鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

なんでハンデ

今日からの3日間は、私の頭の中では一連のネタです(たぶん伝わらないけどw)

 

今回もまた書きながら考えていますので、話があっちこっち行きます。ついてきてください。

 

 

1本目

 

AクラスとBクラス、どちらが上手いでしょうか。

 

んなもん、Aクラスに決まってますよね。実力が違うからこそクラスが違うんだから。

 

自己申告でありますゆえ、特定のAクラスと特定のBクラスとを比べたら後者の方が上手いってことはありますけど、概して言えばAクラスの方が上手いのです。

 

では、「とあるAクラスととあるBクラスが勝負するので、どちらが勝つかに1万円賭けてください」と言われたら。「詳細を教えてくれ」っていう話になりますよねw

 

どれくらいのAなのか、どれくらいのBなのか。詐称プレイヤーではないのか。フォーマットはどうなのか。それ次第ではBクラスが勝つ可能性も高いからです。

 

 

ここで、こんなAクラスに登場してもらいます。

 

ハウスでBクラスやCクラスと対戦し、負ける。

 

負けるというだけなら「そういうこともある」という話で終わりです。私だって下級者に負けることはしょっちゅうあるし、どんなAクラスだって同じでしょう。

 

しかし、そのAクラスの場合は完全に舐めた球を撞いた上に負ける。舐めた球を撞いて負け、さらには「負けてない」「最初から勝ってるから(俺の方が上のクラスなんだから)」と言うわけです。

 

ダサいですよね。

 

最初から勝負が決まってるっていうんじゃ、試合する意味ないじゃん。

 

 

そこまでのダサいプレイヤーは1人しか知りませんが、下級者に負けて「ハンデがあったからだ」「ハンデがなければ勝ってた!」という発言をする程度の人は、ちらほら見かけます。やっぱりダサい。

 

 

一方で、逆も多数見かけるわけです。「自分は下級者なのだから、ハンデをもらって当たり前」という態度に出る人。多大なハンデをもらって勝ってドヤる人。

 

5-9をやる際にも「負け額を少なく出来るハンデ」とか「頑張ればトントンに出来るハンデ」とかじゃなく「絶対にプラスになれるようなハンデをくれ」みたいな態度の人もいるし、、、

 

 

私がビリヤードを始めた時からハンデ制であるのが当たり前だったこともあって、私は下級者にハンデを振ることは当たり前だと思っているし、なんら反対ではありません。

 

ただやはり下級者側の態度によっては「ハンデをもらっている立場であるということを弁えるべき」「ハンデをもらうことを当たり前だと思ってはいけない」と思うことはあるし、時には「大きなハンデをもらって勝って、何が嬉しいの?」「ハンデのおかげで勝てただけなのに、一体何を誇っているの?」と思うこともあるわけです。

 

 

2本目

 

優勝すればSAを名乗れるような公式戦って、ハンデが無いですよね。

 

一方で、小さな公式戦やハウストーナメントだと、クラスハンデがありますよね。

 

なんで?

 

その差はなんなんでしょうか。

 

 

今となっては「それが当たり前だから」「慣習だから」という話になってしまいそうですが、改めて考えてみると、なぜなんでしょうか。

 

私が球を始めた頃から、ハンデは当たり前にありました。相撞きをする時にはハンデ。5-9をやる時にもハンデ。ハウスやイベントでもハンデ。

 

 

なんで??

 

 

始めた頃からハンデがあるのが当たり前だから、それを当たり前として疑いもしない人が多いと思います。今までハンデがあるのが当たり前だったから、突如ノーハンデとなったら「なんで??」って思うはず。

 

ですけども、もし始めた頃からノーハンデが当たり前だったとしたら。一体何がデメリットになるのでしょうか?

 

 

これはあくまでも私の個人的見解であり、かつ反対意見も多く出そうですが、ハンデ制は競技人口を増やすためのものだと思っています。

 

現状のハンデ制でも下級者は中々上級者に勝てませんよね。ノーハンデとなったらなおさら勝てません。

 

「こんなのはムリゲー」「勝てないから面白くない」と考えてビリヤードを辞めてしまう人が出る。それを防ぐためにハンデを設ける。

 

ハウストーナメントだったら、出来るだけ多くの人に集まってほしいと考える店がほとんどでしょう。「ノーハンデ戦です」となったら、下のクラスの人は中々参加しませんよね。参加者を増やしたいからハンデを設けるんじゃないでしょうか。

 

 では、公式戦だったら?

 

公式戦でもハンデ制を設ける試合は少なくないですが、私はあれも「人数を集めたいから」が理由なんだろうと思いますし、かつ、公式戦ではやめてほしいとも思っています。

 

私は、ハンデがある時点で「遊び」「みんな一緒に楽しみましょう、という場」という認識になります。それは決して否定されるべきものではないですが、しかし公式戦は「勝負の場」であってほしい。実力を競う場であってほしいので、ハンデはなんで?と思ってしまうわけです。

 

メジャーな公式戦でハンデ制を取らないのは、「さすがにこの試合は、実力を競う場でないといけない」という話なんじゃないかなと思っています(;^ω^)

 

 

3本目 

 

「ハンデを振ることで、上級者の側にも緊張感が増し、いい練習になる」という考え方があります。ハンデを振る側の立場の人は、こう考えている人も多いんじゃないでしょうか。

 

「なんでハンデを振らなきゃいけないんだ」と考える上級者もいるし、「ハンデが無いとほぼ確実に自分が勝ってしまって緊張感に欠けるから、ハンデはしっかり振りたい」と考える上級者もいるはずです。仕方なくハンデを振っているのではなく、振りたくて振っている人もいる。

 

ハンデをもらう立場の人の中には「ハンデをもらうのは申し訳ない」「賭け球じゃないならば、スクラッチでいい」と考える人もいると思いますが、「ハンデを振りたい」と考えている上級者もおりますので、相手次第ですね。そこらへんはやはり、しっかり話し合うべきかなと思います。

 

 

さて。ハンデ制のことを考えておりますと毎度頭に浮かんでくる、とあるメジャースポーツがあります。ハンデがあって当たり前というイメージのあるスポーツです。

 

そのスポーツのハンデについて調べておりましたら、アマチュアと思われし人が書いているブログで「ハンデはあるべきものであり、ハンデの無い野球やサッカーがおかしい」といったことが書かれていました。

 

その理由として「ハンデがあることで、ゲームがフェアになる」と言うのです。

 

 

フェアってなんだ???

 

 

直感的に、そう疑問に思いました。

 

フェアって、日本語にしたら公正とか公平ですよね。

 

ハンデがあると公平。

 

え?

 

ハンデがある方が、理不尽じゃない??

 

実力がある人の負ける可能性が高まるのって、不公平なんじゃないの??

 

 

ハンデがある方がフェアなのか。ハンデが無い方がフェアなのか。

 

何を「公平」にしようとしているのか。

 

結局のところ「場」次第であり、人次第でもあるのかなぁと思います。

 

ビリヤードでもボウリングでもダーツでも何でもいいですけど、会社の人達と集まって未経験者から上級者までが一堂に介して楽しむ場では、ハンデをつけて、誰にでも勝つチャンスを与えるのがフェア。実力を競う場ではなく、交流を楽しむ場だからです。「その競技に、今までどれだけの情熱を傾けて来たか」を競う場ではない。

 

でも競技会となったら、その競技の技量、それまでの努力の度合いを計る場なわけですから、ハンデがあるのはフェアじゃない。ハンデがあったら、それはもはや競技会ではない。

 

競技会は「当日どれだけ頑張ったか」を競う会ではない。「それまでにどれだけ研鑽を積んできたか」を競う会です。

 

というわけで、ハンデがある方を公平とするか無い方を公平とするかは、「実力を競い合いましょう」という場なのか「皆で一緒に、この場を楽しみましょう」という場なのか、どちらなのか次第なのでしょう。

 

そして、特定の場を前者後者のどちらだと認識するかは人次第でもある。