鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

目に入らないといいな

 

1本目

 

再三申しておりますが、結論が出ない不毛な話は親しい間柄の人とするから楽しいのであって、良く知りもしない相手と不毛な話をするのは、それこそ不毛だと私は思ってしまいます。


好感度が±0な相手であっても不毛だと感じてしまうので、マイナスの相手だったらなおさらです。不毛な話は好感度がプラスな人とだけしたい。


しかしながら、世の中には不特定多数の人との不毛な会話を楽しむ人もいるわけでありまして、趣向の違いってのを感じずにはいられません。

 


さて。しばしば「男性は問題を解決したく、女性は共感を求めている。話が噛み合わない」みたいな話が出ますが、「性別関係なくない?」と私は思っています。


男女問わず、問題を解決したい時と、共感を求めたい時とがある。男女差とかではなく「人によりけり」「時と場合によりけり」という話だと思うのです。私にも、どちらのパターンもあります。


そしてまた第3のパターンとして「ただお喋りがしたいだけ」という人もいるんじゃないでしょうか。冒頭で挙げた、不特定多数の人と不毛な会話を楽しもうとする人なんかが、これに当てはまりますね。


誰かしらから何かしら話かけられた時に「なんでそんな質問した?意図は?」とか「ググレカス」って思ってしまうことはあるんじゃないかと思うんですが、相手は単に「誰かとおしゃべりしたい」と思っているだけだったりすることがある。


それこそ、私の身近にいる一番極端な人は、腕時計をしているにもかかわらず「いま何時?」とか質問してきたりしますからね、、、、ただ誰かと話したいだけらしい。


話し手は、問題を解決したい人、共感してもらいたい人、ただただお喋りがしたい人などがいる。


そんな話し手の気分と聞き手の気分が合致するかどうか。


合致せずすれ違い、喧嘩になっている場面ってのも多々ありますよね(;^ω^)


私も、喧嘩というほどにはならずとも「この人とは合わんな。。。」と思うことはしょっちゅうですね、、、、

 

 

2本目

 

今回のネタを書こうと思ったキッカケはまた全然別の話なんですけど、たとえとして昔話を1つ。


とある球屋の常連さんが、店長さんへの愚痴を言っておりました。


「なんでか知らないけど、俺が撞いているとため息をつかれる」「こっちを見ながら『はぁ』とため息をついて首を横に振っていたりする」「何が嫌なのか分からないから不快」とな。


その常連さんからの話を聞く前に、私は店長さんから愚痴を聞かされておりました。店長さん曰く「テーブルの上でチョークを塗るから、粉がテーブル上に舞い散って嫌だ」ということらしい。


確かにその常連さんは「何もそんなところで塗らなくても」って私も思うくらい、テーブル近くに立って、キュー先をテーブル上に突き出すような形でチョークを塗る癖がある。無意識なんだと思います。


そんな2人からの愚痴を聞き、私は「言えよ!」「聞けよ!」って思ってましたww


店長さんは店長さんで「テーブルから離れたところでチョークを塗ってくださいますか?」と言えば良いだけだし。


常連さんは常連さんで「何か至らないところがありますか?」と聞けば良いだけだし。


この話の場合は、7:3くらいで店長さんの方が悪い気がしますね。注意をしないなら気持ちを表に出さずに我慢すべきだし、我慢できないんだったら言うべきだし。


何に腹を立てているのかが分からないから腹が立つ、ってなすれ違い。良くある話だと思うんです。そして大抵のことは傍から見ていると「言えよ!」「聞けよ!」って話じゃないですかw


でもいざ自分が当事者になると、言えないし聞けないことが多いんですよね。。。。


身近な周りの人が助け舟を出してあげるべきなのかな。

 


3本目


ネットを見ているとたまにハッとさせられる考え方に出会う。また、言っていることは普通なんだけど「言い回しが上手いなぁ」「頭が良いな」「こんな言い方、自分には出来ない」と思わされる言い方をしている人もいる。


最近の例を1つ。


私が好きな選手が試合で優勝したとしましょう。ネット上には称賛の言葉が並ぶ中、アンチコメントが何件かはつくことが予想されます。


そういう未来予想をして私だったら、「アンチコメントは不快だから、しないでくれ」と言うと思います。


けど、この間ネットで見かけた人は「そういうコメントが私の目に入らないと良いな」と言っていた。


あぁ、それだ。って思いましたね。


どんだけ言っても、クソリプを飛ばしてくる人はいなくならない。絶対にいなくならない。人類が絶滅しない限り、クソリプラーは存在し続ける。


クソリプを飛ばすな」と言っても、それは実現しない。


でも、私の目に入りさえしなければ、私の精神衛生は保たれる。世界のどこかでクソリプが飛ばされてても、私の目に入ってこなければ存在しないも同じ。


クソリプ0の世界は実現不可能だけれど、私の目に入ってこないというだけなら運が良ければ可能なこと。


クソリプやめろ」は言っても無駄。「クソリプが目に入らないと良いな」という考え方の方がよっぽど現実的でクレバーであります。私はまた1つ賢くなった。

 


4本目


真面目に撞いている人に対して、外野からあれやこれやと話しかけてくる人ってたまにいますよね。そういう場面は度々見かけるし、私自身が被害を受けたことも何度か。


「逆の立場になったらどうなのかを想像してほしい」「自分がやられたら嫌なことは、他人にやっちゃダメ!」と言いたいところなのですが、困るのは、立場が逆になった時に「自分はどんどん話しかけてほしい」と思っている人がチラホラいるということです。


「自分は球を撞いている最中であってもどんどん話しかけてほしい。だから自分は撞いている人にどんどん話しかける」っていうタイプの人。


「自分がやられたら嫌なことを他人にはやってしまっている」わけではなく「自分がやってほしいことを、他人にやってあげている」わけですので、これはもう決定的に価値観が合わない(;^ω^)