1本目
フォーム論、ストローク論、組み立て方、メンタルに関してetc. なんに関してでも良いのですが、自分とは全く異なる真逆の意見を言っている人がいたとします。
そうして自分とは全く異なる意見を聞いた時に「持論を再考する必要がありそうだ」「確かに、それもありなのかもしれない」「自分が間違っているのかもしれない」と思えるのって、どういう時でしょうか。
私でしたら
- 面識のある、信用できると思っている人が言っているのを見かけた時
- 面識はないが、相当な実力者だと知っている人が言った時
- 当該意見に賛成する人の数が物凄く多かった時
この三択です。質か量か、その両方か。どれかは必要ってことですね。
今回言いたいのは「どこの馬の骨だか知らない見ず知らずの人間たった1人(または、ごく少数)が自分とは逆の意見を口にしていたところで、考えを改めるキッカケにはならない」ということ。質も量もないのでは、説得力を全く感じられない。
そんな前置きをしまして、2本目および明日以降のネタへ。
2本目
SB関連の話で私が価値観の違いを覚えるのは「SBというのは誇らしいクラスである」と考えている人を見かけた時です。そう考える人が少なからぬ数いるらしい。「A級を間近に控えた、下手なAクラスよりも上手いBクラスである」というプラスのイメージをしているもよう。
一方、私も含めてSBに対してネガティブなイメージを持っている人も多いと思います。
なぜこうもSBに対するイメージが異なるのかを考えてみますと、今までの球人生で、具体的にどういうSBプレイヤーに出会ってきたか、その出会いの差が大きいんじゃないでしょうか。
私も「こういう事情があるのならば仕方がない」と思えるようなSBには何人か会っています。人柄が良いという前提に加えて
- 「転職した」「子供が産まれた」などの理由があって、以前のようには撞きこめなくなり、Aに上がったところでAに定着するだけの球撞き時間が確保できる見込みがない
- Aに上がりたいのだが、ホームの店長達があまりにクラスに厳しく、クラスアップを許してもらえない
こういった事情がある人達はいて、これはBで居続けるのも仕方ないなと感じました。
また、成長著しく、SBでいた期間は僅かであり、あっという間にAに上がっていくようなSBも全く問題はないです。
しかしながら私が出会ったSBのほとんどは
- Aに上がる気がない
- 賞金目当て
- 同クラスプレイヤーはおろか、上級者のことも馬鹿にする
- ただのチキン
このどれか、または複数が当てはまるような人達でしたので、低評価しかできません。
「人柄良く、納得できる事情を持ったSBプレイヤー」に何十人も会えば私の印象も変わるんでしょうけども、私が出会った「低評価しかしようがないSBプレイヤー:事情に納得できるSBプレイヤー」の比率は9:1くらい。こうなると、全くの見ず知らずのSBであっても、「SB」と聞いただけで9割の方が頭に浮かんできてしまうのです。
もしかしたら1割の方かもしれません。実際に会ってみたら「SBと聞いて低評価をしてしまっていたが、事情を理解しました」となるのかもしれない。
けど、顔を合わせない限りは「9割の方だな」と思ってしまう。
私とは逆に、「今まで出会ってきたSBプレイヤーのほとんどがリスペクトできるプレイヤーだった」という人もいるんだと思います。そういう人は見ず知らずのSBの話を聞いても高評価をするのでしょう。
「SB」と聞いただけで低評価する人もいれば、逆に高評価をする人もいる。イメージの違いとして大きすぎますよね。
さて。とあるSBについての話をネット上で見かけました。どうやらかなり有名なSBらしいですが、私はそのSBのことを全く知りません。全く知らないので、低評価です。9割の方だと考えてしまう。第一印象どころか、面識を持つ前の第零印象からしてマイナス。
それに加えて、出てくる情報もネガティブなものばかり。
- 充分な実力を持っているのに長年Bで居続ける
- そこら中のB級戦を荒らしている
- 得た賞金額がとんでもないことになっている
- そんなSBのエントリーを断ることなく出場させ続けている店が多数ある
ネット上に並ぶのは、そういったネガティブな評価ばかり。
もし私が「この人は私がイメージしているような人ではないのかもしれない」と意見を翻すとしたら、「大多数の人がその人を擁護する」か「私が腕前も人柄もリスペクトしている上級者が、その人を擁護する」か、どっちかが必要です。そうじゃなきゃ私のイメージは変わらない。
そのSBの話題が盛り上がる中で、1名だけ「自分は彼のことは嫌いではない」と擁護する声をあげた人がいたんです。私は「何の援護にもならんよなぁ」と思いながら見ていました。
その擁護の声を挙げた人も私からしたら「どこの馬の骨とも知らんプレイヤー」です。そんなプレイヤー1人が擁護したところで、説得力に質も量もない。
むしろ、擁護の声を挙げた人に対して「あなたも同類なんじゃないの?」とか「人を見る目がないのでは?」と思ってしまいました。
「どんな意見にも耳を傾ける」という姿勢は大事ですけど、世の中全てのことに関して一々そんなことはしていられない。自分とは異なった意見にまで細心の注意を払えるのは、よっぽど興味のある話題くらい。
どこの誰とも知らんSBの評価なんてのはどうでもいいからこそ、説得力を感じられない自分とは異なる意見になんぞ一々耳を傾ける気にはならないんでしょうな。
教訓。どうしても自分の意見を通したい時は
- 意見を同じくする大勢と結託する(量)
- 知名度が高く説得力を持った上級者の虎の威を借りる(質)
どっちかはないと駄目ですね。後者の場合は「○○さんがこう言っていた」と言うだけでは無駄で、御本人に降臨していただく必要がありますねw
自分一人で主張してても「誰だよお前」って思われて終わりだよなぁ(自戒