2本立て
1本目
少々前のこと。少し嫌なことがあった。
とあるA級さんと5先のセットマッチを2回やった。
「事前練習をせずにすぐ本番!」ってのを試していた私。A級らしさは微塵もなくあっさり2回負けた。
いきなりの対戦ではこんなものだという開き直り半分、冴えない球を撞いた情けなさと負けた悔しさ半分。
そんな時に相手から声をかけられた。
「くれる?」
何をあげれば良いのかと聞き返したら、そのセットマッチは賭け球だったらしい。5先0.5Kだったらしいのだ。
事前には一言も言われていない。「5先でやりましょう」としか言われていなかったのだ。
私がA級になったばかりの頃だったか、こんなことがあった。
「5先で」と始めた1回のセットマッチ。勝ったら相手が0.5Kを差し出した。
賭け球だという話は全く出ていなかったので、私はスポーツなのだと思っていた。
そう言うと相手は「何も言わずに始めたら5先は0.5Kです」という。引っ込めるつもりはないらしい。
その出来事から学んだことは、何も言わずに始めた場合の「いつも通り」は店によりけり、人によりけり違うらしいということ。
他の店に行けば常識は違う。
また、賭け球派が多い店でもスポーツ推奨派はいるし、逆もまた然りで個人差がある。
「何も言われなかったので」では後でトラブルになる可能性がある。
「○○だと思った」では駄目で「××かもしれない」という態度でいろとは、自動車教習所で習うことだ。
自分の先入観を当てはめようとせず、事前の交渉はしっかりすべし。
過去にそう学んだはずだったのだけれど。
近年はJPA中心に球を撞いており「賭け球なんてやったことも見たこともない」という人たちに囲まれて過ごしてきたせいか、すっかり忘れていた。賭け球をやるにせよ、しっかり相手の方から事前交渉があった。
今回のような例はかなり久しぶりだったのだ。
言い訳をすると、その相手とは過去に何度か相撞き経験がありスポーツ派だったような覚えがあったのだ。
そんな朧な記憶と「相手から何も言われなかった」ということもあって、スポーツだと思い込んでしまったのである。
賭け球だと分かっていたとしても結果が変わったとは思わない。けれどもう少し違うやりようがあっただろうと思うと、釈然としない気持ちが残るのである。
結論。事前の交渉はちゃんとしましょう。
その出来事からの連想で思ったことがある。
私は今回の出来事で、相手から言われるまでお支払いをしなかった。何故なら賭け球だと思っていなかったから。
賭け球だと分かっていて負けた時は、すぐに払うようにしている。払い忘れてしまってはいけないからだ。
逆に、払い忘れられたことは何度かある。そういう時に私は言い出せないのだ。なので今も忘れられたまま。
たまに、払い忘れたくせして次に顔を会わせた時に「この間はお支払いしちゃったから、リベンジ!」とか言い出す人がいる。
悪気はないのだと思う。ただのボケなのだ。
内心で私はツッコむ。しかし言い出せないのである。
そんな小心者の自分がいるので、自分と同じような人も多いだろうと、自分が負けた場合はすぐにお支払いをする。忘れてしまった時に、相手が言い出せないかもしれないから。
今回のように賭け球だと思っていなかった時。はたまた両替が必要だとかで、対戦終了後にすぐお支払いが出来ず、うっかり忘れてしまった時。
そんな時に相手から催促の言葉がかかる。
(そう考えると、もしかしたら私が気付いていないだけで、払い忘れてかつ相手が言い出せずに、お支払いしていないことはあるのかもしれない)
それを聞いて、言い出せる人を羨ましく思うのである。
賭け球の話からは離れるが、こんなことがあった。
店のテーブルが全て埋まり、次の客もすぐに来そうな状態の時。
一人練習をしていたプレイヤーが店員から相撞きの提案をされるも反発したのである。自分は一人練習がしたいのだと。
最終的には新たに団体客が来たことで渋々テーブルを空けていたが、よくあの状況で反発し、かつ意に介さず淡々と練習を続けられるものだと私は驚いた。
あの図太さが羨ましい。あの図太さがあれば、私はこんな風にブログでボヤく人生を歩まずに済んだかもしれない。
また、Mさんとはこんな話になった。
初級者を相手にして、明らかに相手が嫌がっているそぶりを見せた時にセーフティーを続けられるか。3ファール狙いに行けるかどうか。
私もMさんもNOなのである。
YESの人は「そんなのは勝ちに拘る姿勢として当たり前」「出来ない方が舐めている」と思うのかもしれない。
しかし、我々のような人種からすると、YESの人のことをメンタル強者として崇める気持ち8割。2割は敬遠する気持ちがある。
「気遣いのプロ」「空気を読む達人」とか言われることがある私。
良く言っていただけてありがたいく、それが美徳だという気持ちも2割はある。しかし8割は小心なだけ。
人から嫌われない程度に自己主張が出来る方が、人生はよっぽど豊かになると思うのだ。
2本目
球撞きにしても、その他日常生活全般そうですが、歳を取ったり腕前が上がったりしたことによって初めて理解出来ることってのはたくさんあります。
昔は理解出来なかったこと、馬鹿にさえしていたこと。それが今は理解出来たり、自分自身が同じになっていたり。
学んだことは「経験したことがない事柄に関しては口を出さない」ですね。
さて。昔は馬鹿にしていたけれど今なら分かるぞってのが「ルーティン」です。
けっして球を撞く際のルーティンの話ではなく、生活のルーティン。
守らなきゃいけないルーティンではなく、自分でいくらでも自由に決められるのに、毎日毎日、毎回毎回同じ手順を繰り返している人を見て「融通が利かない」「オッサンくさい」と昔は思っていたんです。
しかしオッサンになった今。あー、ルーティンっていいわー。
昨年末あたりからの、何もこれと言った用事がない平日の生活サイクルが
起きる→出社→退社→数時間の自由時間→家で仕事する→ランニングする→寝る
このパターンがかなりハマってて、すんごい楽なんです。効率良いし、寝つきが良いし、体調も良いし。
同じような時間に眠くなってきて、同じ時間に自然と目が覚める。楽。
ちなみに、複数の作業を抱えている時、1つ1つを順々にやらないと効率が悪いっていう方もいると思いますが、私は飛び飛びの思考なものですから、同時進行の方が効率が良いです。
会社にいる時にも、仕事しながら下書きしていたネタをアップしていたりしますからねw(やるべきことをこなしていれば、私用に時間を費やしていても怒られません)
ほぼ1日中仕事をしているとも言えるし、1日中集中していないとも言えるし、なんとも言えない私の1日です。
毎日毎日同じことをやっていると、この間ネット記事をリンクしましたけど「決断」に迫られる回数が減って、脳みそが疲れませんし(あれ?載せましたっけ?下書きしたまんまかも)
体も最適化されるから疲れないし。
凄く楽〜〜〜
難点はと言えば、分かりやすいですが、ルーティンな毎日が楽過ぎて抜け出せないことです。
他のことをやるのが億劫になってくる。
平日夜のハウスに出るのも、なんだか億劫に。。。。「帰って仕事しなきゃー」とか思っている自分がいる。特に先を急ぐ仕事があるわけではなくても、ルーティンに乗っかった方が楽っていう。
いっつも同じ球屋に同じような時間に行って同じようなメンツで球撞いて、、、、っていうデジャブかのような毎日を過ごす人たちを見て「飽きないんかね?」とは度々思っていましたが、きっと楽なんだろうなぁ。
とりあえず、ランニングの時間を寝る前から起床後にしようと思っていて、そのために就寝時刻&起床時刻を1時間前倒ししようとしているのですが、思い立ってから1か月ほど経ちましたが、未だ行動に起こせず。ルーティン怖い。。。
さて。球撞きのルーティンの話です。
私、ショットのルーティンはあると思います。あんまり意識していないですが、あります。
いま思ったのは、練習のルーティン。
球を始める前にこれをやって、撞き始めにはこれをやって、次にこれをやって、、、
みたいなルーティンもあった方が良いんでしょうかね?
あたかも気にしているかのような書き方ですが、全く興味がありませんwwww
コメント不要!
あれっ!球撞きの話は一瞬で終わっちゃった!