1本目
性格の差、趣向の差という話をしばしば出しておりますが、今回も性格の差のお話です。
実戦でとにかく結果を出そうとした時、目の前の配置に対して浮かんでくる選択肢ってせいぜい2~3個じゃないでしょうか。その中からさらに確率を計算して最善の一手を選ぶわけですよね。
最初から一手しか浮かばないような配置もあると思います。
では、1人練習で9ボールなり10ボールなりを転がしている時だとどうでしょうか。そういう場面になると「性格の差が出るよなー」と思わされるのです。
私が1人練習で9ボールを転がすとした時、ザックリと分けて「通常時」と「実戦前」の2パターンがあります。
実戦前は実戦前なだけに実戦を想定した取り方をします。堅い組み立て方ですね。
一方、通常時は2~3個浮かんできた選択肢の、実戦では除外する方を選択することが多いです。
それにとどまらず、通常は2~3しか浮かんで来ない所を4~5まで広げて考えて、それを選択することも多いです。「実戦では絶対に選択しない選択肢」ですね。
さらにさらに。そもそもネクストボールに出そうとすらしていないことも多々ww
「このフリ、この距離の先球に、こういう撞点とキュースピードで撞いてみたら、手球は一体どんな動きをするんだ?」と唐突に気になって、それを実行してしまうわけです。
そんなことをやっているせいか、私の練習風景を見た人から「何の練習をしているのか分からない」と言われることがしばしばあります。ゲーム形式で転がしていながら、取り切りの事はあまり考えていないってのが通常時の私なのであります。
その対極にいるのが、一人練習の時でも常に実戦を想定した最善の選択しかしないような人です。しないというか、性格的に「出来ない」人もいるみたい。
そういう人は9ボールを転がしているだけじゃどうしてもショットバリエーションが少なくなってしまうので、「何かいい練習方法ありませんか」と聞いてくる。
私は「唐突な思い付き」で勝手に色んなショットを撞いちゃうから、9ボールを転がしているだけでも結構ショットバリエーションが増えました。けども、常に実戦的な組み立てしかしない人は、ショットバリエーションが限られてしまうのでしょうね。
適当な性格であることも、たまにはメリットがあるもんです。
2本目
パターンラックからのパターンブレイクをして取り切る練習。これなんかはまさに実戦的な練習ですよね。
けど、これぞまさしく試合前にだけやるべき練習であって、平時にそれしかやってなかったら上手くなれませんよね。特定の配置に対する特定のショットしか上手くならない。
ちょっとでもミスをしたり、相手がブレイクをした配置になったら途端にシュート率が激減するようなプレイヤーの出来上がりです。
たまーにそういう初級者を見かけることがあって「どうしたものか」と頭を悩ませます。
3本目
I氏ネタとして何度か書いたことがあり、かつ私も人のことを言えない話でもあるのが「練習なのに、成功率が高いことばっかりやっちゃう」というやつです。
1本目2本目で書いたように、試合前の実戦を想定した練習なら「出来る事を安定させておく」という練習にも意味がありますが、平時は「出来ないことを出来るようにする」に重きをおくべきではないでしょうか。
なのに、私もI氏も出来る事ばかりやってしまうことがある。なぜか。
原因は「見栄」です。
苦手な事を練習していると、当然成功率は低いです。その風景を見られて周りの人から「下手だ」と思われるのが嫌っていう。そういう、しょうもない見栄。。。
その場限りの、二度と会わないであろう一般のお客さん相手にまで見栄を張ってしまう。まことにしょーーーもない話であります。
そんな情けない性格をしていて、かつそれがダメだという自覚があるせいもあって、私もI氏も「周りに誰もいないところで練習したい」と思うんでしょうな。。。
4本目
学生の頃(主に高校生時代でしょうか)のテストを思い浮かべてください。
流れ作業でどんどん問題を解いていくのだけれど、詰まってしまう個所が出てきますよね。
そこでいつまでも頭を悩ませていても時間の無駄なので、「とりあえず後回し!!」として、他の所を先に解いたりしましたよね。
で、文系科目に見られがちな丸暗記系のテストって、分からないもんはいくら考えたって分からないじゃないですか。
「知ってるはずなのに思い出せない」なら頭を捻ればそのうち出てくるかもしれませんが、知らんもんは知らんわけで、どんだけ頭を捻ったって出てこない。
なのに、そういう個所でいつまでも時間を要してしまうような人がたまにいる。
知ってるのか知らないのか、思い出せそうなのか思い出せそうにないのか。そこんところのジャッジは出来る限り早くして、捨てる問題は捨ててしまった方が効率的でありましょう。
さて。ビリヤードです。
とあるC級さんが、1人で9ボールを転がしている時に完全に固まってしまっている場面を多々見かけた。。。ってな話は何度かしているはず。
なぜ固まってしまうのか。理由は「出し方が分からないから」です。出し方が分からないから、自分が何をすれば良いのか分からず固まってしまっているらしい。一生懸命に考えているみたいですが、考えが進んでいるようには見えない。
「1人練習なんだから、とりあえずなんでも良いから撞いてみれば良いのに」
私はそう思ったもんです。
それなりの歴になってくれば、初めて出くわすような配置に対しても、その場で案を構築していくだけの知識があるでしょう。
けども、歴の短いCクラスとなったら、知らないもんは知らないし、考える力だって低い。その場で考えて答えに行きあたる可能性は低いし、いつか思い当たるにしても何分後の話だか分かりません。
1人練習でありミスのリスクなんて何もないわけですから、とりあえず何か撞いてみればいい。撞いてみた結果を見て「こう撞いたら、手球はそっちに行くのか」「じゃぁ、こういう修正を加えて。。。。」「まだまだ全然修正が足りない。もっとこうか」と、配置を再現しつつ色々試してみればいい。
撞く前に答えを出す必要が無い。撞きながら答えを探せば良いのに。私はそう思うわけです。
けどもどうやら、そのC級さんを始めとした一部の人は「事前にビジョンが無いと行動が出来ない」「生理的に無理」らしい。
難儀な性格ですな。。。
以上の例は多くの皆様が「さすがにそれは時間の無駄」って考えると思うんですけど、私は逆方面に振り切ってしまっています。あまりにも事前に考えなさすぎる。
私ほどの適当さとなると「生理的に、そこまで適当には撞けない!」っていう意見がたぶんかなり多く出ると思いますww
(なんか「生理的に」って言葉がマイブーム、、、)
配置は何でもいいんで、使いまわしをしよう。
こんな配置があったとして、この2番に対して「力加減MAXで、真左を撞いてみよう」とか、皆さんは思います??
そう撞いた時のラインが思い浮かぶ方は「えっ?そんなんじゃ出ないでしょ」「どこに出そうとしてるの?」って思うだろうし、ラインが思い浮かばない方は「えっ?ここでMAX左?」「それで出るの?」って思うんじゃないでしょうか。
出ません。出るとか出ないとかじゃないです。「あ。なんか左撞いてみたいな」という思いが唐突に湧いてくるんです。私には。3番なんて目に入っていません。
「そういう球、撞いてみたことが無いから、どこに行くのか分からない。見てみたいな」という衝動に駆られる。そして撞く。
もちろん、相手がいる時にはそんな唐突な欲求に従った球は撞かないですけど、1人練習の時にはガンガンに撞いちゃいます。
出来ます?多分、多くの方は「気持ち悪くて出来ない」って言うと思いますw
配置的にそう撞く意味が全く無いし、どういうラインでどこに出るかも全くイメージしていない。
「こう撞いたら、どうなるんだろう」という結果を見るのが好き。「どうなるんだろう」と事前に推測するのはあまり好きじゃない。やってみりゃ分かるんだから、とりあえずやる。
それが適当男。
5本目
4本目のネタにて
1人練習でありミスのリスクなんて何もないわけですから、とりあえず何か撞いてみればいい。撞いてみた結果を見て「こう撞いたら、手球はそっちに行くのか」「じゃぁ、こういう修正を加えて。。。。」「まだまだ全然修正が足りない。もっとこうか」と、配置を再現しつつ色々試してみればいい。
と書いて思い出しました。そういえば、配置を再現する能力が低い人っているんですよね。。。
何度かネタにしていると思いますが、とあるA級さんがSA様からもらったアドバイスをメモして、後日そのメモから配置を再現して撞いているのだけれども、一向に上手くいかず。
「メモ通りにボールを置けていない」「毎回毎回置き方が変わっている」とC級からツッコミを受けるという。。。。
そしてC級さんの言うことの方が正しかったのです。そのA級さんは配置を再現する能力が著しく低い。
C級には出来ていてA級に出来ないってことは、こういうのはビリヤードの経験でどうにかなるもんではなく、先天的(生まれつきという意味も、ビリヤードを始めるまでの経験という意味も含め)なものによる影響が大きいんでしょうな。
そのA級さんもそうですし、他のプレイヤーの中にも稀に「さっきこんな配置があったじゃないですか」と言いながら、「そんな配置はありませんでした」としか言えないような配置を再現する人が稀にいる(;´∀`)
その能力が欠けていてもA級になった人がいるわけだから「上手くなる上で必須」というわけではないんでしょうけど、とはいえ持っておいた方が有利な能力だとは思います。
じゃぁ、その能力が低い人は、どうやって鍛えたら良いんだ??
こういう空間把握系の力についての鍛え方って、球談義の場で話題に挙がることがないですよね。「持っている人は最初から持っている」「持ってない人は持ってない」で話が終わってしまって、「持っていない人はどうすればいいのか」っていう方に話が行かない。
私は答えを知らないし、誰も知らないんだろうな。。。