鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

上位2割

 

1本目

 

私は中学受験をしました。そしてラッキーで受験に成功して国内屈指の進学校へ。

 

おかげさまで、中学受験勉強を始めた小4から高校にかけて、ずっと「全国レベル」というものを意識させられ続けておりました。

 

自分が全国でどの辺にいるのかを意識させられ続けていたし、全国1位を始めとした上位勢がどういう人なのかも間近で見てきた。

 

小学生の時点で、よく言えば身の程をわきまえていて、悪く言えば諦め癖がついていた気がします(;^ω^)

 

「上には上がいる。自分なんて大したことがない」という思いがあったし、「自分は彼らのようになるのは無理」という思いもあったわけであります。

 

1位を目指すほどのガッツが昔っから自分にはなかった。中学受験勉強だけでなく、幼少期にやらされていた習い事のどれを見てもそうでしたねぇ。。。DNAに刻まれでもしてるんだろうか?

 

 

ただ、1位を目指すほどのガッツはなかったけれども、立ち位置がどこでも良いと思っていたわけでもなく、アバウトな話ですけど「上位2割には入りたい」くらいのプライドが常にあったような気がします。

 

上位2割という割合だけを見るとそこそこ凄いような気がしますけど、私と同い年の人は国内に150万人いるそうなので、2割となると同い年だけでも上に30万人いることになります。国民全体だと2400万人くらいいるんですよ。

 

同い年150万人の中で、上位1%に入れてもなお1万5千人です。0.1%でも1500人。

 

トップ100に入るためには0.006%。トップ10ともなればその1/10。

 

「トップ100」と書かれると大したことがないように錯覚しますけど、「上位0.006%の人達」と書かれると「やば!」って思いません?w

 

スポーツの世界って、2位ですら「1位じゃない」と馬鹿にされたりすることがあるじゃないですか。世界ランキングで1位は当然のことながら化物of the 化物ですけど、トップ10もトップ100も、トップ1000だろうがバケモンですよ。

 

選手本人が「1位以外に価値はない!」と自身を鼓舞するのは良くても、ただの一視聴者が「1位以外に価値はない」みたいな見方をするのは最悪ですよね(;^ω^) どんだけ自分のことを棚に上げてんだっていう話になるし、どんだけ凄さが分かっていないのかという話でもある。けど、そういう人たくさんいますよね。。。

 

 

ここまでは「他人に厳しすぎる」という話でしたが、続いては「自分に甘すぎる」という話です。

 

「自分より下がいるのだから、俺は凄い」みたいな考え方の人にしばしば出会います。その「自分より下」の割合があまりにも少なくて「1割でも下がいればいい」くらいの人がいる。。。。

 

そこまでの人は稀ですが、結構多く見かけるのが「半分の人間が自分より下にいるから、自分は凄い」みたいな熱量の人です。これもまた、私自身が「上位2割に入れれば」くらいの熱量なものですから、「半分なんて、志低くない?」って思ってしまいがち、、、

 

まぁ、「自分は半分より上にいられれば私は充分です」というような言い方の人であれば「他人の熱量を否定するのは余計なお世話だ」と思うことができます。

 

ですが、「半分より上なんだから俺は凄い!!」「俺は半分より上に行けるような結果を残してるんだぞ!!」みたいな人になると「たかだか半分で何を誇ってるんだよ(;^ω^)」と思ってしまいます。この感覚、読者様も私と同じだと思いたい。

 

同い年150万人の例でいえば「俺は同い年の中で70万位だぞ!俺より下が80万人もいるんだぞーーー!!!」って言ってるようなもんですからね。凄いのか、、、??

 

 

2本目

   

 

 

こんなツイートを。

 

この間書いたマイザブトンのことと同じような話です。全然伝播しない。

 

ザブトンの話と違うのは、マイザブトンの話は私と他1人2人の限られた人しか発信していないけれど、こっちのラックやセットの話は私以外にも主張している人は少なくないということです。

 

だというのに業界全体はおろか、Twitter上だけを見ても全く浸透しない。相変わらず「1セット=1マス」という使い方をする人が後を絶たない。。。

 

マイザブトンの話と同じく、「目に入っていない」ことも「目には入っていても頭に入っていない」ことも両方あるんだと思います。

 

「話題に挙がった時にたまたまツイッターを見ていた」というタイミングの良さと、「ツイートを見た時に、その内容を受け入れられる状態になっていたか否か」というタイミングと、2つのタイミングが合わされないと受け入れられないんでしょうね。

 

 

3本目

 

「目には入っていても頭に入っていない」ってのは駄目だぞ、という趣旨の話です。

 

以前に「7割の部下は、タイミングが合わないと有益なアドバイスも受け入れてくれない」みたいな見出しのコラムを読んだことがありました。

 

そこで書かれていた内容をビリヤードに置き換えますと「尊敬する上級者からの丁寧なアドバイスであっても、下級者の側に受け入れ態勢が整っていないと右から左へ受け流される」というようなものでした。

 

「尊敬できない上級者」とか「言葉が汚い」とか「間違ったアドバイス」とかじゃないんです。尊敬できる上級者の、丁寧な、真っ当で有益なアドバイスであっても、下級者の側が「今そういうアドバイスが聞きたかった!!」っていう状態になっていないと7割の人は頭に入れてくれないんですって。

 

たとえば、下級者が「捻りの練習をしたいぞ!」と思っている時に、引き球に関して非常に有益なアドバイスをもらっても「なるほど!ありがとうございます!(建前)」「今は引きなんてどうでも良いんだ。捻りだ捻り(本音)」という状態になってしまい、頭に定着しないと。

 

そんな下級者が7割であると。

 

 

そのコラムは上司の側の視点で書かれていましたので、「部下が今何を求めているのかを見定め、タイミングよくアドバイスをしなきゃいけない」という趣旨でした。これは上司側(上級者側)の正解ですよね。

 

一方、下級者側の正解としては、「いついかなるタイミングであろうとも、アドバイスの内容を吟味し、有益なアドバイスはしっかり聞き入れる」ですよね。でも、それが出来ない人が7割。

 

ここで「あ。自分は7割の側だわ」「7割も仲間がいるのか。あんしーーんw」とか思って終わりにしてしまう人は、たぶん何をやっても伸びない。才能無しで終わってしまう。

 

ちゃんと反省はするべき。「7割もの人がその欠点を持っているのだから、直す必要がない」ではなくて「直すべき欠点である」と考えるべき。

 

「多くの人が同じ欠点を持っているのだから、直さなくても問題ない」ではなく「多くの人が同じ欠点を持っているから、この欠点を直せばその多くの人達よりも上に行ける」と考えるべきじゃないでしょうか。

 

「別に上手くなれなくてもいい」ってんなら良いんです。欠点は欠点のままでも。

 

でも上手くなりたいならね?