1本目
「その前提、崩せるよね??」と思わされる発言に出会うことがしばしばあります。
あんまり具体的なことを書くと毒になるのでアバウトに書きますが
「自分は〇〇が苦手なので、別のこういう方向性を目指しています!」→〇〇は練習すれば直るんだから、直したいなら直せば良くね??
「自分は××が無いので、こういうショット選択をします」→××は鍛えれば習得出来るよね?
「充分な球撞き時間が取れないので、その限られた時間での効率的に上達することを目指しています!」→頻繁に主催して飲み会やってんだから、飲み会の頻度を落として球を撞けばいいんじゃない??
みたいな。
私は「言ってることとやってることが違う」という点にモヤッとしてしまう人間なので、上のどの例も
- 「自分は〇〇の練習はしたくないので、〇〇をやらなくてもいいようにこういう方向性を目指しています」
- 「自分は××を鍛えるトレーニングは面倒くさくてやりたくないので、こういうショットをすることにしています」
- 「他にも色々趣味があって球撞きにあんまり時間が割けませんが、撞く時には精一杯やっています!!」
っていう言い方なら気にならないんですけどね。なんか「自分に非はない」「仕方がないのだ」みたいな感じの言い方をされると気になる(;^_^A
ま、ブーメラン発言であり、私も思いっきりそういうこと言ってるけども。。。
言い方が悪いだけならまだしも、本気で「この前提は崩せない」と思い込んでいるような人も見受けられます。
前提を受け入れた上での努力ばっかり考えていないで、前提を崩す努力をしないと先に進めないのでは?って言いたくなる人がたまにいるんですよねぇ。
2本目
「他人事だからって簡単に言うな!」と言われるであろう話なんですけども、
1本目にて「前提は崩せる」という話をしましたが、具体例の1つとして「習いに行けるようなプロが近くにいないので、レッスンを受けられない」というのがあります。
その前提、崩せるんじゃ?
私なんぞは近くにプロがいっぱいいるので、時間とか距離はなんの問題にもならず、「気持ちと金」の整理がつけばいつでもプロに教わりに行くことが出来ます。
一方で、同じ都内在住の方であっても「レッスンをやっているような店に行くまでは、片道1時間半はかかる」みたいな方もいると思います(都内といっても、諸島部に住んでたら1時間半どころじゃないですけども、、、)
1時間半くらいまでなら「絶対に行けない」という距離ではないですよね。毎週は無理だし毎月も厳しいけれど、何か月かに1回くらいなら都合をつけられるはず。
それがどんどん遠くなっていった時、どこからが「確かにそれは行けない」という距離になるでしょうかね。
今私が頭に浮かべている具体的な人物の場合は1時間半~2時間くらいの距離なんですよね。半日時間を空けられれば充分に通えるはず。
それくらいの負担でプロのレッスンを受けることが出来る。かつ
・長年悩んでいる重大な悩みがあるらしい
・プロに習いたい習いたいと日頃から言っている
だったら行けばよくね?
と思うのですが「近くにプロがいないので」と言う。
どうしても私は「手間をかけてまで習いたいとは思ってないんでしょ?」と考えてしまいます。
その人は、電車で5分の隣駅まで行くのも面倒くさがっていたり、徒歩10分の距離を面倒くさがってたりなどなど、面倒くさがりエピソードに事欠かないから、なおさらそう思っちゃう。
私は最寄りのレッスン会場まで30分で行けるんですけど、もしかしたらそのレベルにならないとその人にとっては「近くにプロがいる」にならないのかもしれないし、もしかしたら30分ですら面倒くさくて「近くにプロがいない」と言い出すかもしれない。
なんか、そういう面倒くさがりな人をたっくさん今までに見てきているので、全くの見ず知らずの人の発言を見ても、どうしても「その前提、崩せるんじゃないの?」「面倒くさがってるだけなんじゃないの?」って思っちゃうんですよね。。。
性格悪くてすみません、、、