2本立て
1本目
「自分の球が撞ければ」みたいなセリフはしばしば耳にしますが、ここでいう「自分の球」ってのはアベレージですかね?絶好調の時ですかね?
2本目のネタを書こうとしたら、ふと気になった私です。こんばんは。
某プロが以前に「自分の球が撞ければ誰だって世界チャンピオンですよ」と仰ってました。
その時は「それだけ、自分の球が撞けなくなるようなプレッシャーの中でプロは戦っているんだろうな」という感想を抱きました。
しばらくしてその言葉を思い返してみたら「『誰だって世界チャンピオン』っていうけど、あのレベルのプロだったらって話だよなw」と思いました。私だったら、何をどうしたって世界チャンピオンにはなれませんからね。
さらに時間が経ってから反芻してみると「世界チャンプになった人たちは、アベレージの球を撞けたからなれたのか?」「アベレージ以上が出せたから勝てたんじゃないかのかな?」と思いました。
話の次元を落として自分の事を考えてみますと、「自分の球が撞ければ、これくらいの戦績は出せる気がする」というイメージをしてみた時、その「自分の球」は絶好調ではないにしても好調っていう時をイメージしている気がする。アベレージじゃないなぁ。
ちょっと「自分の球」に高望みしすぎかも?
2本目
先月、明らかに練習不足な球を撞いてしまっていた週がありました。
調子を維持するのは1〜2時間程度の球撞きでも高頻度で撞いていればなんとかなる気がしますが、上を目指すための練習や、崩れてしまった調子を立て直そうとした時は、いくら高頻度だったとしても1回1〜2時間じゃちょぃと無理がある。
ってことで、時間を見つけてガッツリと1人練習したのです。
以前に「この3つが揃えば、少なくともアベレージの球は撞ける」とか言った気がするんです。
・目線をしっかり固定
・右腕だけを動かす
の2つは間違いないんですが、もう1つなんでしたっけね?w 自分で言ったことなのにうろ覚えだ。「ショットタイミング」って言いましたっけ?
なにはともあれ
・目線をしっかり固定
・右腕だけを動かす
・ショットタイミングをしっかり合わせる
どれもこれも狂っていたので、そこの修正から。
まずは目線の固定。
某有名アニメ監督の最新作を見た方ならピンと来ると思いますが、「遠くを見る」がキーワードになったシーンがありましたでしょ。
自信がない時につい近くを見てしまうのって、色んな事で共通するありがちなことだと思うんですよ。
私はスキーをやっている時に多いです。
スキーも先へ先へ目を送って、次にターンを入れるあたりを見ているのが良いんですけど、体が温まるまでであったり、何かフォームを気にしたりして滑っている時はつい足元を見てしまいがちです。
車の運転も、下手な人は近くを見てしまう人が多いんじゃないでしょうか。
ビリヤードはですね。手球やシャフトなどの近いものを見ると決めている人だったら近くを見てても良いんでしょうけど、私の場合は「先球を見る」と決めております。
にもかかわらず、フォームに違和感がある時、新しいことを試している時などについついシャフトの動きを目で追ってしまったり、撞点を凝視してしまったりします。
それを繰り返しているうちに、段々と近くを見ることの方に体が慣れてきてしまう。
良し悪しで言えば、私の場合は先球を見た方が「良い」です。シュート率がだいぶ変わります。ヘッドアップもしづらくなるし、ストロークにも安定感が出ます。
しかし、近くを見る方に体が慣れてきてしまうと、先球を見ながら撞くことに体が拒否反応を起こすようになってしまうのです。
「良い」よりも「慣れている」の方に体が自然と反応してしまう。「良い」方を選択しようとすると「嫌だなぁ怖いなぁ」ってなって、変なストロークをしてしまうのです。
練習であれば「ミスしちゃっても大丈夫」っていう安心感がありますので、拒否反応を無視して先球を凝視したまんま撞けます。ひたすらに撞き続けて、先球を見る方を「慣れている」に戻す作業です。
「右腕だけを動かす」にしても「ショットタイミングをしっかり合わせる」にしても同じで、しばらく右腕以外まで動かしてしまうような撞き方やタイミングのズレた撞き方をしてしまっていると、体がそちらに慣れてしまう。駄目な方に感覚が慣れてきてしまう。
そのせいで正しい撞き方をしようとすると気持ちが悪い。拒否反応が起きる。
実戦中には拒否反応を無視して正しいイメージで撞くということがなかなか出来ないので、1人練習で感覚を正しい方に戻します。
そんな練習をして思ったことはと言えば、上手くいかない理由には以下のようなパターンがあるなーってことでした。
1.知っているけれど出来ない
2.知っていて出来ていたんだけど、たまに忘れる
3.本当は正しいのに、間違っていると思い込んでしまっている。または正しさを分かっていない。
4.正しいとは分かっていても、意地になってしまっていてそっちに舵を切れない
1は分かりやすい話です。知識として分かってはいるけど、実行は出来ない。そんな技術はたくさんありますよね。
知ってるってだけで出来る気になってビッグマウスする下級者にしばしば出会いますけど、知っただけで出来るなんてのは天才も天才。それこそ知ってるだけで出来るんだったら誰だって世界チャンピオンですよ。。。
2は上記したような「目線を固定する」とか「右腕だけを動かす」とか、そういうやつ。
出来ている時は出来ているんだけど、他のことを意識している間に抜け落ちてきてしまうことがある。
3もありがちじゃないでしょうか。
正しい知識を「なんか気に食わない」とか「自分には合わない」とか「さして重要なことではない」などと思い込んでしまって取り入れないっていう。
そして4。これも私にはかなりありがちなことです。
例を挙げれば「結果が出るとは分かっているのだけれど、格好悪い」という理由で実行しないことが、私には非常に多いです。
3や4って、出会い1つで大きく進展するところだと思うんですよ。
何か出会いがあって「今までこれは駄目だと思ってたけど、むしろ正しいんだな」と気付いたり「取り入れたくなかったけど、そんなこと言っていられない!」と踏ん切りをつけたりなど、出会い1つで変わること。
逆に言えば、出会いが無いと進展しないとも言えるわけでして、、、
特に4の正しいとは分かっているけれど実行出来ないことなんてのは、自分の心1つなわけじゃないですか。
心の底では採用すべきだと分かっている。けど「採用したくない」という気持ちが勝ってしまっている状態。そんなんは気持ち1つで変えられるのだが、その1つがどうにもならん。
外にキッカケを求めていても、そんなキッカケに出会えるかどうかは運次第でしかないので、先月の練習時には頑張って自己暗示をかけようとしてましたw
「格好悪いとか言ってないで、もっと結果を出しやすい撞き方をすべし」と自分で自分に言い聞かせて練習して、なんとかちょっとだけ舵を切れたような気がする。
他人の考えを変えさせるのは難しいけど、自分の考えを変えるのも難しいですな。