、みたいなのと同じかな?(笑) 支払う額は決まっている。全然使わないと従量制よりも損をするのだけれど、損をするにしても「支払額が決まっている」というところに安心感がある。損失も容易に予想が出来る。
ギャンブル派と非ギャンブル派では観点が全然違うなぁと思わされる日々であります。賭け球の時だけじゃなくて、日常生活全般、色んな所での価値観や考え方がだいぶ違いますからね(;^ω^)