鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

出来ていればいい

 

1本目

 

全くのうろ覚えの話なのですが、政治家だったか誰かが失言をして訂正して謝罪をしたのだけれど、それに対してコメンテーターが「思ってもないことは口に出ないんですよ」と批判をしていたっていうことだけがボンヤリ記憶に残っております。


私の感想はといえば「思ってもないことが口に出ることはあるよ」でした(笑)


深く考えたことがない内容について言及する時、全く思ってもない頓珍漢なことを口にしてしまうことって、普通にありますでしょう??


しっかりとした持論を口に出来るのは、日頃からその件について考えている場合だけであって「今まで考えたこともなかった」と思うような内容についていきなりコメントを求められても、まともな回答は出来ません。出来るのはよほどに頭の回転が速い人だけ。


冒頭の政治家の話の場合は、日頃からちゃんと考えておくべきことを考えていなかったという点に落ち度はあっても、「思ってもないことは口に出ない」というのは的外れな指摘かなぁと感じました。

 

この件から言いたいことが2つ。


1つは「深く考えたことがない内容に、下手に言及しようとしないこと」です。


ようは「知ったかぶりをしようとするべからず」です。


全くの頓珍漢なことを言ってしまって恥をさらすことになりますし、いざ批判された時に「思ってもないことを口にしてしまった結果批判を受けた」では、後悔が酷いですから。


言いたいことのもう1つは、立場が逆になった時に「他人に無理やりコメントを求めないこと」です。


自分は日頃から深く考えていることであっても、相手は全然かもしれない。


自分は普段から考えることが多いから持論をスラスラと述べられるけれど、相手はその時初めて問いかけられて、その場で考えて口にしたのかもしれない。だとしたら的外れなことを言ってしまっても仕方がないのであります。


聞く側は無理にコメントを求めない。聞かれた側も、深く考えたことが無い内容であれば「分からない」「考えたことがない」と素直に言うべきですね。

 

 

2本目


1本目からの連想で1ネタ。


歴の中で数人程度ですけども「ファールをした本人が気づかないわけがないんですよ!」「自己申告しないなんてマナーが悪い!!」とかなんとか憤っている人を見たことがあります。


私が思うのは「ファールをして気づかないことは普通にあるよ。。。」ってことでした。


服や髪の毛で球触りしてしまったとか。球越しのショットをする時にちょっとだけ触ってしまっていたとか。初級者ですと、二度撞きしても気づかないことってのはあると思います。


「自己申告しないなんてマナーが悪い!」と怒っていた人の1人が挙げていた具体例も「メカニカルブリッジを使って球越しのショットをした時に、的球に少し触っていた」だったんです。


それを「本人が気づかないわけがない」「申告しないなんてマナーが悪い!!」と怒っていたんですけど、「それは普通に気づいていなかっただけでは、、、」としか思えませんで(;^_^A


分かりませんよ。気づいていたけどちょろまかそうとしたのか、気づいていなかったのか、それともJPA育ちのプレイヤーで「球触りはセーフだ」と思い込んでいたのか、どれに該当するのかは分かりません。けど、「気づいているのに申告せずちょろまかそうとしている」と決めつけるのはなぁ。


たぶん、極親しい間柄で、どういう人物なのか知っている相手だったら「あの人の場合はちょろまかそうとするわけがないから、気づいていないんだろうな」とかいう判断、出来ると思うんです。


試合で当たった初対面の相手だったりすると「故意なのか過失なのか分からない」となってしまって、疑心暗鬼になってしまうんじゃないでしょうかね。


相手のことを知らないからこそ勝手な思い込みをしてしまって、悪い感情を抱くってことも、ありがちですよねぇ。。。

 


3本目


私は基本的に「出来ていれば、分かっていなくてもいい」と考えております。


極端な話ですけど「どうやって2本の足で立ってるの?」「どうやってバランス取ってるの?」なんて聞かれても、即座に理論を語れる人なんてまずいないでしょう。出来てるんだから、考える必要がない。


でもこれが、医療や介護、スポーツに関わる専門職の人であったら、知っていなくてはいけないのかもしれません。


ビリヤードに関わる知識も同じで、一プレイヤーとして球を撞いている分には、分かっていなくても出来てりゃ良いのです。


出来ないことは、知識を深めて出来るようにするべきですが、出来ているのならばわざわざ頭で理解する必要はない。


出来ていることについて、後付けで知識をつけようとするのは

 

  1. 「分かっていないと落ち着かない」という気分の問題
  2. 自然には出来なくなってしまった時に備えて
  3. 人に教えるため

 


この3つくらいが理由になるんじゃないでしょうか。


で、最近のキッケー氏はYouTuberとして活動しているために、3の理由で技術を言葉にしようとしていることが多いです。


そんなもんだから、私からしたら「んなもん、どうでもいいじゃん、、、」って思うような質問をされることが度々(笑)


私にとってもきっけー氏にとっても、プレイヤーとしての観点からは「出来ている」「分かったところで、自分自身の成長には繋がらない」と思うような内容。でもYouTuberきっけー氏からしたら「分かっていないと、動画に出来ない」ということになるのでしょう。


思えば、私もブログを書くにあたって、プレイヤーとして球を撞いているだけでは考えもしなかったであろうことに頭を巡らせ、それがプレイヤーとしての成長に繋がったと感じることがあります(時間の無駄遣いである場合の方が多いですがw)


きっけー氏の場合も、YouTuberとして人に伝えるための知識を蓄えることでキッケー氏自身がプレイヤーとして成長するってこともあるんだろうなーと思い、そういう成長の仕方をする人も珍しいでしょうから「今後どうなるかな?」と楽しく観察しております(笑)

 

 

4本目


3本目で書いた通り、私は出来ていれば良いと考えております。


出来ないことは「なぜ出来ていないのか」「どうすれば出来るようになるのか」を考え、仮説を立て、その仮説を検証していく形で理論を構築して出来るようにしていくのですが、出来ているんだったらわざわざ理論立てする必要はないと、基本的にはそう考えています。


しかし、しばしば「それまでは無意識に出来ていたことが、突如出来なくなる」という瞬間が訪れます。そういう状態に陥った時に、理論が無いと弱い。理論があれば「不調」程度に抑えることが出来ますが、理論が無いと「崩壊」にまでなってしまう。


体で覚えていたことが突如出来なくなる瞬間があるだけに、いざという時のために頭で覚えておいた方が良いと思うこともあります。


「出来ていればいい」と「いざという時のために頭で覚えておいた方が良い」と、この2つの違いがどこから来るかと言えば、頻度です。


そこそこ長い私の歴の中で「理論は無いが、今までに一度も出来なくなったことは無い」とか「1回2回くらい壊れたことがあるだけ」という程度のことであれば、わざわざ理論を構築する必要はないと考えます。


一方で「半年に一回くらいは、唐突に分からなくなる」以上の頻度になってくると、普段は出来ていても、いざという時のための理論を構築しようという気になりますね。

 

 

さて。ここまでは技術的なことを念頭においての話だったのですが、メンタル面についてはどうなんだ?と、ふと思いました。


私のメンタル強化の基本方針は「緊張しないようにする」ではなく「緊張しても、悪影響を最小限に抑える」です。


緊張を緩和させることは出来ても、0にすることは不可能。仮に特定のシチュエーションでは0に出来たとしても、新しいシチュエーションに置かれたら結局はまた緊張してしまう。


「緊張しないようにする」という考え方には無理がある。「緊張してしまった時にどうするか」を考えた方が建設的であると考えます。


で、度々起こる「集中をすれば周りのことなんて気にならなくなる」論争がありますよね。


「テーブル外のことが気になってしまうのは、集中をしていないからだ」と声高に叫ぶ人がいて、それに反発する勢力もいて。


私が気になったのは「集中をしていれば、球以外のことは気にならなくなる」と主張している人達は、いざ集中出来ていない時が訪れたらどうしてるの?ってことでした。


常時100%集中するなんてのは不可能でしょう。どんだけ真面目で、どんだけ集中することに長けた人であっても、長丁場の試合の時なんかは終始100%集中しきるってのは無理ですよね。


いざ集中力が切れた時にはどうするの?そのままなんの策もなく滅びゆくの??


これもまた出来ている時は良いが、出来なくなった時に理論が無いと困るっていう案件ですよね。集中出来ている間は良いけど、出来なくなった時にどうするのか。そこが聞きたい。